【母よあなたは】The Sharp End of Life: A Mother's Story【強かった】

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9月14日、アレックス・オノルドとサンニ・マッカンドレスの挙式が湖のほとりで執り行われました。

ちなみに司会進行はトミー・コールドウェル。

どうぞお幸せに。

 

今春から、

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ディアドル・ウォロニック・オノルド著『THE SHARP END OF LIFE』を読み進めてました。

58歳でクライミングを始め、エルキャピタン登攀最高齢記録を果たし、マラソンにも挑戦する女性。

大学での勤務の傍ら、オーケストラ演奏にも力を入れる才女。

そうです、アレックス・オノルドの母親の自伝です。

出版当初はよくある「意識高い系で全てに意欲的・ポジティブな女性の本かなー」とスルーしていたのですが、スペインのDesnivel掲載・女性クライマーを主題とした書籍の推薦記事で絶賛されていたので、読んでみることにしました。

ディアドル・ウォロニックの旦那様(アレックスの父親)は書き方に注意を要しますが、発達障害を抱えた個性的な性格の持ち主で、それゆえ結婚生活が破綻していきます。

ディアドル・ウォロニックは日本との関りが深く、大学研究職のため、夫婦で日本に長期滞在。

ディアドルは積極的に、雑誌や新聞を頼りに地元のママさんサークルを探し当て、日本の生活に溶け込んでいきます。

現在のお住まいにも和室があり、日本産のカエデを庭に植樹しているとか。旦那はその性格故に東京のゴミゴミした雰囲気が好きになれず、東京の花見で込み合う風景もお気に召さなかったようです。その直後に旅で訪れたオーストラリアではイキイキしていたと書かれています。

アレックスがまだ小さい頃、クライミングジムで危なっかしいことをやり、近くにいた女性から

「あんた自分の子供をコントロールできないの?」

と言われてしまいますが、この言葉がディアドルには非常にひっかかったことが描かれています。そこには、自分の子供を「独立した人格」として扱うディアドルの生き方への想いが表れていると言えるでしょう。

非常にポジティブな人生を描いた本として欧米で評価が高い同書。それは否定しませんが、旦那様との結婚生活の暗い話に延々とつきあうことになりますw

 

結婚生活って難しいですね。

私も二回目に結婚するときは辺境旅行に一緒に行っ(以下省略)

ツイッターではアレックス・オノルドの挙式にお祝いのメッセージがあふれてますが、同書を読んだ直後だけになかなか複雑な思いでした。

あらためて、アレックス・オノルドとサンニ・マッカンドレスの幸せをお祈りいたします。

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著作について話しましょう ベルナデット・マクドナルド インタビュー

ベルナデット・マクドナルド。

現在の山岳界で素晴らしい著作を出し続けている山岳ジャーナリストであり、当ブログでも『TOMAZ HUMAR』『ALPINE WARRIOR』『FREEDOM CLIMBERS』、そして恩田真砂美さんによる素晴らしい翻訳で日本に紹介された『ART OF FREEDOM』を紹介してきました。

ロシアの山岳ジャーナリスト、エレナ・ドミトレンコ女史によるインタビューが公開されましたので、ここに紹介します。

Let's talk about literature. Interview with Bernadette McDonald  by Womengohigh 2020.4.23

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著作について話しましょう
ベルナデット・マクドナルド インタビュー

B1ビルバオ・メンディ映画祭にて

ベルナデット・マクドナルドは、『Freedom climbers』の著者であり、冬季8000m峰登頂を夢見た人々の印象的な物語です。「ワールドブックデー」(訳者注:毎年4月23日の「世界本の日」)は、カナダ人作家とのインタビューを公開するよい機会です。

エレナ・ドミトレンコ執筆記事
写真・Bernadette McDonaldアーカイブ

B2 ベルナデット・マクドナルドはバンフ山岳文化センターの創設者であり、山岳文化と登山に関する11冊の本を執筆しています。彼女の著作は14か国で発表され、バンフ・グランプリ、ボードマン・タスカー賞(訳者注:イギリスの山岳文学賞)、Kekoo Naoroji賞(訳者注:The Himalayan Clubによるヒマラヤ関連著作に対する文学賞)、American Alpine Club賞など、多くの賞を受賞しています。山岳文化への貢献により、アルバータ・オーダー・オブ・エクセレンスそしてキングアルバート賞を受賞しています。

 彼女の著書「Freedom Climbers」は、6つの国際文学賞を受賞しています。彼女の最新刊「Art of Freedom」は、バンフ山岳文学賞、ボードマンタスカー賞、ナショナルアウトドアブック賞など、これまでに3つの国際賞を受賞しています。彼女はヒマラヤクラブとポーランド山岳協会の名誉会員であり、エクスプローラークラブのフェローに任命されました。執筆時以外は、ベルナデットはクライミング、ハイキング、スキー、カヌー、そして葡萄を栽培しています。

 ベルナデットの本はすべて「並外れた」人々に関するものだと言わざるを得ません。自分の世代の頂点を目指し、今後の登山の方向性を築いた人々に関するものです。そして、スポーツ・マラソン・ライブラリーが最近出版した「Freedom Climbers」には、ワンダ・ルトキェビッチのような女性も存在します。

 ベルナデット、あなたは人生の多くをポーランドの登山に費やしました。ポーランドに長く滞在し、地元のクライマーとコミュニケーションを取り、彼らの人生について学びました。もう彼らとは気兼ねすることの無い仲ですか?

 そのように感じ始めています。そうですね。私は取材のためにポーランドの出版編集者と会い、ポーランドで出版された本をPRするために、年に数回訪れています。そして、私がここにいる度に、登山関係者と会うたびに、時には専門的に、時には社交的に、ええ、それは一種の大家族のように感じています。

 「Freedom Climbers」の中心には、アンジェイ・ザワダ、ワンダ・ルトキェヴィチ、イェジ・ククチカ、ヴォイテク・クルティカ、クシストフ・ビエリツキの物語があります。これは私にとって興味深いものです。ヒーローにはさまざまなタイプがあります。なぜこれらの人々を物語の中心に置いたのですか?登山への貢献のため?それともあなたの共感のためですか?

