リンクサール主峰、ついに陥つ

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 1979年、立正大学体育会山岳部登山隊が東面から挑み退却、以後も欧米の先鋭クライマーの挑戦をはねのけ40年間未踏を誇ったパキスタン・カラコルム山脈のリンクサール(Link sar)主峰7041mがついにアメリカ隊によって登られました。日時・ルート詳細は不明です。

 メンバーは今回が4度めのトライとなるスティーブ・スウェンソン(65)、グラハム・ジンマーマン(33)、クリス・ライト(36)、マーク・リッチー(61) という老若取り合わせた4名。

American Team Summits 7,041-Meter Link Sar  by ROCK AND ICE 2019.8.7.

2015年7月、イギリスのジョナサン・グリフィスらによって北西面から西峰は登頂されていました。

参考サイト:当ブログ カラコルムの未踏峰リンク・サール西峰陥つ

 

未確認ながら、スティーブ・スウェンソンらは今回も東面から登頂した模様。同氏はリンクサール峰の情報を得るため、わざわざ我々立正大学山岳部に問い合わせしてきており、1979年の登山隊報告書も読んでいます。4度めの挑戦にして登頂を果たしたアメリカ隊に賛辞を送ります。

 

 リンクサール西峰が登頂されたとき、お世話になっている山岳部の大先輩からいただいた言葉が、「青春が終わった感じ」。

 私が彼女もいない寂しい青春をささげた8000m峰など、今や登山素人の芸能人が登る山に成り果てましたが、「それも時代の変化」と、私は自分を誤魔化してきました。

 感情的な言葉など聞いたことがない大先輩の「青春が終わった・・・」という一言を目にしたとき、リンクサール峰は、先輩にとってはそういう山だったんだ、と少し衝撃をもってその言葉を受け止めていました。

 65歳にしてリンクサール峰に登頂したスティーブ・スウェンソン氏。

 面識はありませんし、岩と雪の高所登山を目指す情熱など私にはありませんが、自分のやりたいことを追求する執念を教えられた思いです。

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私は山で涙を流さない クシストフ・ビエリツキ

2019年ピオレドール、生涯功労賞「ワルテル・ボナッテ賞」にポーランドのクシストフ・ビエリツキ (Krzysztof Wielicki) が選ばれました。

これに先立ち、ポーランドの大手ポータルサイトOnetにDariusz Faron記者の 『私は死ななかった』と題する、クシストフ・ビエリツキの半生をふり返るインタビュー記事が掲載されました。

Nigdy nie szedłem po śmierć by onet 2019.3.15

以下引用開始

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ドンブローヴァ・グルニチャ、ポゴリア。

 数ヶ月もすれば、水着に日焼け止め、タオルを身にまとった観光客が都会から押し寄せるでしょう。しかし今は時間が止まったかのようです。湖は凍り、森の上には赤れんが造りの家々が並んでいます。その中に、広い庭園のある美しいモダンな家があります。

 クシストフ・ビエリツキが中に案内してくれます。

 中に入ると、印象的なリビングルームがあります。一方の棚には山岳文学(クシストフの著書)、もう一方にはミステリー小説。壁に掛けられた世界地図(おそらくマナスルかK2と思われる)。

 一見したところ、伝説のヒマラヤニストに招かれたとは想像も出来ないでしょう。最近、ロシアの登山家がここを訪れた際にもクシストフは聞かれました「ロープやピッケルはないんですか」ありません。ビエリツキがその登山の功績で得たメダルの類いを捜そうとしても無駄です。カタジナ(夫人)は彼に言いました:「ただ壁があるだけですよ。」そこで彼は屋根裏部屋に連れて行かれました。

 窓の外の美しい太陽と湖まで、ほんの数分。クシストフはライトブルーのジャケットを着用し、少し歩くことを勧めました。

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 80年代初頭、ニューヨークで射殺されたジョン・レノンのために世界中が哀悼の意を表していました。 チェスワフ・ミウォシュ(訳者注:共産主義体制下ポーランドの反体制派の詩人)がノーベル賞を受賞しました。ポーランドは灰色の時代でした。ラジオからはコラ(訳者注:女性ロックシンガーでポーランド・ロックのカリスマ的存在)の曲が流れていました。

