聖火登山隊を巡る女の戦い

中国の聖火登山隊は、国家プロジェクトだけあって参加を目指す希望者は多かったようです。
当ブログでも昔とりあげました、『中国一の美女登山家』(なんちゅう大胆なネーミングだ)広西省の羅麗莉女史は、残念ながら聖火登山隊には落選となりました。
200858967118広西省の登山家、羅麗莉

40816_6聖火登山隊に向けトレーニング中の羅麗莉

 7000m級の山で酸素マスクを着用している彼女の写真は、中国の高所登山の実態が伺える資料でしたが、その後チョモランマ(第二ステップで断念)、チョーオユー(登頂)、シシャパンマと経験を積み、漢族女性としてはベテランの高所登山家に成長しました。
 昨年には勤務先の企業も退社、聖火登山隊選抜に賭けてトレーニングを重ねてきましたが、残念ながら落選となったようです。
 やはり中国メディアも羅麗莉の登山隊落選は大きく取り上げています。
 
 中国登山第一美女羅麗莉落選珠峰火炬手 by世界商旅網5/9

 そして羅麗莉を抑えて漢族女性として聖火登山隊に選抜されたのは、若手のホープ、中国農業大学の学生の蘇子霞です。
10063952_261814蘇子霞

蘇子霞は羅麗莉と共に、漢族女性(注・中華人民共和国の漢族として)としては2人だけの8000m峰経験者としてチョーオユー登頂を果たしています。その他、ムスターグアタ、スークーニャンで経験を積み、早くから聖火登山隊を希望する選抜トレーニングチームに加わっていました。登山とは山を征服することではなく自分への挑戦、とインタビューに答えています。
この2人を対比した記事もメディアの関心の的になっています。

広西の羅麗莉、ため息と共に山を望む by 開県作家网5/7

この記事では蘇子霞は高所登山の経験も登山家としての気性も羅麗莉には及ばないが、学生という「若さ」が選抜された理由ではないか、と推察しています。
落選のショックでしょうか、羅麗莉は広西省の南寧で休養し、大勢の聖火ランナーの一人として参加するとのことです。
そして蘇子霞は聖火登山隊メンバーとして経験を積むことができました。おそらく蘇子霞は漢族女性として、中国の高所登山をリードする立場となるのでしょう。

登山について何も知らない日本の保守系ブログでは、聖火登山隊に参加したチベット人は民族の裏切り者などと罵倒されています。
しかしながら、チョモランマ登山を国家プロジェクトに仕立て上げた共産主義者の豚共とはかけ離れたところで、高所登山家として山を目指す人々のドラマがあったことも、知っておいていいでしょう。

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聖火登山隊狂騒曲

聖火登山隊登頂については、日本のネット上では賛否両論ですなあ。
登山史における位置づけについては、どうせ池田常道氏や江本嘉伸氏が総括してくれるんしょ?
中国メディアを覗くと、登山隊そのものよりも、登山にまつわる輩どもがワサワサと登場しております。
いかがわしい登山ネタ好きな当ブログ読者の皆様、さあ中国人の狂騒っぷりを楽しんでみましょー!

◎聖火トーチは我々の省で作ったアル!ガンガン燃えるアル!
陝西制造引火器成功点燃珠峰奥运火炬 by 新華网陝西報道5/10
以下記事引用開始
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陝西省製造の火器は見事にチョモランマでオリンピックトーチに点火しました

中国工学院・院士の劉興洲は、「たとえチョモランマが更に数百メートル高くなったとしても、私達のトーチは変わらず点火することができます!」
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聖火登山がチベット民族の怒りに点火しないことを祈ります。


◎登山隊唯一指定のインスタントラーメンは我々が作ったアル!
聖火はインスタントラーメンを灯し、白象食品集団は一番の勝者となる by 太原新聞网 5/9

この白象食品集団という企業は「聖火登山隊唯一の指定インスタントラーメン」製造企業として、登山隊結成からスポンサーとして隊をフォローしていた企業。
唯一ってことはさ、このメーカーのラーメンしか食べられないわけ?
記事を読むと冬虫夏草も原料に用いて、口当たりもよく、登山隊員には好評アル!と自画自賛の嵐。
登山隊成功でますます高らかに「企業の勝利」をメディアが取り上げています。
しかーし。
白象食品集団で中国のサイトを検索してみると・・・

480x349_115f5863115ラーメンに虫が入っていたアル!(消費者の声)

20081288312892ラーメンに虫が入っていたアル!(消費者の声)

さすが中国食品、農薬だけでなく虫も入ってます。

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すごいぞ中国登山隊!