 その成し遂げた登山への業績があって、私は著作のために彼らに関わってきました。しかし、多くのベテラン登山家が含まれていません。取材の過程で出会った人々、登山家としてだけでなく人間としても共感できた人、そして最後に、ヒマラヤ登山について興味深く注目すべきことを成し遂げた人に関わってきました。

B3   リンゼイ・グリフィン、ヴォイテク・クルティカ、ミック・ファウラーと共に ラグレイヴのピオレドール式典で

あなたの最新刊「Art of Freedom」は完全にヴォイテク・クルティカに関する本です。それはポーランド人の好みにあったのでしょうか?

 私の印象としては、ある時点でこの本が書かれることを地域社会が期待していたといえます。ヴォイテクはこのようなことすべてに消極的で有名でしたので、誰が書き上げるかはわかりませんでした。ついに出版されたときはちょっと驚かれたと思います。幸いにも、「Freedom Climbers」のおかげで、このコミュニティにはある程度の信頼をいただいていました。好評だったと思います。正直なところ、かなり売れてますしね。まあ、来るべきものがきた、という感じです。

出版前にヴォイテクが本の最新版を読んでいなかったと、どなたかが話してましたが。

 そのとおりです。私たちがそう決めた理由は、「自伝」ではなく「伝記」にしたかったからです。そしてそれが「伝記」であるためには、私は「独立」している必要がありました。干渉しては欲しくなかったのです。しかし、彼がすべてのクライミングの成果、過程を確認することには同意しました。彼は私に言いました。この本は登山家としての私の人生の記録になる。私はそれが間違っていることを望まない、と。誰が何をしたか、いつ、どれくらい大変だったか、どの程度の標高、何時間だったのか、間違いはないか。彼はそれが絶対に正しいことを望むと言いました。そして、私は答えました。大丈夫、それは大丈夫です、と。それらは出版前に彼が読んだ本の一部分です。しかし、それは事実でしたし、彼にとっては驚きだったようです。

彼は気に入りましたか?

ほとんどの部分は気に入ってくれたと思います。もちろん、彼がすべてに同意するわけではありません。

彼がすべてに同意したとしたら、意外ですね。

 それはおかしなことですし、いえ、私は彼に最大限の敬意を払っていますが、特定のことについては私自身の独立した意見もあり、それを表現しようとしました。

B4ベルナデットはクライミングで休暇を過ごすのを好む

あなたの本は何ヶ国語で翻訳されていますか?特に「Freedom Climbers」は。

「Freedom Climbers」は11か国語だと思います。「Art of Freedom」は13か国語で、「Alpine Warriors」は9か国語で出版されています。

あなたの本のうち、現在最も人気のあるものはどれですか。

 それはむしろ、その国特有、より正確には、大陸固有のものでしょう。しかし、全体としては「Freedom Climbers」と「Art of Freedom」で五分五分でしょう。

 あなたが長い間ペンを持たないことはめったにありません。今現在、新しい本を書いているのを知っています。仕事はどうですか?すでにそれについて公然と話しているのですか、それとも秘密にしていますか?

 私の新しい本はほぼ準備ができています。ページの校正段階です。ようやく!イギリスの出版社とアメリカの出版社から同時に発売される秋まで書店に並ぶことはありません。それは出版社からまだ発表されてないので、私はそれについて自由に話すことができません。でも、まもなくですよ。

B5  ポーランドの登山家アダム・ビエリツキがモスクワのスポーツ・マラソン・トラベラーズクラブでの講演中に「FREEDOM CLIMBERS」のロシア版にサイン中

楽しみにしてます!作家として、またコミュニティの一員として、登山家が書いた本や物語が数多くあると思います。沢山読みますか?

 ええ、実際に可能な限り読みまくりました。沢山読み、数多くのフィクションを読み、あらゆる分野の書籍を読んだりします。私は詩は読みませんが、他の分野はほとんど全て読んでいます。

 私は山岳書をたくさん読んでいます。私にとっては、それは多くの場合取材であり、私が取り組んでいるプロジェクトだけでなく、他の登山家や他のコミュニティに関する書籍を読むのが楽しいからです。それは私にとってすべてのバックボーンであり、すべて取材です。

そして、ここ数年あなたが注目した本は何ですか?何が印象的でしたか?

デビッド・ロバーツが書いた最後の本である「Limits of the Known」は彼自身について非常によく書かれています。つまり内省的であり、登山家としての彼の人生を見ているということですが、癌患者の観点から、彼の病、余命の変化、そして冒険家としての人生、登山家としての人生を興味深く観察し、過ぎゆく日々に感謝している人の視点があるからです。その年のボードマン・タスカー賞を受賞しました。

 それから、パウル・プロイスに関するデビッド・スマートの著作を本当に楽しめました。彼がクライミング・ストーリーに数多くの歴史的背景をちりばめる方法が素晴らしく、それ自体も興味深いものでした。ご存知のように、私は登山史が大好きで、デビッドは上手く書き上げました。

B6 ブドウの栽培は、ベルナデットのもう1つのお気に入りアクティビティです

あなたが登山の世界に身を置くようになるのに役立ったのは、どんな本ですか?