 クシストフ・ビエリツキとレシェック・チヒが、エベレストの冬季登頂に成功しました。それは世界で初めての、冬の世界最高峰登頂でした。ビエリツキにとってそれは自由を意味していました。スポーツパスポートを使えば、鉄のカーテンを往来することができたのです。妻は遠征に出かける前に言いました「あなたにはチャンスがあるのよ、行ってらっしゃい」。翌年にはカラコルムで成功を収め、他の8000m座を目指すようになります。やがて彼は、支払うべき代償がいかに高いものか、気づかされることになります。

- 私は家族と別れました。幾度も私は数ヶ月間、家を空けていました。家族はそのような状況にどれだけ耐えられることでしょう。私には山がありましたが、家族を失いつつあることに気付きませんでした。家族よりも山が重要でした。

娘と人生の話題について触れるとき、彼女は時々尋ねます。

- お父さん、そのときどこにいたの?。

 現在、彼は人生を別の観点から見ています。彼には10歳の息子がおり、もう危険なことはしないと話しています。遠征に赴く前には、得るものと失うもの考えます。遠征隊に参加する機会はますます減りつつあります。

 ビエリツキ家の玄関には目印があります。郵便受けとゴールポストです。クシストフの息子はサッカーをしています。週4回の練習、土曜日の練習試合、日曜日の公式試合。息子はレヴァンドフスキ(訳者注:ポーランドのサッカー選手)のような有名選手になって高級車を運転すると父に語ります。彼はまた別の人生プランを持っています。もしサッカー選手にならなければ、ユーチューバーになりたがっています。クシストフは、何やら沢山の「いいね」を集める仲間たちという位しか、ユーチューバーのことがわかっていません。

- 私は息子が成長するのをみつめてきました。彼が世界にどのように興味を持っているか、どのように変化しているか・・・私にとって最も悲しいことは(おそらくそれは適切な表現ではありませんが)娘と息子の思春期のことです。以前、子供たちが何年生か尋ねられたとき、私は答えることができませんでした。私は言いました「5年生か、6年生かな」より長い遠征に出かけたとき、娘たちは私の首にぶら下がっていて大泣きしました。どうすればいいかわかりませんでした。私の目にも涙が流れました。結局、私はこの苦痛を軽減する方法を思いつきました。夜中に出発したんです。朝、子供たちは母親に尋ねました。

- お父さんはどこ?

- 遠征に行ったのよ。

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 ビエリツキは決して山で泣いたことがないと主張する。山岳協会会長と一緒にセリーナ・ククチカの家に行き、イエジ・ククチカの死を告げるとき、彼は涙を流しそうになりました。しかし彼らは何も言う必要はありませんでした。セリーナはすでに全てを知っていました。多くの涙が流れました。ククチカの息子マチェクは、学校から帰ってきて何が起こったのか知りました。彼はランドセルを床に投つけ、部屋に閉じこもりました。

 ビエリツキは別の話をします。ワンダ・ルトキエビッチの行方不明を伝えるため、アンジェイ・ザワダ達と母親を訪ねました。彼らは何も言えなかった。母親が彼らを見た時、言いました。

「わかってます、わかってますよ・・・ワンダは修道院にいるんです」

 脳が悲劇的な知らせから自衛するのでしょう。ワンダの母親はほんの一瞬で物語を作り上げ、彼女はワンダの生存を信じていたのです。

 登山家達の死に際して、私たちの誰かがドアをノックして、家族に知らせるのは伝統でした。時代は変わりました。現在では家族がテレビのニュース速報のテロップで悲劇を知る可能性があります。

(中略)

 ビエリツキは長い間、2013年の冬季ブロードピーク遠征でのマチェイ・ベルベカとトマシュ・コワルスキの死について語ることはありませんでした。彼によれば、当時はこんな状況でした。

アルトゥール・ハイゼルが隊を率いる予定でしたが、彼は予想外にもクシストフに電話してきました。

- 私はもう十分やったんだ、行ってくれませんか。

- 行くよ。

 ハイゼルは(アダム)ビエリツキ、マレク、コワルスキの3人の名前のカードを彼に渡しました。クシストフは一人欠けていると考えました。1988年、単独でマチェイ・ベルベカがいわゆる前衛峰に到達したことを思い出したのです。彼は電話しました。

- マチェイ、登頂するチャンスがあるぞ。行くかい?

