スパッツ

山形美術館を出た後、天童の登山用品店マウンテンゴリラを訪れる。

ガイド山行中に、長年愛用していたロングスパッツが「ピリッー」と派手な音をたてて刈りはらわれた枝先で裂けてしまった。

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RIPENのロングスパッツを購入。
前に愛用していたのはかなり旧モデルの、ICI石井オリジナル製品でゴアの薄手生地の製品だった。
今回は生地の厚いRIPENを選択してみる。
信頼できるアドバイザーである店主の誉田さんも「俺も使っている」というのでためらいなく購入。
このスパッツも、長いつきあいになりそうです。

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2017年9月日記 予約の取れない医者

9月12日、平日。
所用のため公休を取得していたのだが、予定がキャンセルとなったため、急遽、ゆうき整形外科に電話をいれ、空いていたので速攻で予約。

今年の初めから左肩を故障していた。
日常生活にさほど支障はないのだが、左腕を後方にそらすと激痛が走る。
そのため、今冬から服を着るにも左腕から、ザックを背負うにも左腕から入れていた。
現場作業だけでなく、登山活動・ガイド活動中に万一左腕の激痛で致命的な事故を起こすとも限らない。

以前にもお世話になったゆうき整形外科、とにかく電話してもなかなか予約が取れない。
普通の整形外科と違い、診察の後、理学療法士らによる丁寧なケア・リハビリ指導が受けられる。
県内外のプロ・アマのアスリートが通い、さらに一般の患者さんも来訪するため常に混んでいるのだ。

仕方なく、以前にやはり別の機会に通った整形外科で診察をうけたが、『五十肩ですね』と診断され、精神的ダメージも受ける(笑) 特にリハビリ方法も指導されることもなく、塗り薬と鎮痛剤を処方されて終わり。

やはり一度ゆうき整形外科で診てもらいたく、12日の午後から空いていたので診察を受ける。
細かくポーズを指定されてレントゲン写真を撮り、医師から診察。
診察の結果、五十肩ではなく肩関節がやや縮まっていること、肩の棘下筋(きょくかきん)、小円筋(しょうえんきん)を鍛えて関節を正常な位置に戻すことが必要、とアドバイスを受ける。

ここで診察は終了、一度待合室に戻る。
ゆうき整形外科の待合室の楽しみは、
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日本ヒマラヤ協会の会誌のバックナンバーが読めること。
以前と異なり、中央ヨーロッパ勢のヒマラヤ登山記事の翻訳が増えて嬉しい。
何より、山森欣一氏の論評が読めるのが嬉しい。
池田常道氏の記事は事実の積み重ねだが、山森氏の記事には思索がある。8000m峰冬季登頂の「冬季」の定義に関する議論に考えさせられる。

楽しい読書時間はリハビリ室からの呼び声で終了。
理学療法士の方から、私の筋肉の状態を探るため、触診や実際に可動域を確認したりしていただく。
その後、「このような動きを試してみて下さい」と、幾つかのストレッチ法を伝授してくれた。

まあ年齢も年齢ですし、私はまだまだ現役でいたいので、地道なリハビリに励みたいと思います。

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【告知】 つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生

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表題の「つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生」と題して、私がお世話になっているNPO法人 月山エコプロの真鍋雅彦氏 (日本山岳ガイド協会認定山岳ガイド、東北マウンテンガイドネットワーク所属) がゲストスピーカーとして登壇予定です。

「つまむやまがた人」とは、「魅力あるやまがた人から暮らしの楽しみ方を学ぶワークショップ」とのこと。
PRとして

「将来の進路に迷っている人、山のガイドってどんな仕事か知りたい人、豊かな人生ってなんだろうと思っている人におすすめ」

とのことです。
山岳ガイドのトークショーといえば、なぜかセックスと薬物に彩られた凶悪犯罪都市・東京で開催されることが多いのですが、今回の真鍋さんのトークショーは東北の地方都市・山形では貴重な、山岳ガイドの生の声を聴ける機会でしょう。
山好きな方、ガイド志望の若い方、ぜひ立ち寄ってみてください。

主催 やまがた藝術学舎市民活動メンバー
共催 東北芸術工科大学
会場 やまがた藝術学舎(旧山形県知事公舎・公館)
日程 2017年10月7日(土)
時間 14:00~16:00 (開場は開会時間の30分前から)

チラシ内容はこちら(PDFファイル)「tumamuyamagata20171007.pdf」をダウンロード

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晩夏の泉ヶ岳 

土日。
所用で老母の送迎があるため、時間のかかる山に行けそうにない。
土曜日に雑事を済ませ、日曜、老母を車で送った後、宮城県に移動。
泉ヶ岳(1175m)に登る。