 私が最初に読んだ山の本の1つは、ハインリッヒ・ハラーの「チベットの7年」でした。それは登山の本ではありませんが、私にとって魅力的な場所に連れて行ってくれた本当の山の冒険です。私に深い影響を与え、旅行、異文化との接触、荒野への憧れを植え付けました。

 その数年後、私はその裏話、作者、そしてチベットへの脱出の必要性を生み出した政治情勢について多くのことを学び、その過程でハラーについてもよく知りました。初めの先入観の一部が現実というものに打ち砕かれた事にはがっかりしましたが、それでも私にとって土台となる本でした。

 私がいつも愛していたもう1つの本は、エリック・シプトンの著作です。エリック・シプトンのオムニバスを、私は繰り返し読み返しています。探検と冒険は自然に楽しいものですが、彼の執筆が飽くなきエネルギー、好奇心、ユーモア、苦痛の感覚によって伝えられる方法が好きです。

 私を大いに助けてくれた3冊目の本は「Mountaineering:The Freedom of the Hills」です。何年にもわたり多くの復刻版が出された教本ですが、夫と私は初版を持っています。1970年代に戻り、その本を熟読し、結び方を学び、ビレイ技法を練習し、滑落をシミュレートし、クレバスレスキューのZプーリーシステムを理解しようとしました。その後、夫はレスキューのスペシャリストとして仕事に就き、十分な訓練を受けましたが、初めはその本が私たちの「聖書」でした。

作家としてお答えください。登山家が読むべき3冊を挙げてください。

 なんてこと・・・難しい質問ですね。常に印象に残っているのは、Andy Caveの「Learning to Breathe」です。それは、英国の鉱業文化の真っただ中で育ち、高山の冷たい空気の中で彼の「魂」を見いだす素晴らしい物語です。美しく書かれています。もう1つの素晴らしい本ですが、スロベニア語(現在はポーランド語)以外の言語で見つけるのが非常に難しいのですが、Nejc Zaplotnik(訳者注 : ナイツ・ザプロトニク(1952~1983) マカルー南壁、エベレスト西稜登攀に成功したスロベニアの伝説的な登山家)による「Pot」です。タイトルは「The Way」と訳されており、詩的な文章、山での純粋な喜びの表現に十分お勧めできるものです。この本は数世代にわたりスロベニアの登山家達にインスピレーションを与えてきましたが、私はその理由を容易に理解できます。私が大好きなもう一つの本は、ジェームズ・ソルターの「ソロ・フェイス」と呼ばれる登山小説です。ソルターは、私が知る最高の作家の1人であり、ミニマリストで職人であり、すべての単語が適切なタイミングで適切な場所に存在します。

B8ポーランドのラデックマウンテンフェスティバルで。写真:Małgorzata Telega

さて、他人の推薦に左右されず、自分で読む本を選びたい人について話しましょう。どこを探せばいいですか?

 ご存知のように、それはあなたが探す言語によって異なると思います。英語の本に関しては、いい場所がいくつかあります。まず、Boardman Taskerのウェブサイトです。ショートリストだけでなく、ロングリストも。現在出版されている山岳書の本当に素晴らしいレジュメが得られるでしょう。もう1つは、バンフマウンテンフィルムおよびブックフェスティバルのコンペティションリストです。そこにもロングリスト、ショートリストがあります。閲覧するのに良い場所です。またアメリカではNational Outdoor Book Awardsと呼ばれるものがあります。NOBAと呼ばれ、様々なカテゴリーがあります。登山だけではありません。伝記があり、環境に関する本があり、多くの素晴らしい書籍があります。

あなたの著作のファンは主にどこに住んでいますか?ヨーロッパ?アメリカ?

 スペイン語、まあ、明らかにポーランド語版、スペイン語、イタリア語、ドイツ語版があると思います。私の著作のヨーロッパ市場は、北米市場よりも大きいです。しかし、今はアジア市場でも販売を始めています。韓国語、日本語版ですね。

B9   韓国の国際山岳映画祭で

彼らはヨーロッパの登山家の人生に興味があるんでしょうか?主にヨーロッパの登山家達について書いているからでしょうか。

主に東ヨーロッパのクライマーでしょう!

なぜ彼らの人生に興味があるのですか?

 大きな理由の1つは、東ヨーロッパの登山家が英語圏でよく知られていないし、十分に書籍化もされていないことです。つまり、ほとんどのカナダ人、アメリカ人はデニス・ウルブコについてあまり知りません。彼らはクシストフ・ビエリツキについてあまり知りません。誰もが彼らのことを知っているので、ここでは想像もできないことですが、それは私の目標の1つでした。彼らのストーリーを伝えることは、素晴らしいことであり、知られるに値することだと思います。

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以上引用おわり

 ロシアのクライミングサイトに掲載されていたインタビュー記事の転載許可にあたり、執筆者のエレナ・ドミトレンコ女史から快諾を頂戴するだけでなく、「ロシア語より英語版の方がいいのでは」とお気遣いいただき前記URLをご紹介いただきました。

 現在エレナ・ドミトレンコ女史は、女性による登山・冒険だけでなく幅広くアウトドアに関わる人生をも扱ったウェブサイト Womengohigh.com を主宰しています。ロシア語版だけでなく英語版もありますので、ぜひご覧ください。

Сердечно благодарю вас!, Елена Дмитренко !!

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Mick Fowler著『NO EASY WAY』

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 ミック・ファウラー(Mick Fowler)著『NO EASY WAY』を読む。

 ミック・ファウラーといえば、税務官としての仕事と世界でもトップレベルのヒマラヤ登山を両立させているところに、多くの日本人、特に勤労者クライマーはシンパシーと尊敬の念を抱いているのではないだろうか。

 本書の第1章は、職場である税務署での上司とのやりとりから始まる。そこで仕事、ヒマラヤ登山、それを支える日頃のトレーニング、そして家庭人としてもやりぬいてきたことを、最後の締めくくりで『There truly is No Easy Way.』と書き綴っている。

 本書は2000年代に展開してきた素晴らしいクライミングの記録集であると同時に、税務官を定年退職し、自身のガン罹患が発覚するまでが描かれている著作である。そんな人生を続けてきたミック・ファウラーの心情を吐露した言葉が、そのままタイトルになったと言えよう。本書では、

グロスバナー(2003)、カジャチャオ(2005)、スコットランドのシークリフ、マナムチョ(2007)、バスキ・パルバット(2008)、スラマー(2010)、ムグ・チュリ(2011)、シヴァ(2012)、キシュトワル・カイラス(2013)、ハグシュ(2014)、ガブ・ディン(2015)、セルサンク(2016)

 これら山行の記録が収録されており、アルパインクライマーにはたまらない内容である。

 2000年代初めは中村保氏の資料にも支えられ、積極的に中国奥地に赴くが、不安定な政治事情に伴う許可取得の困難さに辟易したのか、次第にインドヒマラヤへと惹かれていく。