- 私はもういいよ。別の所に行く予定があるんだ。

しかし3週間後、ベルベカは電話をかけ直した。

- 私は行くよ。

カラコルム。
 ビエリツキはあたかも悪い予感を打ち消すかのように、神経質にテントの周りを歩き続けました。何かがおかしい。4人が山頂に向かい、ビエリツキは彼らに早めに出発するように勧めたが、どういうわけか彼らはそうしなかった。

 アダムとマレクが山頂に立ち、降りる途中、彼らはベルベカとコワルスキと遭遇します。しかしビエリツキはそのことをまだ知りません。アタックチームは自分達で判断します。ビエリツキはアダムの事を懸念していました。なぜ何時間も無線に出ないのか?

最後に、ベルベカの声が無線で聞こえました。ビエリツキはすぐに尋ねます:

- アダムはどこだ?

- 彼らはすでに降りた。

- すぐそこから下りないと死ぬぞ!

 数時間後、他の2人は頂上から下降しました。トマシュ・コワルスキが無線に出ました。彼の声には恐れもパニックもない。彼は助けを求めることもない。まるでレストランに座っているかのように話します。

 クシストフはトマシュにすべてうまくいくだろうと言いますが、しかし、彼はそれを自分で信じていませんでした。彼はトマシュが決して戻らないことを知っていました。彼にはもう希望がありませんでした。

 トマシュはクシストフに、すべて上手くいっていると伝え、自分でそう信じています。しかし、彼の体は既に低体温状態にあり、脳は本来の機能を果たしていませんでした。

- トマシュ、どうしている?

- 何もしていません...私は進みます...

- マチェイを見かけたか?

- どこかで...私は思う...それは...

- 手袋はあるか?

- 一つ(沈黙)。もう一つは無くなった。

 遠征後、コワルスキの家族は遠征隊隊長としてクシストフ・ビエリツキが任務を果たさなかったとポーランド山岳協会に訴えました。

 ビエリツキは答えます。 - いかなる論争にも加わるつもりはない。彼らには起こったことを評価する権利があります。私は息子を失った両親の痛みを、想像することしかできません。

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ブロードピーク遠征から帰国後、報告会にて

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 最近、クシストフは2018年1月にナンガパルバットで亡くなったトマシュ・マツキェビッチの夫人であるアンナ・ソルスカのインタビューを読んだ。その内容は、救助活動前にk2登山隊からヘリを飛ばせたのではないかというもので、クシストフは申し訳なく思っています。しかしビエリツキがソルスカと会うならば、彼にはそのようなヘリは無かったと言うことになるでしょう。

 私たちのコミュニティでは、トマシュは疎遠な存在でした。私達と山岳協会でトレーニングを共にしました。様々なトレーニングの後、信じられないほど頑固で強く、私は彼の頑健さに感心しました。 ナンガパルバットは彼にとって「聖杯」だったのです。(訳者注:原文ではGraalem 、アーサー王伝説に出てくる財宝である聖杯を意味する) 私は彼の行動を見守っていましたが、彼とエリザベスがうまく高度順化できず山頂を目指したときに少し不安に思いました。

 奇跡的にパキスタン大使館協力の下、救助隊を組織することに成功した。陸軍は6000m以上の高度は飛べないと言ってきたので、トマシュを収容する方法はありませんでした。仕方なかったのです。

