鳥海山・山麓にて

酒田市・八幡神社の神事を見学させていただいた後、鳥海山に向かう。

庄内地方に来てみると、正月飾りも私が住む内陸地方とは全く異なる。
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酒田市(旧・八幡町)市条にて。ナンテン、松、「だだちゃ豆」で知られる庄内らしく大豆も飾られている。

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山形県内も市販の正月飾りがほとんどですが、鳥海山山麓・旧八幡町上黒川地内にて。伝統的な正月飾り。しめ縄に干し柿が二つ飾られているのが特徴的です。

で、肝心の鳥海山は・・・

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天候ごきげんナナメ。
スノーシューを履き、新規購入した装備の試用のため鳥海高原をウロウロ歩く。
さすが冬の庄内、強い風と激しい霰に追われ、今日のお散歩は終わりです。

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さよなら2017年

2017年ももうすぐおわり。

皆様にとってどんな一年でしたでしょうか。

私にとっては、なんといっても栃木県・那須の高校山岳部員の生徒達、顧問の先生が亡くなった雪崩事故が心に残ります。

様々な意見、有名・無名を問わず多くの登山者からコメントがあがる中で、ブログに書こうと思いつつ書けないでいたことを、まとまりもなく書いておきます。

私が登山を始めたのは、山形県立山形南高校山岳部に入部してから。
山岳部では冬山もやっていましたので、中学卒業したばかりの15歳から冬山をやっていたことになります。

私が二年生の時、蔵王での冬山合宿から下山して数日経った時のこと。
すれ違いに入山した某高校山岳部の生徒が、ビバーク訓練中、入っていた雪洞が立木からの落雪で埋まり、1名が亡くなる事故がありました。

そのとき、顧問の教師は隣接した山小屋に滞在していました。

この事故が民事裁判に至らなかったのは、亡くなられた生徒のお父様が同じ教職員だったから、と伺いました。

「蔵王なんて・・・」と思っていた当時高校生で生意気だった私は、冬山では「死」は身近にあり得ることを痛感しました。

その後も、私が在籍する山形南高校では冬山合宿を続けることができました。
私達が冬山に行くことができた理由の一つに、顧問の教師が山形県山岳連盟でそれなりの地位にいる方だったことが大きかったようです。
山形県では、高校山岳部の顧問が県の登山界において指導的立場にある方だったという、全国的にも特殊なケースにあたると思います。

そんな中で、高校生から冬山を経験できたということが、今からみれば随分と恵まれた環境だったのだな、とあらためて考えると同時に、栃木県の事故報道を見聞きした際、高校生当時の、あの「無力感」にも似たような感情に襲われました。

五輪競技採用でクライミングに関してはクライマーの低年齢化が進む一方、冬山登山に関してはそのリスクゆえ禁止が言い渡される。
そのアンバランスさに、今後の日本の登山界の行く末を末端登山者として案じています。

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一昨年から、普段聴いている音楽は「エピック」というジャンルの音楽を聴くようになりました。
仕事から宿に戻って一息ついている時や、山の帰りの車中などで聴いてます。

エピックのジャンルから少し長いのですが、Two Steps From Hellの Never Give up on Your Dreamsの動画をアップして、2017年最後の記事アップにします。

検索でたまたまご覧になった方、よくご覧いただいている方、今年も多くの方に当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
皆様、どうぞよい年末年始をお過ごし下さい。

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故・遠藤博隆氏を見送る

西川山岳会の重鎮・遠藤博隆氏の葬儀に参列。

関東・東北ではその名がとどろくアルパインクライマー遠藤さんだが、当ブログをご覧のハイカーの皆様には、朝日連峰・竜門小屋の名物管理人と書いた方がわかりやすいだろうか。

先日の寒波で猛吹雪の夜、1人で国道を運転している最中に、突然の訃報を受け取る。
難病・肺線維症による急逝だった。

葬儀はご遺族遠藤家と西川山岳会の合同葬として執り行われ、遠藤さんの人柄を偲んで多数の山岳関係者が集っていた。
葬儀開始前の会場には、遠藤さんがガイド役を務めたテレビ番組「日本百名山」のVTRが流され、視聴する。