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 キシュトワル・カイラスに向かうキャラバンで断崖絶壁の細い道を行く。凄い不安そうな表情のロブ・スミス。(著作写真より)ちなみに、この危険きわまりないキャラバンの記録動画は動画サイトで閲覧数1千万回超えとのこと。

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 キシュトワル・カイラスの山頂に立つミック・ファウラー(著作写真より) キャプションには「未踏の頂を楽しむ」とある。その喜びを支える日常が、本書には記されている。

 ミック・ファウラーは税務署勤務の傍ら、日常のトレーニングとして限られた時間を、ケービング、自転車、カヌーなど様々な手法で身体を鍛えていた。その中でもイギリスの風土に根ざしたクロスカントリー競技に特に力を注いでいた。

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クロスカントリー出場中のミック・ファウラー(著作写真より)

 週1という限られた時間でのクライミングトレーニングは、ノッティンガム城の城壁クライミングである。城壁クライミングといっても、かのダグ・スコットが拓いたルートもあったりする由緒あるトレーニング場。

 しかしながら、早朝にポール・ラムズデンと一緒に登っているときに通りすがりの男性から「何危険なことやってんだ?」と注意される。

「いや装備(ロープ)も使ってますし」と言い訳するが、らちがあかない。ついにポール・ラムズデンがミック・ファウラーを指さし

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「この人BMCの会長ですけど」

と言うが効果は無く、日曜の朝っぱらから警察沙汰になってしまう。その後の顛末は本書を読んで下さい。

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警察沙汰になったノッティンガム城でサムズアップなミック・ファウラー。(著作写真より)その登山の陰には色んな苦労がありました。

 来日した際の事にも触れられ、ヒマラヤ登山で使ったスプーンや安物時計、尿瓶が興味を引いたところをイタズラっぽく描いている。さすが税務官、「日本には銀行も休みになる『山の日』なる休日がある」と、日本の祝日「山の日」は印象に残ったようだ。

 ミック・ファウラー本人の控えめな性格なのか、おそらく日本人クライマーなら誰もが関心ある登山と日常生活との両立に関してはサラリと書いてあるのだが、彼の登山観を示す場面として、アリソン・ハーグリーブスの描写がある。

 90年代半ば、アリソン・ハーグリーブスは専業登山家として、世界三大高峰、すなわちエベレスト、K2、カンチェンジュンガを単独登頂することを目標に掲げていた。

 ミック・ファウラーは彼女に対して批判めいた表現は用いていないが、「彼女は楽しんでいたんだろうか」と綴っている。

 今の日本社会、以前よりも転職が容易になり、その機会を掴んで公募隊で8000m峰を目指す人もいると聞く。

 一方、ミック・ファウラーのように税務官という一つの職場に勤めながら、トップレベルのクライミングを続ける人もいる。

 いや、「トップクライマー」であることに目を奪われている人が多いが、私はミック・ファウラーがその人生を通じてクライミングを「続けている」ことに注目している。

 本書にはその器用な生き方のための明確なノウハウ、「答え」は無いが、「ヒント」に満ちているといえよう。

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韓国人は山女で日本を知る

日韓関係が最悪といわれる今、大石明弘著『太陽のかけら』が韓国で出版されることになりました。

“그녀의 에너지가 여러 사람들에게 전해지길” by mountainjournal 2019.10.18

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上記リンク記事では著者の大石氏が訪韓、インスボンやソニンボンを出版関係者らと登り交流する様子が報じられています。

韓国の翻訳者は、日本の登山界に精通したキム・ヨンド氏。

氏は韓国では「親日派」と呼ばれています。まことに残念ながら、韓国で親日とは、日帝時代に協力した裏切り者という蔑称。

キム・ヨンド氏は大島亮吉の本で登山に目覚め、韓国初のエベレスト登山隊隊長を務めた韓国登山界の重鎮。日本の山岳書に関しては古典から山野井泰史氏の著書まで熟知。韓国の冒険家が史上初と銘打ってグリーンランド縦断を行った際には「日本の植村直己が既に達成している」と韓国メディアで主張した気骨ある、日本の良き理解者。これ以上の翻訳者はおられますまい。

 この韓国語版『太陽のかけら』を出版する「ハルジェクラブ」なる団体。

 以前から韓国ではベルナデット・マクドナルド女史の著作はじめ、ジョン・ポーターによるアレックス・マッキンタイアの伝記『One day as  a tiger 』などの山岳書が凄いペースで韓国語訳されており、版権取得などどうなっているのか不思議でした。

 このハルジェクラブなる団体は大韓山岳連盟のメンバーを中心に会員制で資金を集め、その資金を元に欧米で出版されている優れた山岳書、古典、最新本問わず次々と翻訳、韓国国内に送り出していました。

 韓国には山岳書を専門に扱う「韓国山書会」も存在します。日本人と韓国人の気質を巡って「集団戦は日本人が得意」などと言われますが、山の本に関して日本人は韓国人に一歩も二歩も遅れをとっていると言わざるをえません。

 さて日韓関係が悪化し始める2019年始め、日本のメディアではチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説がとりあげられ、韓国社会の様子が話題になりましたが、同時期に韓国メディアで話題になっていたのは、韓国語版が出版された湊かなえ著『山女日記』。

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私は『82年生まれ・・・』は未読ですが、山女日記の方は再読してみました。

 アマゾンでも賛否が両極端に分かれた「山女日記」、読んで私も「女はめんどくせえ」と思う一方、兼業ガイドの私でもツアー中の女性たちの様々な人間模様をみてきたので「まあ、あんな話もあるよな・・・」とも感じています。何より、山のフィクションでありながら自分のロープ切ったりせず(笑)誰も死なないところがいいです。