 アンナ・ソルスカ夫人は、私は隊員を危険にさらすことはできず、救助隊を送ることができなかったことを知らなければなりません。私は送りたくは無かった。私は誰か救助活動に行きたいか皆に尋ね、ほとんどの隊員が手を挙げた。そのとき初めて、私は誰かを任命する機会があることを知りました。

 キンスホーファールートの通称「鷹の巣」まで、エリザベートだけで下降するのは不可能です。これが実現できたのは、女性はよりよく順応し、より精神的な強さがあったからでしょう。

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 私は山の中でもう戻れないだろうという状況になったことはありません。1988年ローツェ遠征中には最も重要な経験をしました。整形外科に処方されたコルセットを着用して登っていましたが、低体温症になりかけ、時折、意識を失うかのような感覚を覚えました。下りる度に、ひどい激痛が走りました。

 同僚が双眼鏡で私を見ており、彼らは私がゆっくり歩いているのを見ました。私に向かって小さな黒い点が第2キャンプから出発したのが見えました。誰かが私の方へやって来るという事実は私に大きな力を与え、そしてついにテントにたどりつきました。

 私のキャリアの中で後悔は何もありません。私が繰り返さないことが一つ、あります。ナンガパルバット遠征です。私は一人で、山を完全に知っているわけではありませんでした。私を待つことになっていた遠征隊は登山を終えて帰国していました。私は前に進むべき「シンボル」を探していました。そして私は見つけました。 美しい太陽が輝いていたんです。

 6200 mで、私は大きな危機を迎えました。私の顎にできた潰瘍はとても痛く鎮痛剤を飲みました。それから私は昏睡状態に陥り、幻覚が始まりました。私は過去の自分を見ました、私の子供の頃からの情景が目の前で点滅しました。その後、今までの人生が幻覚として見え、24時間が経過しました。

 私がナンガ・パルバットから戻ってこなければ、皆に狂人呼ばわりされるでしょう。そして彼らは正しいでしょう。

 しかし、私は戻ってきました。
(訳者注:クシストフ・ビエリツキは1996年、8000m峰14座めとしてナンガパルバットに単独登頂を果たしている)

 おかしいと思われるでしょうが、サンダル履きでガッシャブルム近くのベースキャンプにたどり着いたことを覚えています。あなたがこのタイプの履物で氷河の上を行くことができるか、誰もが疑問に思うでしょうが、保証しますよ。可能です。とにかく、私たちはさまざまなことに賭けていました - 誰もが水なしで、食料なしで山頂に立てるか...私たちは様々な愚かな考えを持っていました。

 今日、人々は何も拒否することはできません。世界はこの点で絶望的です。誰もがいろいろな物を持っている必要があります、それはなぜかは、わかりません。私は何かで、ベルリンには人が必要とするよりも7倍以上の商品があると読んだことがあります。

私は息子との会話を覚えています。息子に言いました:

- 私が10歳の頃、家には電気が無かったんだよ。

- テレビをどうやって視たの?

- テレビなんか無かったよ。

- どうやって生きてたの?

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1950年代に撮影された、ビエリツキ一家


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 先のK2冬季遠征の間、私は世界が変わったことを感じました。私は山で数千枚の写真を撮影しました。その中で、1枚も「自撮り」を撮っていません。私の時代だったら、誰かが「自撮り」を始めたら、同僚は脳に酸素を取り込まなければと思うでしょう。 (「おい、大丈夫か?」)。

最近私はラジオでジャーナリストのWaglewski氏と対談しました。彼は尋ねました

- あなたは本当に携帯電話を持っていないんですか?