以前のブログでも書いた
が、遠藤さんは登山のために会社は絶対休まない、という方針を貫いた方だった。

ちょうど私がガイド資格を取得する前、自身の会社員ととしての能力にも疑問を抱いていた頃に遠藤さんと話をしたので、とても印象に残っていた。

鎌倉山のゲレンデや仙人沢のアイスに連れて行ってもらったが、私はクライミングは下手っぴなので、遠藤さんも随分あきれていたに違いない。

そんな私でも、ガイドで竜門小屋に立ち寄ると、

「よっ、大滝くん、久しぶり!」

と、いつもの滑舌のいい通る声で声を掛けてくれるのだった。

葬儀では、友人代表として西川山岳会事務局・佐藤さんの挨拶が涙なしには聴けなかった。
エベレスト壮行会で佐藤さんと話を交わしたとき、随分と遠藤さんのことを気遣っておられた。
遠藤さんの周囲には、いい仲間が集まるのだなあ、と思った。

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葬儀会場を後にして、雨まじりの寒い夕暮れを家に向かう。

頭の中では、Tristeria の『 Sisyphus 』が何度も頭の中を流れていた。

ギリシャ神話のシシュホスの如く、幾度も苦しい思いをして登攀し、尾根を登り、下るを繰り返す者たちが集った今日の会場。
シシュホスと違うのは、そこに喜びがあり、仲間がいるということだ。

竜門小屋管理人の遠藤さん、安らかに。

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月山・姥沢口の県道通行止め 【2017年11月2日現在】

所属する月山朝日ガイド協会からの告知です。
10月30日の降積雪のため、姥沢登山口に通じる県道が早めに閉鎖になりました。

以下引用開始
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 志津から姥沢に向かう県道は、当初11/6の冬季閉鎖予定でしたが、10/30の積雪のため、早めに閉鎖になりました。志津の積雪はすぐ消えましたが、姥沢は積雪が残っている可能性があります。
 博物園入り口のところで閉鎖となっていますので、ご注意ください。
 また、強い寒気が入ると博物園までの道路や、国道112号もいつ積雪するかわかりませんので、夏タイヤの方は天気予報や国道ライブカメラなどチェックして無理のないようお願いします。

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以上引用おわり

山形県の庄内・内陸を結ぶ国道112号線では既に降雪がみられています。
山越えして晩秋の登山を計画されている方、道路状況にはじゅうぶんご注意ください。

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スパッツ

山形美術館を出た後、天童の登山用品店マウンテンゴリラを訪れる。

ガイド山行中に、長年愛用していたロングスパッツが「ピリッー」と派手な音をたてて刈りはらわれた枝先で裂けてしまった。

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RIPENのロングスパッツを購入。
前に愛用していたのはかなり旧モデルの、ICI石井オリジナル製品でゴアの薄手生地の製品だった。
今回は生地の厚いRIPENを選択してみる。
信頼できるアドバイザーである店主の誉田さんも「俺も使っている」というのでためらいなく購入。
このスパッツも、長いつきあいになりそうです。

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2017年9月日記 予約の取れない医者

9月12日、平日。
所用のため公休を取得していたのだが、予定がキャンセルとなったため、急遽、ゆうき整形外科に電話をいれ、空いていたので速攻で予約。

今年の初めから左肩を故障していた。
日常生活にさほど支障はないのだが、左腕を後方にそらすと激痛が走る。
そのため、今冬から服を着るにも左腕から、ザックを背負うにも左腕から入れていた。
現場作業だけでなく、登山活動・ガイド活動中に万一左腕の激痛で致命的な事故を起こすとも限らない。

以前にもお世話になったゆうき整形外科、とにかく電話してもなかなか予約が取れない。
普通の整形外科と違い、診察の後、理学療法士らによる丁寧なケア・リハビリ指導が受けられる。
県内外のプロ・アマのアスリートが通い、さらに一般の患者さんも来訪するため常に混んでいるのだ。

仕方なく、以前にやはり別の機会に通った整形外科で診察をうけたが、『五十肩ですね』と診断され、精神的ダメージも受ける(笑) 特にリハビリ方法も指導されることもなく、塗り薬と鎮痛剤を処方されて終わり。

やはり一度ゆうき整形外科で診てもらいたく、12日の午後から空いていたので診察を受ける。
細かくポーズを指定されてレントゲン写真を撮り、医師から診察。
診察の結果、五十肩ではなく肩関節がやや縮まっていること、肩の棘下筋(きょくかきん)、小円筋(しょうえんきん)を鍛えて関節を正常な位置に戻すことが必要、とアドバイスを受ける。

ここで診察は終了、一度待合室に戻る。
ゆうき整形外科の待合室の楽しみは、
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日本ヒマラヤ協会の会誌のバックナンバーが読めること。
以前と異なり、中央ヨーロッパ勢のヒマラヤ登山記事の翻訳が増えて嬉しい。
何より、山森欣一氏の論評が読めるのが嬉しい。
池田常道氏の記事は事実の積み重ねだが、山森氏の記事には思索がある。8000m峰冬季登頂の「冬季」の定義に関する議論に考えさせられる。