 ちなみに湊かなえ氏は、この「山女日記」韓国語版出版のため、渡韓し韓国メディアからインタビューを受けています。

 来年初め韓国で出版予定の韓国語版『太陽のかけら』、そして既に話題の韓国語版「山女日記」。

 韓国の一般市民が登山に関わる日本女性を通じて、フィクション、ノンフィクションの両方で日本社会を知るというのは興味深いことです。

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日曜はフレディ・マーキュリー

日曜。
本日は休日出勤。
現場作業も次のステップを迎える。
苫小牧港まで親方の車に乗せてもらい、フェリー港で工事機材を積んだ大型トラックを受け取り、私がトラックを駆って小樽市の現場に戻る。

仕事が終わった後、諸般の事情のため、娘の通う高校の担任と電話のやりとり。
それから日曜で殺人的に混雑している小樽イオンに突入。

山形のそれに比べ、小樽のイオンは超ウルトラスーパー巨大で雑貨屋も充実している。
息子の誕生日プレゼント、娘の好きなキャラクター商品を買い込み、いったんウィークリーマンションに帰宅。
息子と娘に手紙を書き(普段は長期出張が多いのでたまにはフォローしないとね)、それから再び市内に出て宅配便で発送。
日曜だっつーのに心安まるヒマもない。
クィーンの『I Was Born To Love You』を車の中でガンガン聴きながら、疲れた自分を奮い立たせて小樽市内を廻る。

自分の時間は夕食時間以降の短い時間だけです。

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現実逃避その1。
スロベニアのユリアン・アルプスの解説もあるので買いました。
ただこの本、コースタイムなどの他、様々なエピソードなどアルプス全域にわたって解説があるのはいいんですが、山域の概念図が無いのが惜しまれます。

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現実逃避その2。
長期出張に出ると、やたらとシェークスピア、喜劇じゃなくて破滅的な悲劇物が読みたくなる。
まあ今の会社に勤めていること自体が悲(以下省略)

今回の日曜は山はお休み、明日からまた現場作業の日々です。

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美内すずえ、『ガラスの仮面』継続宣言

「別冊花とゆめ」休刊 美内すずえさんは「『ガラスの仮面』描き続ける」 by サンスポ2018.5.27

いやもう『ガラスの仮面』はいいから、
Se
『聖アリス帝国』 続編書いて欲しいのは、私だけではないはずだ。

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1月お仕事&読書日記

1月14日。
大寒波がやってきた翌日。
小正月の民俗行事を見学しようと目論んでいたが、実家の老母から「水道凍った」という連絡。
業者に任せるより自分がやった方が早い。
実家の窓から隣家との隙間に入り込み、上水道に巻かれた保温材の撤去、解凍、さらに再凍結しないように保温材の設置。
部材が無いので開店時間早々にホームセンターに行くと、前日からもう凍結が進んでいたのか、保温テープ(スポンジ状のテープ)だけが完全売り切れ。
業者向けの店を廻り、ようやく入手。
それから実家にもどり、上水道管に凍結防止の措置をとる。
こうして休日はおわる。

1月某日
現場作業でトラブル多発、PCもアクセスせずに寝る日々が続く。

1月某日
現場が一段落したところで読書再開。
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番組ば視聴できなかったが、中国共産党の犬NHKの『100分de名著 ソラリス スタニスワフ・レム』をゆっくり読む。
タルコフスキーの映画も好きなのだが、浅学な私の知らない解釈を知ることが出来た。

1月某日
世間では新版「広辞苑」のニュース。
私が所有している広辞苑は1976年発行の第二版補訂版。
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通っていた小学校に「長岡賞」という、スポーツまたは学業・生徒会でそれなりに活躍した者に贈られる賞があった。
私は小学校の生徒会で役員をしていたため、ちゃっかり長岡賞をもらうことができた。その副賞が「広辞苑」だったのだ。みたこともない巨大な国語辞典に、当時小学生だった私は日本語の奥深さを知ることになる。

とはいえ、普段使っていたのは角川のハンディな国語辞典。最近はネットに頼り切りだ。
広辞苑を使った機会といえば、池田常道氏によるラインホルト・メスナーの解説において不必要に使う難解な哲学用語を調べるのに使ったくらいか。

最近の「広辞苑に◎◎が載りました」という報道の在り方には疑問を抱いている。
流行廃りのある言葉などはそれこそネットに任せればよい。
国語辞典はやはり、日本語の奥深さを知るきっかけであってほしい。

1月某日。
JR東日本の電車内で、妊婦さんが無事出産されたというニュース。
我が家でもカミさん、娘とともにニュース番組をみながら「看護助手さん隣に載ってたんだって~」と盛り上がる。

そこで私の蔵書を探る。
私が持っているアメリカの救急法の訳書『イラスト救急処置マニュアル』(原題{「First Aid Manual」 大塚敏文訳 南江堂 94年出版)という本。
この本、日本の救急法の書籍と異なり、なんと「緊急出産」の解説までイラスト付きで載っている。
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素人が分娩という医療行為に関わることは危険きわまりないだろうし、実際にそんな場面に出くわした場合は医療機関への迅速な連絡が最優先されるべきなのだろうが、出産のやり方まで掲載されていることに、日本とアメリカの救急法の違いをみる思い。

東日本大震災クラスの災害で、やはり妊婦さんが産気づいて・・・というエピソードは聞きますので、今回のニュースを見てあらためて同書を読み直してみた次第。

1月某日。
会員として所属している日本野外教育学会から、会員向けに書籍が送られてきた。
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『野外教育学研究法』

野外教育に関する論文・研究を進めるうえでのノウハウ・考え方をまとめた書籍である。
類書として、1998年にやはり日本野外教育学会が出版した『自然体験活動の報告書レポート・論文のまとめ方』という本も持っているのだが、こちらの内容は「報告書・論文・レポートの違い、まとめ方」から始まる、どちらかというと学部生向けの内容。この本の内容をさらに進化させたのが、今回の『野外教育学研究法』といえる。

野外教育学研究でネックになるのが、野外教育・野外活動の成果を調査するにあたって、目に見えない・数値化しにくい子供達の「心」、「成長」をなんらかの形にして調査しなければならないという点。
さらに、研究成果において「自然体験は教育的にとても良い」という結果が導かれるが、野外教育の「何が」「なぜ」効果をあらわすのか明らかにされず結果だけが重視される傾向にあり、意外にも人文科学系アプローチがまだ不十分であるという。 私のような末端で活動する者に何ができて何が得られるのか、今一度考えたい。