- はい。私にとってそれが何だというんでしょう。 グジェゴシュ・マルコフスキ(Grzegorz Markowski 訳者注:ポーランドの著名歌手)も持っていないと聞きました。そのために私たちは会うことができません、約束する方法がないからです。

 私たちがソーシャルメディアですることといえば、ナルシズムに関連したものです。我々は自分の人生を自画自賛します。幸せになるために、料理の写真や海岸にいることや、女の子と別れたことを知る必要はありません。

 しかし、もちろん文明の発達に反対するわけではありません。登山隊の隊員がインスタグラムに写真を、ある者は写真をFacebookに、ある者はライブ中継していても、私はまったく気にしません。それは私の世界ではないということです。

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 メディアはK2登山隊への期待を膨らませました。 「我々だけがそこに立ちいることができる」、「国家登山隊」、「ポーランド人のためのK2」。選ばれた国は山に勝利する。すべてが国民的なものです。まもなく、窓の外の茂みや家の前の塀まで国民的なものになるでしょう。

 私はいまだにデニス・ウルブコと友情を保っています。私に知らせずに彼は一人で山頂を目指しました。私は緊張を和らげ、デニスを守ろうとしましたが、不信感がありました。私は彼に言いました。

- 聞いて下さい、あなたが望むなら、何でもインタビューの中で話しなさい。しかし遠征の後で、今ではない。それは登山隊に悪い影響を与えるんだ。

 しかし彼は聞かず、ソーシャルメディアで私たちの活動を批判しました。子供達も本当に怒っていました。質問がありました。なぜ彼は自分自身でポーランドの市民権を持ちながら「ポーランド人」を批判するのですか? 私はこんな声を聞きました。

- 私がフランスの登山隊のために参加したならば、フランスについてそのようなことを書くことはないだろう。

 次回のK2遠征を控えて、組織上の問題は資金調達であると言われています。そうではありません。私たちは容易に資金を調達できるでしょう。最大の問題は、私たちが十分に強力なポーランド人を集められるかどうかです。いくつもの課題があります。

 1つの選択肢はチームを分けることです。 昨年、私は登山隊を2つのグループに分けることは倫理的ではないと思っていました。今は、登山隊を分割することが唯一の希望と考えています。

 私がまた隊長になるかどうかはわかりません。申し出があれば、私はおそらく拒否しないでしょう。けれど・・・知るよしもありません、k2を登るには弱すぎる登山隊を、私は率いたくはありません。

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 ビエリツキは長年の経験から、登山隊を管理するのは簡単だと主張しています。誰もが彼の意見に賛同しているわけではありません。

 ニューズウィーク誌の記事で、クライマーの一人は匿名で語っています。クシストフはグジェゴシ・ラトー(Grzegorz Lato 訳者注:ポーランドのサッカー選手出身の政治家)に似ています。素晴らしい選手であり、PZPN(ポーランドサッカー協会)のボスです。あまりにも自分の願望にフォーカスを当てすぎている、と。

 ビエリツキはこの記事について大声で笑った。彼によれば、それは昔のことだといいます。隊長として登山隊を率い始めたとき、彼自身の登山タクティクスを実行しました。アンナプルナに10人で遠征した際には、まず第一に彼が山頂に立たなければなりませんでした。他の9人は「それから」でした。

 しかしそれは変化しました。彼が語るように、隊長は隊員以上に精神的負担も大きいものです。彼はすでに自分やるべきことに専念しています。

 しばらく前のこと、長く面白い幸せな人生を送る方法を思いつきましたが、もう先は長くありません。幾つかのアイデアは実行中です。年をとっても、彼は湖の岸辺で長い時間を過ごすつもりはありません。古い探検を思い出すことも、古い写真帳を閲覧することもしません。本当の想いは窓の外にあると常に主張しているので、テレビの前で冬の夜を過ごすことはないでしょう。十分な体力がある限り、山に行くでしょう。彼にとっては、それが幸せなのです。

 妻はクシストフと一緒に映画館に行くのが難しいと不平を言います。彼のせいではありません。ビエリツキは微笑みながら言います。

- 眠くならない映画を監督する奴がいない。それだけです。

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以上引用おわり

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チェコ隊、チャムラン北西壁新ルートから登頂

優秀なソロクライマーが相次いで亡くなり、日本人には鬼門ともいえるネパール・ヒマラヤのチャムラン(7319m)。

5月20日、チェコを代表するアルパインクライマー、マレク・ホレセク(Marek Holecek)とズデニェク・ハチェク(Zdeněk Háček)のペアがチャムラン峰北西壁、新ルートからの登頂に成功しました。