スキー場のゲレンデをさっさと登り、岡沼を越えてカモシカコース上部へ。

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以前、ガイド山行で仙台のお客様が
「泉ヶ岳は仙台市民の心の山です」とおっしゃっていた。
そのきっばりとした口調に、登高意欲をそそられたのだった。

正直「1000m少しのハイキングの山だろ」と思っていたが、カモシカコース上部の急登でしっかり汗を絞られる。

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登山コースも山頂も、登山者で大賑わい。
帰路は水神コースを下山したが、急勾配のルートにもかかわらず大勢のハイカー達とすれ違い、水神の石碑がある地点でも多くの人々が昼食休憩をとっている。
なるほど、仙台市民に愛されている山である。

昼過ぎに下山、車で奥羽山脈を越えて所用のため朝日少年自然の家を訪問。
それからまた山形盆地を横断し、東根市へ。

もう数年前から気になっていたのだが、

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県道脇に立つ、「かたい桃あります」の看板。

ウチの娘、固い桃が大好き。
缶詰のシロップ漬けの果物は嫌い、生食が好き、と贅沢な娘に育ってしまいました。

訪れたお店で「固い桃ありませんかぁ~」とたずねようとしたら、

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無人販売店でした。
ここで「ゆうぞら」という品種の桃6つで500円を購入。

交通量の激しい県道脇の無人販売だし、質の低い桃かなぁ~と思いましたが、帰宅して味見してみるとなかなかの固さと甘みでした。
東北地方も、これから秋の味覚の時期に突入~

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月山、強風。

9月3日、ガイド山行のため月山に入山。

ここのところハードな現場続き。
帰宅してメシ喰って寝る、という「大人ロンパールーム」な生活に浸っていたが、ガイドの予定は入っているので隙間時間を作って山行の準備を進める日々。

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台風の影響で強風とガスの中、どうにか山頂に到達。

今回は福島県某町、東日本大震災後に町民のレクレーション活動団体として発展したNPO団体のお客様。
6~7人ずつの6グループに分かれ、ガイドも6人出動。

折からの強風・低温のため、昼は山頂小屋でゆっくりすることになった。
ゆっくりといっても、他の一般登山客も休憩のため山頂小屋に集中し、大混雑。
お客様たちがテーブルについた後、もう私の座るスペースは無かった。

「大滝さん、こっち」
と、今回一緒になった田中ガイドに呼ばれる。
山頂小屋おかみさん、ご主人のご配慮で、奥の部屋をガイド用に使わせていただいた。
さらにナメコ汁もごちそうになる。

ガイドの特権などというものは意識せず、ガイドを職業として認識していただいていることに感謝する。
缶詰物ではない、地物の、土の香りがするナメコ汁。
ナメコ汁で暖まる身体に、どれだけ自分が「冷え」に無頓着であったかを反省しながらの昼食休憩。

参加者皆様の脚がそろっていたおかげで、予定よりも早く下山。
登山口で撮りたかった写真があった。

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イタドリの花。
姥沢登山口、駐車場からリフト乗り場までの車道脇を彩っているが、これから月山に向かう人、下りてきた人、どなたからも関心を向けられないようだ。
鮮やかに白く咲いた花に興味をもち、調べてみるとイタドリの花でした。

お客様たちを見送り、私たちガイドグループも解散。
一仕事終えた安堵感とともに帰宅すべく国道を走っていると、スマホに録音した音楽が中断され、電話の着信。
某団体様より、今秋予定のガイド山行目的地に関する問い合わせの電話。
紅葉シーズンにむけて、まだまだ息つく間はないみたい。

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故・池田拓氏と出会う時

鳥海山から下山後、どうしても寄りたい場所があった。
酒田市の「眺海の森」に立ち寄る。

銅像といえば、日本では代議士の爺などスノビズムの象徴なのだが、そこには若くして亡くなった、ある若者の銅像が立っている。

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故・池田拓氏の銅像。
数珠を手にして、私は銅像と対峙する。

池田拓。
山形・庄内を代表する岳人、池田昭二氏のご子息である。
1988年から3年かけて、北米大陸の徒歩横断、南米大陸の徒歩縦断を果たす。
帰国後、鳥海山に計画されているリゾートスキー場建設反対・自然保護活動に傾倒。
アメリカで森林生態学を学ぶべく、資金稼ぎの建設現場で事故に遭い、1992年逝去。享年26歳。