楽しい読書時間はリハビリ室からの呼び声で終了。
理学療法士の方から、私の筋肉の状態を探るため、触診や実際に可動域を確認したりしていただく。
その後、「このような動きを試してみて下さい」と、幾つかのストレッチ法を伝授してくれた。

まあ年齢も年齢ですし、私はまだまだ現役でいたいので、地道なリハビリに励みたいと思います。

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【告知】 つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生

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表題の「つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生」と題して、私がお世話になっているNPO法人 月山エコプロの真鍋雅彦氏 (日本山岳ガイド協会認定山岳ガイド、東北マウンテンガイドネットワーク所属) がゲストスピーカーとして登壇予定です。

「つまむやまがた人」とは、「魅力あるやまがた人から暮らしの楽しみ方を学ぶワークショップ」とのこと。
PRとして

「将来の進路に迷っている人、山のガイドってどんな仕事か知りたい人、豊かな人生ってなんだろうと思っている人におすすめ」

とのことです。
山岳ガイドのトークショーといえば、なぜかセックスと薬物に彩られた凶悪犯罪都市・東京で開催されることが多いのですが、今回の真鍋さんのトークショーは東北の地方都市・山形では貴重な、山岳ガイドの生の声を聴ける機会でしょう。
山好きな方、ガイド志望の若い方、ぜひ立ち寄ってみてください。

主催 やまがた藝術学舎市民活動メンバー
共催 東北芸術工科大学
会場 やまがた藝術学舎(旧山形県知事公舎・公館)
日程 2017年10月7日(土)
時間 14:00~16:00 (開場は開会時間の30分前から)

チラシ内容はこちら(PDFファイル)「tumamuyamagata20171007.pdf」をダウンロード

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晩夏の泉ヶ岳 

土日。
所用で老母の送迎があるため、時間のかかる山に行けそうにない。
土曜日に雑事を済ませ、日曜、老母を車で送った後、宮城県に移動。
泉ヶ岳(1175m)に登る。

スキー場のゲレンデをさっさと登り、岡沼を越えてカモシカコース上部へ。

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以前、ガイド山行で仙台のお客様が
「泉ヶ岳は仙台市民の心の山です」とおっしゃっていた。
そのきっばりとした口調に、登高意欲をそそられたのだった。

正直「1000m少しのハイキングの山だろ」と思っていたが、カモシカコース上部の急登でしっかり汗を絞られる。

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登山コースも山頂も、登山者で大賑わい。
帰路は水神コースを下山したが、急勾配のルートにもかかわらず大勢のハイカー達とすれ違い、水神の石碑がある地点でも多くの人々が昼食休憩をとっている。
なるほど、仙台市民に愛されている山である。

昼過ぎに下山、車で奥羽山脈を越えて所用のため朝日少年自然の家を訪問。
それからまた山形盆地を横断し、東根市へ。

もう数年前から気になっていたのだが、

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県道脇に立つ、「かたい桃あります」の看板。

ウチの娘、固い桃が大好き。
缶詰のシロップ漬けの果物は嫌い、生食が好き、と贅沢な娘に育ってしまいました。

訪れたお店で「固い桃ありませんかぁ~」とたずねようとしたら、

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無人販売店でした。
ここで「ゆうぞら」という品種の桃6つで500円を購入。

交通量の激しい県道脇の無人販売だし、質の低い桃かなぁ~と思いましたが、帰宅して味見してみるとなかなかの固さと甘みでした。
東北地方も、これから秋の味覚の時期に突入~

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月山、強風。

9月3日、ガイド山行のため月山に入山。

ここのところハードな現場続き。
帰宅してメシ喰って寝る、という「大人ロンパールーム」な生活に浸っていたが、ガイドの予定は入っているので隙間時間を作って山行の準備を進める日々。

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台風の影響で強風とガスの中、どうにか山頂に到達。

今回は福島県某町、東日本大震災後に町民のレクレーション活動団体として発展したNPO団体のお客様。
6~7人ずつの6グループに分かれ、ガイドも6人出動。

折からの強風・低温のため、昼は山頂小屋でゆっくりすることになった。
ゆっくりといっても、他の一般登山客も休憩のため山頂小屋に集中し、大混雑。
お客様たちがテーブルについた後、もう私の座るスペースは無かった。

「大滝さん、こっち」
と、今回一緒になった田中ガイドに呼ばれる。
山頂小屋おかみさん、ご主人のご配慮で、奥の部屋をガイド用に使わせていただいた。
さらにナメコ汁もごちそうになる。