Mara s Hackem na Chamlangu: Vylezeno!  by  horyinfo.cz 2019.5.20

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チャムラン峰北西壁、赤線が今回チェコ隊が登攀したライン

 「さあ行くぞ!待ち続けている日は終わった」そうfacebookにコメントを書き、マレク・ホレセクらは5月16日、BCを出発。

5日間かけて北西壁を登攀、5月21日現在、南稜を下降中。

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登攀2日目の2人 マレク・ホレセク(左)、ズデニェク・ハチェク(右)

成功を喜ぶと共に、無事の帰還を祈ります。

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そんでミック・ファウラーはどうなった?

癌を克服し、人工肛門を付けた身体で再びヒマラヤに向かったミック・ファウラー。

盟友ビクター・サンダースと共に目指したのは、インド・北シッキムのChombu 6362m。もともと2017年に遠征予定の山でしたが、ミック・ファウラーが癌と診断され、闘病・リハビリのために延期していた山です。

今回は残念ながら天候不順に阻まれ、予定の登山を断念、氷河を挟んだ対岸に位置するチュンカン(Chungukang)北峰5322mに登頂しました。

Freak Himalayan weather thwarts Mick and Vic's Chombu climb attempt  by grough 2019.5.17

Chombu

Sebu la 峠(5352 m)から望むChombu峰

 今回は退却という結果になったものの、ミックとビクターは再び訪れることを決意。

 Chombu2  Chombu峰山麓で深雪をラッセルするミック・ファウラー(Photo by grough)

 医療器具メーカー・コロプラスト社の支援を受けて人工肛門を付けてヒマラヤを目指したミック・ファウラー、

「テント生活では、人工肛門をテストするには最も過酷な環境とはいえませんでしたが、自分の経験からもっと過酷なビバークでもうまくいきそうです。」とコメント。

 ヒマラヤのクライミングだけではなく、自身の肉体、そして人工肛門という医療器具の可能性を切り拓くミック・ファウラー達の登山に今後も注目です。

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笑顔の行方

2017/2018の冬季シーズンにK2を目指したポーランド隊。

 登山活動中、ナンガパルバット冬季登頂を目指して遭難したエリザベート・レヴォル、故トマシュ・マツキェビッチを救出するため活動した功績により、ポーランド五輪委員会より「フェアプレイ賞」が贈られることになりました。

Nagoda Fair Play PKOI dla uczestnikow zimowej wyprawy na K2  by wspinanie.pl 2019.5.10

筆者にとって印象的なのは、ポーランドの一般メディアが伝えた次の画像ですね。

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デニス・ウルブコ(左)とクシストフ・ビエリツキ(右)

 このポーランド冬季K2隊は、デニス・ウルブコの離反・単独による頂上アタックという話題で世界の一般メディアが取り上げ、クライマー達の意図せざるところで話題となってしまいました。

 筆者はその後のポーランド隊の動向を調べるべく、ポーランド一般紙の有料記事もPaypalでカネ払って調べたりしてましたが、やはり注目されているのでしょう、昨年ポーランドでの山岳シンポジウムで同じ会場に、隊長であるクシストフ・ビエリツキ、無断で単独アタックを強行したデニス・ウルブコが同じ会場に現れたことが話題になっていました。しかし二人はさほど会話もせず別れたとのことで、二人の友情の行く末が案じられていましたが・・・

 Rock&Snow080号、恩田真砂美さん執筆記事でBernadette McDonald女史が 『私の予測では、時間がたつにつれてわだかまりは消え、再びK2ポーランドチームにウルブコが招かれる可能性は大いにあると考えています。』と述べていますが、その予測が現実となることを願っています。私個人の思いとしては、ポーランド国営放送が報道したような、失敗に終わった単独アタックから戻りテントに一人引きこもるウルブコの姿は見たくないということです。

 上記画像はポーランド五輪委員会から表彰される際の、笑顔の二人の様子。やはりポーランドメディアも注目しているのでしょう、この画像はポーランド通信社(PAP)が配信した1枚。クシストフ・ビエリツキは最近出版されたデニス・ウルブコの新刊本のレビューも書いていることが明らかにされています。