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彼の足跡を印した石碑も設置されている。

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銅像制作はやはり庄内出身の彫刻家・石黒光二氏。
ザックのロゴ「MILLET」もそのままに、写実的な彫刻で池田拓氏が再現されている。

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それは私が2度目の8000m峰遠征に敗退し、目標もなく過ごしていた頃の話だ。
私宛に一通の郵便物が届いた。

差し出し人は東北では有名な無明舎出版。
内容は、故・池田拓氏の冒険の手記 『南北アメリカ徒歩縦横断日記』 出版のお知らせだった。

不審に思った。
なぜ池田拓氏の手記の出版案内が、私のもとに届くのだろうか。
8000m峰遠征で地元・山形新聞社や山形放送に好意的な記事でとりあげていただいたとはいえ、私は諸般の事情で山形県山岳連盟はじめ社会人山岳会とは一切関係を持たない、いわば「外様(とざま)」の人間だった。

あまりにも不審に思ったので、無明舎出版に電話をかけ、なぜ私に出版案内が届いたのか直接たずねてみた。
無明舎出版担当者のご返事は、「池田昭二氏のご意向です」という。

庄内を代表する岳人として池田昭二氏のお名前は知っていたが、私は面識は無い。
ここで池田氏に直接連絡をとるべきだったのだが、人間のできてない私はそれを怠り、年月が過ぎ、2011年、池田昭二氏も逝去された。もはや、その真意を知る術は無い。

池田拓氏が不慮の事故で逝去したのが26歳。
私が8000m峰の頂きに立とうともがき苦しみ、敗退して帰国したのが26歳。
池田氏はそんな26歳の若造だった私に、何か伝えたかったのだろうか。

そして今日、ようやく私は池田拓氏の銅像と対面することができた。

彼が生きていれば、自然保護活動家として活躍が期待された、と知る人はいう。
一方、私は8000m峰から帰国してダム建設現場を経験し、アウトドアライターのおぼっちゃん共と違い、ダム・道路建設は「社会資本の整備」と考えている。
池田拓氏が生きていれば、一緒に酒を酌み交わすよりも、会議場で殴り合う間柄になっていただろう、と私は思っている。

彼が建設現場で亡くなった、というのも、現場作業に生きる私には痛ましい事実である。
同世代で「夢」を語れる人間は、地方都市の山形には残念ながら少数だ。
殴り合う仲であろうと、もし生きていてくれれば、その少ない人間になっていてくれたのではないか。

夕暮れ、銅像を離れ、車に乗り込む。
私は感傷的な人間ではない。
帰路の車中、スマホに録音した古今亭志ん朝の落語を聴きながら、遠い自宅を目指した。

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お茶のひととき

普段の我が家では、カミさんと娘の好みでまとめ買いしたペットボトル「生茶」を愛飲しているのですが。

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山の上では、急須で入れた日本茶の旨さが最高でした。
鳥海山・七高山(2,229m)山頂にて。

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チョウカイフスマもいい時期でした。

「人の行く 裏に道あり 花の山  いずれを行くも 散らぬ間に行け 」 千利休

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曇天を突き抜けて。

山形県朝日少年自然の家主催事業「チャレンジキャンプ2017」の月山登山引率を、今年もご指名いただく。

あいにく7月下旬から日本海岸某所の現場に日帰り・通いで勤務。
朝6時に家を出て、帰宅は20~21時という生活。
息子の通う小学校のPTA行事の準備、息子にせがまれカードゲームの対戦相手等々をこなすと、平日の自分の時間は約1時間。
その間に月山登山の準備を進める。

今年はここ数年に比較して残雪が多い。
7月30日、ようやく確保できた休日に月山に下見に入り、雪渓の様子を確認。
雪渓の状況により、歩くコースを変える必要があるためだ。
子供達が感じるであろう高度感などを確かめるため、他の登山者には怪訝な顔をされながら、姥ヶ岳、牛首各所の雪渓を何度も登り降りして確かめる。

朝日少年自然の家・夏キャンプ月山登山の場合、私は前日入りを原則にしている。
参加する子供達の様子を確認するためだ。
当日も現場作業を終え、帰宅したのは19時40分。
それから家族と夕食を共にし、装備を再確認して出発、高速道路を使ってチャレンジキャンプ会場の月山・志津キャンプ場に到着できたのが21時45分。
ちょうどスタッフ・ミーティングの真っ最中で子供達の様子を伺うことができた。
この日は現場疲れもあり、用意していただいたテントに1人で爆睡。