ガイドの特権などというものは意識せず、ガイドを職業として認識していただいていることに感謝する。
缶詰物ではない、地物の、土の香りがするナメコ汁。
ナメコ汁で暖まる身体に、どれだけ自分が「冷え」に無頓着であったかを反省しながらの昼食休憩。

参加者皆様の脚がそろっていたおかげで、予定よりも早く下山。
登山口で撮りたかった写真があった。

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イタドリの花。
姥沢登山口、駐車場からリフト乗り場までの車道脇を彩っているが、これから月山に向かう人、下りてきた人、どなたからも関心を向けられないようだ。
鮮やかに白く咲いた花に興味をもち、調べてみるとイタドリの花でした。

お客様たちを見送り、私たちガイドグループも解散。
一仕事終えた安堵感とともに帰宅すべく国道を走っていると、スマホに録音した音楽が中断され、電話の着信。
某団体様より、今秋予定のガイド山行目的地に関する問い合わせの電話。
紅葉シーズンにむけて、まだまだ息つく間はないみたい。

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故・池田拓氏と出会う時

鳥海山から下山後、どうしても寄りたい場所があった。
酒田市の「眺海の森」に立ち寄る。

銅像といえば、日本では代議士の爺などスノビズムの象徴なのだが、そこには若くして亡くなった、ある若者の銅像が立っている。

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故・池田拓氏の銅像。
数珠を手にして、私は銅像と対峙する。

池田拓。
山形・庄内を代表する岳人、池田昭二氏のご子息である。
1988年から3年かけて、北米大陸の徒歩横断、南米大陸の徒歩縦断を果たす。
帰国後、鳥海山に計画されているリゾートスキー場建設反対・自然保護活動に傾倒。
アメリカで森林生態学を学ぶべく、資金稼ぎの建設現場で事故に遭い、1992年逝去。享年26歳。

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彼の足跡を印した石碑も設置されている。

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銅像制作はやはり庄内出身の彫刻家・石黒光二氏。
ザックのロゴ「MILLET」もそのままに、写実的な彫刻で池田拓氏が再現されている。

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それは私が2度目の8000m峰遠征に敗退し、目標もなく過ごしていた頃の話だ。
私宛に一通の郵便物が届いた。

差し出し人は東北では有名な無明舎出版。
内容は、故・池田拓氏の冒険の手記 『南北アメリカ徒歩縦横断日記』 出版のお知らせだった。

不審に思った。
なぜ池田拓氏の手記の出版案内が、私のもとに届くのだろうか。
8000m峰遠征で地元・山形新聞社や山形放送に好意的な記事でとりあげていただいたとはいえ、私は諸般の事情で山形県山岳連盟はじめ社会人山岳会とは一切関係を持たない、いわば「外様(とざま)」の人間だった。

あまりにも不審に思ったので、無明舎出版に電話をかけ、なぜ私に出版案内が届いたのか直接たずねてみた。
無明舎出版担当者のご返事は、「池田昭二氏のご意向です」という。

庄内を代表する岳人として池田昭二氏のお名前は知っていたが、私は面識は無い。
ここで池田氏に直接連絡をとるべきだったのだが、人間のできてない私はそれを怠り、年月が過ぎ、2011年、池田昭二氏も逝去された。もはや、その真意を知る術は無い。

池田拓氏が不慮の事故で逝去したのが26歳。
私が8000m峰の頂きに立とうともがき苦しみ、敗退して帰国したのが26歳。
池田氏はそんな26歳の若造だった私に、何か伝えたかったのだろうか。

そして今日、ようやく私は池田拓氏の銅像と対面することができた。

彼が生きていれば、自然保護活動家として活躍が期待された、と知る人はいう。
一方、私は8000m峰から帰国してダム建設現場を経験し、アウトドアライターのおぼっちゃん共と違い、ダム・道路建設は「社会資本の整備」と考えている。
池田拓氏が生きていれば、一緒に酒を酌み交わすよりも、会議場で殴り合う間柄になっていただろう、と私は思っている。

彼が建設現場で亡くなった、というのも、現場作業に生きる私には痛ましい事実である。
同世代で「夢」を語れる人間は、地方都市の山形には残念ながら少数だ。
殴り合う仲であろうと、もし生きていてくれれば、その少ない人間になっていてくれたのではないか。

夕暮れ、銅像を離れ、車に乗り込む。
私は感傷的な人間ではない。
帰路の車中、スマホに録音した古今亭志ん朝の落語を聴きながら、遠い自宅を目指した。

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