 肝心の冬季K2を目指すポーランド隊は、2019/2020シーズンの冬季計画を一年延期、さらにトレーニングを重ねて隊を充実させ2020/2021シーズンに冬季K2遠征を予定しています。

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ロシア・ポーランド隊、ジャヌー東壁へ

日本ではその異様な山容から「怪峰」と呼ばれるジャヌー(クンバカルナ 7710m)。

今春、ロシア・ポーランド隊が未踏のジャヌー東壁にトライする予定です。

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2015年秋、タルン北西バットレスを初登したウクライナ隊が撮影した、ジャヌー東面

 ジャヌーといえば日本では山学同志会による北壁があまりにも有名ですが、東壁はスロベニア隊を中心に過去10隊以上ものトライを退けたルート。
 2004年にはトマジ・フマルが単独でトライしたものの約7000m地点で困難さのため敗退、2011年には韓国隊が挑みましたが隊員負傷のため敗退しています。

 今回ジャヌー東壁を目指すのは、
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ロシアのビッグウォールクライミングの第一人者、セルゲイ・ニーロフ(右)、ドミトリー・ゴロフチェンコ(左)、

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ポーランドから、グレート・トランゴ北西壁『BUSHIDO』開拓などで知られるマルチン・トマシェフスキが参加します。

遠征期間は2月27日から4月7日までを予定。
東欧の猛者達がいかなるクライミングを展開するのか、注目です。

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ミック・ファウラー、ヒマラヤ登山に復帰

ここのところ日本のメディアでは、著名人の難病告白が続いてますが・・・

2017年末に癌闘病を告白した、イギリスのミック・ファウラー。
今春、ビクター・サンダースと共に再びヒマラヤ登山に復帰することが明らかになりました。

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ミック・ファウラー近影 (Photo by Bob smith / grough )

Mick Fowler and Vic Saunders revive Himalaya climb plans after cancer diagnosis  by grough 2019.2.19

昨夏、癌に冒された肛門と直腸の摘出手術を行い、リハビリを続けてきたミック・ファウラー。
スポンサーのバーグハウス、そして日本でも医療器具メーカーとして知られるコロプラスト(Coloplast)社のバックアップを受け、ヒマラヤ登山にも耐えうる人工肛門を身体に埋め込んでの遠征を計画しています。
コロプラスト社開発チームと連携し、登山でテストを重ね、人工肛門を必要とするような登山者に役立つことを願っている、とミック・ファウラー本人は意気込んでいます。

税務官という官庁の仕事とハイレベルなヒマラヤ登山を両立させてきた氏は、既に定年退職、今回目標とする山は明らかにされていませんが、3月から4月にかけて、『遠く離れたところにある、美しくてやりがいのある』6000m峰とのことです。

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2018年 ピオレドール・ロシア、スチール・エンジェル賞決まる

 ロシア山岳連盟が選定する、2018年の「ピオレドール・ロシア」、旧ソ連圏の女性クライマーによるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」の表彰式が、去る12月1日、モスクワ中心街にあるテレグラフホールで開催されました。

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ロシア山岳連盟・ピオレドールロシア授賞式の会場

2018年のピオレドール・ロシアに選定されたのは、

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キルギスのキジル・アスケル南東壁に新ルートを開拓した、エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフのペアに決まりました。

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今年はキジル・アスケル南東壁を登攀したパーティは2組ノミネートされていましたが、やはり新ルート開拓という点が大きなポイントだったようです。
2人のクライミングの模様は動画で公開されています。

旧ソ連圏の女性クライマー達によるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」2018年の受賞者は、
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 東シベリア・東サヤン山脈のオプティミスト峰北壁を初登したアリーナ・パノヴァ、エカテリーナ・レピナ、ナジェーダ・オレーニヴァの3名に送られました。
 なお本年からスチール・エンジェル賞は、ラトック1峰で墜死したセルゲイ・グラズノフを記念したグラズノフ基金から提供されています。