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Art of Freedom

Art_of_freedom 山岳ジャーナリスト Bernadette McDonald女史の新刊『Art of Freedom』を読む。ポーランドの岳人ヴォイテク・クルティカの伝記である。

 ヴォイテク・クルティカといえば、日本では断片的なインタビュー記事がたまに掲載された程度で、あとはニコラス・オコネル著『ビヨンド・リスク』がまとまったインタビューを掲載している程度であろうか。

 クルティカといえば、そのスマートな「アルパインスタイル」、ラインを重視したより困難な高所登山が高く評価されているが、この本には「人間、ヴォイテク・クルティカ」がよく記録されている。

 読んでいて気がついたことだが、ヴォイテクにとっては「アルパインスタイル」はごく自然な登山スタイルにすぎなかった。日本の70~80年代、やたらと「海外ではアルパインスタイル」と、欧米崇拝はなはだしい先鋭登山家および池田某老人にリードされた日本登山界であるが、そういった「他者の評価」など全く気にすることは無い。
 あたりまえだ、なぜなら彼らには「アルパインスタイル」がごく自然な、当然な登山形態だったのだから。

 アレックス・マッキンタイアらと組んだダウラギリ東壁の記録は、まさにシンプルイズベストともいうべき、素晴らしい描写である。
 そして読み進むうちに、そのシンプルなアルパインスタイルの陰にある地味な活動やエピソードも明らかになる。

生卵300個と格闘するヴォイテク・クルティカ

1983年、クルティカとククチカはガッシャブルム2峰南東稜をめざしパキスタンに入る。
クルティカは食糧係として1人1日卵2個×メンバー2人×登山期間60日プラス予備=生卵300個の購入する。
ククチカは「はぁ?!ポーランドから持ってきた旨いハム缶あるだろ!なんで卵そんなに要るんだよ」 (当ブログ流意訳)とあきれ顔。
そしてより新鮮な卵を選ぶために、リエゾンオフィサーから「ミスター・ボイティク、エッグテストをご存じですか?」
と、新鮮な卵の見分け方を教えてもらう。
それは卵を水の中に入れ、水中に沈んだ卵は新鮮な良い卵、という方法だ。

卵300個購入に不満なククチカは協力してくれない。
クルティカはたった1人、生卵300個を水中に出し入れし、新鮮な卵をより分けていく。

日本人クライマーから「哲学的」 「求道的」 とあがめ奉られているヴォイテク・クルティカが、1人で生卵300個を相手に格闘する。
とかくクライミングの成果ばかりが強調されがちなアルパインスタイルのクライミングの陰に、こんな地味な行動があったのだ。

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1984年マナスルにて、ルートの雪崩の危険性について議論するイェジ・ククチカとヴォイテク・クルティカ 撮影アルトゥール・ハイゼル

クルティカとククチカは食糧で結構モメる。
登山も終了、余ったハムをクルティカが鳥に投げ与えていると、
「おめーなにやってんだよー、食い物粗末にすんじゃねーよ」とククチカが文句を言う。
「ハムとっといても悪くなるだけだし、ポーターもリエゾンもパキスタン人でハム食わねーし、しょうがねーべ」
(当ブログ流意訳)
そして決定的なのは、メスナーに対抗意識を燃やして新ルート・冬季登頂であくまでも「登頂」をめざすククチカ。それに対して登攀「ライン」を重視するクルティカ。ブロードピーク三山縦走直前も、登攀ルートを巡って議論になった2人。袂を分かつのは当然だったといえよう。

山田昇らとの合同登山の事
1986年の山田昇らとの日ポ合同隊として挑んだトランゴタワーに関しても、一章を割いて詳しく描かれている。
ご存じの方もあろうかと思うが、この遠征では山田昇氏ら日本人クライマーがルートの困難さを理由に断念したことが知られている。
本書においても、山田昇氏が「このルートは我々にはハードすぎる」と断念を正直に申し出る姿が包み隠さず記録されている。
ボイティク・クルティカは登山当初から、キャンプ地選定において日本人達が雪崩や落石のリスクがあると思われる場所を選び、意見具申をしつつも「saving face」(メンツを立てる)を理解し、いたずらに自己主張することなく、素直に従っている。
クライミングの断念を申し込まれたクルティカは、最初は冗談かと思ったという。あくまでも登りたいクルティカは吉田憲司氏に一緒に登らないかと誘うが、合同隊であること、全員で行動を共にすべきという理由から断られる。
この登山断念に対し、ボイティク・クルティカは
「誰かに過ちをたずねられれば、日本人達との関係を上手く構築できなかった私にある」と謙虚な言葉を書き記している。
事実、ベースに下山後も冗談を言い合いながら過ごしていたという。

このトランゴ遠征をとらえて、丸山直樹なるライターが山田昇氏に関して「岩の実力は上手くなかった」というような非常に不愉快な表現で山岳雑誌に書いているのを読んだが、同行したパートナーであるボイティク・クルティカは日本人メンバーに対してあくまでも温かく接している。
最も困難な壁といわれるガッシャブルム4峰西壁を共に登り、サードマン現象まで一緒に体験したロベルト・シャウアーなどすぐに袂を分かったクルティカだが、日本人にはなぜか温かい。
その理由を探ろうと何度も何度も本書を読み返したが、ついに理解できなかった。どなたかボイティク・クルティカにインタビューしてください。

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1986年、トランゴタワーで山田昇氏とともに

故・谷口けい女史の言葉
本書で特筆すべきは、ボイティク・クルティカの「登山観」を示すために、故・谷口けい女史の言葉(Alpinist誌から引用したもの)が本書4箇所にわたり引用されていることである。
そのうちの一つは章の冒頭を飾る。引用しよう。

I love to draw beautiful lines as simply and silently as possible...
- Kei Taniguchi, "Being with the Mountain"