翌朝4時半、いつものように観天望気のため外に出る。
月山は灰色のガスの中。
熱中症対策を前提にした装備に、手袋など子供達の防寒対策のスペアを加える。

キャンプ場を出発。
姥沢リフト下駅にバスが到着すると、灰色のガスが晴れて強い日差し。
私たちは雲海の上に来たのだ。
スタッフみんなで急遽、日焼け止めを塗りまくる。

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雲海の上を行く姥沢リフト。もう子供達は大興奮。

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姥ヶ岳山頂の木道で休憩。庄内側に流れ落ちる雲海をみんなで眺める。

「あっ!天使の羽根みたいだっ!」
子供達には、絹層雲はそう見えるらしい。

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サポーター仲間、学生サポーター、自然の家職員の皆様、多くの方々のおかげで今年も無事登頂を果たし、時折冷たい風が吹く山頂でお昼。

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キャンプ場に戻ってからも、大事そうに雪渓の雪を手にしていた女の子達。

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今日の夕食は豚汁に豚丼だよ!

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子供達もおなかぺこぺこです。
昨年、一昨年はキャンプ場帰着後、トイレで吐いていたりテントに横になる子供達がいたので注意深く観察していたが、今年の子供達は皆元気で一安心。

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毎夏恒例の写真。
大鍋一杯の豚丼具材は、子供達の食欲でこうなりました。

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ボンファイヤーにて。
子供達とマイムマイムを踊り、元職員の工藤さんにお誘いいただき、「肝試し」の脅かし役にまわる。

今年もおかげさまで子供達と一緒に月山から無事下山できました。
不慣れな登山で班付サポーターの大任を果たしてくれた学生の皆様、サポーター仲間、職員の皆様には深く感謝申し上げます。

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山形県朝日少年自然の家・夏季長期キャンプ行事の登山下見のため、月山・姥沢口へ。

到着時は無風、ガスによる視界不良、気温18℃。

自然の家職員の方々が来る直前、上空から雷の音。

職員の皆さんが集まったところで協議、雷のリスクを考え、本日の登山は中止を決める。

どうも朝日少年自然の家行事に雷というと、2014年のトラウマが残っているのだが、山岳ガイドとして選択肢は一つ、下山しかない。

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ちょうど雨も強く降り出した。
自然の家職員の皆様は、そのまま長期キャンプの会場となる志津キャンプ場の下見へ。
私は車の中で、実家絡みの問題でお世話になっている司法書士さんのアポをとるため電話。

電話中に外をみると、さきほど駐車場を出て行った某登山団体様のマイクロバスが戻ってきてリフト駅へと向かっていった。彼らも登山中止を決めたのだろう。
雷鳴はまだ続いている。

会社勤めの人間には貴重な平日休み。
月山から下りて、午後は司法書士事務所、それから郵便局に行き、本人でないとできない保険の手続き。

一日延ばした「連休」は、雷に終わる。

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カヌーであそぼう in 月山湖

 先月の下見を経て、山形県朝日少年自然の家7月のイベント「カヌーであそぼう in 月山湖」にサポーターとして出動。

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子供たちを指導するカヌー講師は、月山朝日ガイド協会のガイド仲間である細谷さん

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ライフジャケットを身に付け、パドルを配り始めると子供たちのワクワク感が伝わってきます。

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最初はパドル操作に悪戦苦闘していた子供たちも、次第に慣れてスイスイと四谷川源流へ。

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遅れた子供たちをフォローするため、子供たちのしんがりを務めて四谷川源流に上陸。

しっかり者の子供たちは、配られたポカリのペットボトルを流されないよう、石で囲んで冷やしていた。
もぉー大塚製薬がCMに使いたいような光景。

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月山山麓・四谷川源流にて遊ぶ子供たち。
雪解けの冷たい水流、ただそれだけなんですが、子供たちにはそれでじゅうぶん。

四谷川から月山湖埠頭にカヌーで戻る途中、慣れたせいか「沈」する子供たちが続出。
サポーター同士でカヌーに乗ったまま、沈したカヌーの「水抜き」を試みるが、これが大仕事。
元職員の工藤さんの剛腕をもってしても、水が入ったカヌーは重い。
サポーターのカヌー5艇が集まり、三国志「赤壁の戦い」敗北前の曹操の水軍なみにお互いのカヌーをがっちり掴み、固定して水抜き・子供のピックアップを行う。
この作業を細谷さんは一人でこなす。
さすがカヌーガイド、私も山でこうありたいものだ、と改めて思う。

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四谷川源流から引き返し、月山湖の埠頭で飛び込み遊びに興じる子供たち。

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今日の私達サポーターの主な仕事は、カヌーの荷卸し、運搬、返却。
スタッフの皆さま、お疲れ様でした。

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