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ピオレドールロシア2018 ノミネート

ロシア山岳連盟が選定する『ピオレドール・ロシア』。
今年2018年の候補として、最終的に次の4隊がノミネートされました。

Шорт-лист премии "Золотой ледоруб России" by Alpfederation.ru 2018.11.17

コティン峰(Шайтанхана峰)4521m北西壁中央バットレス初登 6A 1300m
イワン・テメレフ、イゴール・スザルトセフ、アントン・カシェフニク、ティムール・アルディン・ケーレル
2018年7月22~25日
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キルギスタン キジル・アスケル南東壁新ルート 
エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフ
2018年7月24~8月1日
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イネス・パペート、ルーク・リンデックが開拓したルートの左に該当します。

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きわどい場所でビバークしながらの登攀だったようです

4810m,峰(オデッサ峰) カペイカ・ルート開拓 6B 1000m
イワン・テメレフ、イゴール・スザルトセフ、アントン・カシェフニク、ティムール・アルディン・ケーレル
2018年7月29日~8月4日
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11ピッチめ登攀の模様

キジル・アスケル主峰中央バットレス 第2登 6B 1500m
ナガーエフ・R、マティニャン・A、トリコゾフ・M
2018年7月25日~8月3日
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16ピッチめ登攀の模様

当初はアバラコフ峰や劇的な救出作業が行われたラトックⅠ峰などの高所登山も含む13隊がノミネートされていましたが、今年はビッグウォールの4隊に絞られました。

毎年指摘していますが、ピオレドールロシアに関して日本はじめ西側諸国の山岳メディアはなぜかスルーしていますが、mountain.ruの該当記事をご覧いただければおわかりのように、ノミネートされたクライミングの詳細な報告・トポが共通した書式でPDFファイルで公開され、審査過程がなかなか表に出ない他のピオレドールと異なり、後進のクライマー達にとって参考になるシステムになっています。(隊によってはPDFファイル12MBとか巨大なので注意)
ピオレドールは競争ではないとか御託を並べる前に、こういった点は関係者に見習ってほしいものです。

2018年ピオレドール・ロシアの選定結果発表は12月1日の予定です。

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中国人ペア、ミニヤコンカ峰に新ルートから登頂か

 去る10月18日16時45分、難峰として知られるミニヤコンカ主峰(7556m)に中国人の李宗利(Li Zongli 39歳)、童海軍(Tong Hijun 23歳)のペアが登頂に成功しました。
 ミニヤコンカ峰登頂としては昨年のチェコ隊に続き通算で第10登、中国人としては61年ぶりの第2登となります。

 蜀山之巅,蜀人来了! by 人民網2018.10.18

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登高中の李宗利

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下山を果たした、顔面の凍傷の生々しい李宗利(左)、童海軍(右)

2人は10月12日に成都を出発、14日に標高4000mのBC入り、17日には6700mのC3に到達、18日午前5時20分にC3を出て登頂に至ったものです。
下山途上、高度障害のせいか李宗利が突然失明状態に陥るアクシデントを乗り越え、生還しました。

彼らの申告では、登頂ルートは「北壁~北東稜」をアルパインスタイルで登攀したとのことで、詳細な報告が待たれます。彼らが携帯したスマホでは7495.9mまで記録されており、その後スマホが故障したとのこと。四川省登山協会では彼らの登頂を認定する方向で動いているようです。

今回登頂に成功した李宗利は四川省運動技術学院でレスリングを学び、そこから登山に転進した変わり種ですが、中国登山協会が招いたフランス人コーチの指導を受け、中国登山界における山岳ガイドの先駆け的存在です。
2016年に仲間2名と共にミニヤコンカ北東稜に挑んでいますが、この年は6700mで敗退。今回は8月にボゴダ山群で高所順応を済ませてのトライでした。

中国マネーにモノを言わせた、商業登山隊利用の8000m峰14座登頂者を続々輩出している中国登山界ですが、久々に中国人アルパインクライマーの実力を感じさせる報道です。

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