古今東西、とくに欧米にはアルパインスタイルのスーパースターともいえるクライマーがキラ星のように存在しているはずなのだが、著者 Bernadette McDonald女史はクルティカの心情・山に対する姿勢を表現するために谷口けい女史の言葉を選んだ。
まぎれもなく谷口けい女史の再評価であり、あらためて故人の不慮の死が悔やまれる。

人生の後半を迎えて

本書は若いアルパインクライマーだけでなく、むしろオールドクライマーの皆様にお勧めしたい。
年を取りヒマラヤでの活躍から身を引いたボイティク・クルティカは、スポート・クライマーとして困難なフリーソロを果たすなどするが、本書後半では少しずつ家庭人としておさまっていく姿が描かれている。

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愛娘Agnes とともに

娘いわく「仕事(自営の貿易業)の出張なのか、遠征登山なのか、出かければわからなかった」と言い、息子は「遠征登山の帰りはイキイキしてたのですぐわかる」と言う。男と女の違いなのか?
ボイティク・クルティカは家庭では躾にうるさい親であり、娘はことあるごとに反抗していたという。
アルパインスタイルは経験してなくても、この部分は共感する読者は多いのではないか(笑)

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家庭ではガーデニングを趣味とするボイティク・クルティカ。
娘のAgnesいわく、「自然に対する愛情は父親譲り」という。この部分だけでも見習いたいものです。

登山のパートナーを死なせなかったことを誇りとするボイティク・クルティカですが、私生活では2度離婚し結婚生活は破綻しています。世界各国の登山家から最高のクライマーと称されるクルティカも、女性に関し(以下省略)

本書は、渋っていたピオレドール生涯功労賞を受諾するまでが描かれています。
山岳雑誌や山岳本でその登山哲学を知ることは出来ますが、「人間としてのボイティク・クルティカ」を知りたい方、アルパインスタイルで素晴らしい業績を重ねてきた真の登山家の生き方を知りたい方、ぜひ本書をどうぞ。

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Wild Country : The man who made Friends

Wild_2 Mark Vallance著 『 Wild Country : The man who made Friends 』 (ワイルドカントリー フレンズを世に送り出した男) を読む。
 クライミングのカミングデバイス、「フレンズ」開発者といえば、レイ・ジャーディンを思い起こす方がほとんとであろう。
 この本はフレンズを「商品」として創り、ワイルドカントリー社を創業したマーク・バランス氏の自伝である。

 バランス氏の生い立ちから語られるのだが、なんといっても注目されるのはフレンズが製品化されるまでのストーリーであろう。
 クライマーな皆様はご存じのとおり、フレンズそのものを開発したのはアメリカ人クライマーであるレイ・ジャーディン氏であるが、それを製品化し、商品として世に送り出すため奔走したのがイギリス出身でやはりバリバリのクライマーであったマーク・バランス氏である。
 
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山岳博物館に保存されている、レイ・ジャーディン氏によるフレンズ初期の試作品(本書掲載写真)

 バランス氏が初めて試作品を手にし、クライミングに用いたのが1975年、場所はヨセミテのワシントンコラム。
 知られているエピソードどおり、試作品は周囲のクライマーたちには秘密にされ、青い袋に入れて持ち運ばれ、「フレンズ」と呼ばれていた・・・という経緯はあっさりと記述されている。
 本書によれば、レイ・ジャーディン氏は「フレンズ」以前に「グラバーズ」(grabbers、つかむやつ、ひったくり の意)と呼んでいたことが紹介されている。
 この呼び名に対してバランス氏は「あんまりイケてない」と不評だったようです。
 何かのはずみで、もしかしたら「フレンズ」は商品名「グラバーズ」になっていたのかもしれません。

 ジャーディン氏が開発した「フレンズ」、これを製品として生産し、流通させるため、ジャーディン氏とともにバランス氏の奮闘が始まります。
 デザインの改良、それに伴うスプリング、カム、本体の材料となるアルミ合金の選定、調達、金属を加工する技術者探し、会社「ワイルドカントリー」創設、それにともなう法人税etc、etc・・・・

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ワイルドカントリー社創業に際して書き込まれた、会社のクリティカル・パス。(本書掲載画像) 拡大してみられないのが残念・・・

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新工場設立時の記念写真、前列中央の男性がマーク・バランス氏。
中列、左から6人目、濃いスーツ姿の男性は名クライマーであるジェリー・モファット氏。

 こうして世に送り出された「フレンズ」がクライマーに受け入れられ、さらにキャメロットなど類似製品が続いたことはクライマーの皆様ご存じのとおり。本書には、ギアマニアならたまらないエピソードが満載である。
 営業活動を兼ねて日本山岳会の招聘で来日した際のエピソードも、詳しく書かれている。
 来日時に日本側の同行者として、バランス氏にとって深く印象に残っているのが坂下直枝氏。冬季アンナプルナに単独で挑んだクライマー、そして「綺麗な英語を話しユーモアに長けた人物」として評価されている。やっぱり英語とユーモアって大切なんですね。
 バランス氏は坂下氏らと谷川岳でクライミングを楽しむ・・・はずだったのだが、そこで転落事故に遭遇。坂下氏の活躍で遭難者は搬送されるが、バランス氏は谷川岳の遭難碑、あの600名以上の名前が連なる石碑を、驚きをもって描いている。

 バランス氏はビジネスを軌道に乗せた後、自分の夢絶ちがたく、ラッセルブライスら率いる商業公募隊に参加してヒマルチュリ、シシャパンマ、ブロードピークなどに遠征。

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ヒマルチュリを登高中のマーク・バランス氏

そしてクライミングは人工壁全盛の時代を迎え、人工壁に関するビジネスを手掛けるようになる。
イギリスでは1961年に既に人工壁の先駆けとなる壁が作られていたことが明らかにされている。

クライマーとして世界中の壁、チベット、ネパール、カラコルムの山を登り、ビジネスをこなすバランス氏。
そんな氏を病魔が襲う。パーキンソン病である。
パーキンソン病が進行しながらも、イギリス中を巡るサイクリングに熱中するなどアウトドアに活躍する氏。
しかし病は進行する。
少しずつクライミングにも限界を感じ、そんな自分を受け入れ、「人工壁を登った後、早めにパブで一杯やる」という氏。
そして2012年、ワイルドカントリー社のサレワへの買収。

マーク・バランス氏は最終章において、「夢」の存在を熱く語る。
パーキンソン病にむしばまれても、夢が幻のようになろうとも、クライミングの如く重力に逆らうように諦めない。

読み進んでいる間、私は本書はギアマニアにお勧めの本だと思っていた。
読了後はまったく違う感想を抱いた。

我々が普段用いているギアが、いかなる情熱の下に産み出されてきたのか。
登山、クライミング、そして仕事。そのバランスをとって生きていくことの困難さ、そのやりがい。
本書はマーク・バランスというクライマー、ビジネスマンの自伝という形で、クライミング(登山)のある人生の素晴らしさを教えてくれる。

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UP AND ABOUT

事実は小説より奇なり。

1930年代のイギリス。
若い女性が占い師に未来を占ってもらった。
占い師は語った。
『輝くボタンが付いた服を着た男性と結婚して、3人の子供を授かるだろう。 長男はとても高い所、世界を見渡すような高いところで災難に遭うだろう。』

女性はやがて、光るボタンの制服を着た警察官と結婚した。
3人の子供を授かり、長男は成長し、やがて登山家になった。
登山家は1975年、世界最高峰エベレストの南西壁を初登攀し、夕暮れの頂上に立ち、南峰でシュラフも酸素ボンベも無しのビバークを迫られることになる。
まさに、世界を見渡すような、高いところで。
その登山家の名前は、ダグ・スコット。

『UP AND ABOUT』。
イギリスの登山家、ダグ・スコットの自伝である。

Up 既に『ビッグウォール・クライミング』や『ヒマラヤン・クライマー』などの名著を書いたダグ・スコットだが、自らの出自を書くのはこの書が初めてということで、イギリスのクライミングサイトでも話題になった同書。

 几帳面な性格らしく、その生い立ちから詳細に記されている。

 自伝を読んであらためて思うのは、アルパインスタイルの確立者として日本では知られるダグ・スコットは、そもそもはビッグウォール・クライマーだということだ。
 休暇の範囲で通える手頃な山域として北アフリカ・モロッコのアトラス山脈に通い続け、次第にヨーロッパ各地の岩壁に挑むようになり、やがてアメリカ・ヨセミテに渡る。
 
 時代はまさにロイヤル・ロビンスやウォーレン・ハーディングがバリバリ活躍していた頃。

 ロイヤル・ロビンスが、イギリス人クライマー達がプロテクションとして使う工業用ナットに興味を示す。「これなんだい?」
 ドン・ウィランスが答える。「今、イギリスでこれが流行っているんだ」

 クライミングギア・ナッツが製品化される前の一場面である。
 ナッツ等のギアに関する話だけではない、ヨセミテのビッグウォールクライミング黎明期の雰囲気が活き活きと描かれている。
 ダグ・スコットは世界各地をまわり、各地の山や岩壁で経験を積んでいく。
 その出発点は、幼少の頃から地理・歴史の教師に多大な影響を受けたことに始まる。
 本書の各所に各国の社会背景や歴史事情がちりばめられていることからも、そのことがうかがえる。

 日本の山屋ならかなり多くの人が読んでいるだろう名著『ビヨンド・リスク』。
 その中でダグ・スコットは日本人のヒマラヤ登山をかなり辛辣に批判しているので、私は正直あまりいい印象を抱いていなかった。
 しかしそれは大きな誤解であることがわかる。
 本書を読んで特に印象に残るのは、日本および日本人との交流の場面である。

 1967年、ダグはヒンズークシュのコー・イ・バンダカー(6812m)南壁を登攀した際、同時期に入山していた日本の中央大学山岳部隊に親切に接してもらう。
 それが縁で、ダグはイギリスの自宅に中央大学山岳部隊の隊長「イタクラ」教授を招く。
 
 しかし時は1960年代、ダグの近所には、太平洋戦争時にシンガポールの捕虜収容所で日本軍から虐待を受けた元軍人が住んでいた。
 その元軍人から「なんでジャップがお前の家にいるんだ?」
 と詰め寄られる。
 ダグは冷静に、アフガニスタンでいかに親切にしてもらったかを語る。
 単なる登山家ではなく、国際人としての見識をわきまえた人物、それがダグ・スコットである。

Itakura
1967年、ヒンズークシュにて中央大学山岳部「イタクラ」教授との交流

 この自伝は「伝説」のバインターブラック峰遠征は収録されておらず、エベレスト南西壁登攀成功までが描かれているのだが、エベレストに関する記録、特に日本山岳会隊の南西壁の記録はクライマーの人名まで事細かに記されている。
 自身の南西壁遠征にあたり日本隊の記録は相当研究していたはずだが、立教大学ナンダコット遠征から始まる日本登山史の概要まで記されており、エベレストにとどまらず日本の登山界に相当の関心があったのだろう。

Dohal
第6キャンプを出発、エベレスト南西壁を登り頂上を目指すドゥーガル・ハストン

 本書の圧巻はなんといっても1975年のエベレスト南西壁遠征である。
 ハミッシュ・マッキネスはじめ猛者ぞろいの遠征隊。
 微妙な人間関係の中でクリス・ボニントンがリーダーシップを発揮、そしてダグ・スコット、ドゥーガル・ハストンが頂上をめざす。

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1975年、エベレスト南西壁遠征時のダグ・スコット

 日本でダグ・スコットを尊敬するクライマーは多い。
 だがそれは、岩雪あたりのクライミング記録を目にしただけの結果ではないだろうか。(私もそうでした)

 そんな皆さんにはぜひダグ・スコット自伝『UP AND ABOUT』を読んで欲しい。
 クライミング・遠征記録にはでてこない、ダグ・スコットのあらたな魅力「人間像」が明らかになるだろう。
 ダグ・スコットを知らない若い世代にもぜひ読んで欲しい。
 ヒマラヤにおけるアルパインスタイルを確立した、「真の登山家」の姿を知ることになるだろう。

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