えええ!?
中国隊って、聖火持って北壁登ったのぉぉぉ!?
トップレベルのバリエーションルートじゃんじゃかじゃ~ん!

聖火、チョモランマ北壁を登頂 by 中国国際放送局5/7

つーか、登山なんて翻訳家にとってはマイナーな世界なんでしょうな・・・

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中国の聖火登山隊登頂

職場の飲み会で高くて不味い酒を飲んでいたので、中国の聖火登山隊登頂のニュースは聞き逃していました。ははは。

巷では保守系ブログを始め自称アルピニストの雑誌記事やら何やらのブログでも煽動的・感情的な登山隊に対する記事しか見あたらないので情報収集に専念してました。
 まあ聖火登山隊そのものはとるに足らないクソ行事ですが、中国の登山界をウォッチするには大変参考になる試金石です。おそらく21世紀には最大のアウトドア市場となる中国の方向性を、冷静に観察することが重要だと私は思ってますがね。

 さて、先日秘密のベール(笑)に包まれたアタック隊のメンバーが発表されました。
 日本メディアではメンバーの詳細は報道されてませんでしたが、その中に王勇峰氏の名前がありました。
 王勇峰氏に関しては、当ブログで3年前に中国の登山はどこへ行く。で取り上げています。彼の論文、『社会主義の初級段階における中国登山の発展試論』にみられるように、中国登山協会きっての国際通であり、中国の登山が他国に比べ遅れているとはっきり自覚している人物であります。
 王勇峰氏が共産主義イデオロギーに染まった人物かどうかはわかりません。
 しかしながら、-登頂が果たされた今となっては後付考察で面白くもありませんが-、誰かさんがブログで書いているように「この登山隊は死人がでる」ではなく、クレバーなタクティクスを組んでいると私は考察していました。
(クレバーな、と表現しましたが、登ったことも無いのに想像だけで「爺が登ったからチョモランマ北稜は簡単」という想像豊かな人には私もかないません)
 今回の聖火登山に対する国際的な批判・そしてアルピニズムなどカケラも無く単なる「行事」だということについては、少なくとも中国登山界の中で王勇峰氏はよく認識していることでしょう。

 実際の登頂にはチベット女性登山家のジジさんが大きな役割を果たしたようです。(日本メディアの報道ではギギと表記) この方についてはジジさん本人と親しくされている山岳ライター柏澄子女史の過去記事をお読みいただければいいでしょう。
 私が注目しているのは漢族女性として隊員に選ばれた方、そして選ばれなかった方です。
 そのことについては、また日を改めて書くことにします。
 
 今回の聖火登山隊の成功について私の見解は、
 『あっ、そう』(昭和天皇風)です。
 おめでとう、の言葉は聖火登山隊のおかげで登山活動を規制され、入山待ちしている他の登山隊に捧げます。
 少なくとも同じ山の仲間として、聖火登山隊メンバーには皆無事下山してもらいたい。そしてこれからタイトな日程で頂上を目指す各国の登山者も無事に登り、還ってきてほしい。
 登山を民族意識高揚に利用する共産主義者のカスどもは、また別記事で叩きたいと思います。

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生命の代価

自分の命を救ってもらった時、人は何をもって感謝するのか。
オーストラリア女性のカトリーナ・マクドゥーガルは、ヒマラヤ登山で自分の生命を救ってくれたシェルパに、こんな形で恩返ししました。

Child's education a small price to pay this lifesaver by The chronicle 5/6
以下記事引用開始
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救助の代価は子供の学費

ネパールのメラピークでクレバスに墜ちた時、カトリーナ・マクドゥーガルは自分の死を確信しました。
機転を利かせたシェルパは、すばやくロープをほどき、ピッケルとアイゼンを突きさして、20分間にわたり彼女の体重を支えました。
(中略)
4月13日、マクドゥーガルさんと他のメンバーは5800メートルのキャンプを発ち、メラピークの登頂に首尾良く成功しました。しかし、それまでの道のりは順調ではありませんでした。
突風と悪天に悩まされましたが、標高6654mの山の6300m地点に達するまで登山は順調でした。そこからは氷河の急な登りになりました。
登頂を果たして下山後、彼女がクレバスに墜ちたのは6100m地点でした。
(中略)
『最初にパニックになり叫びました。「助けて!」何度それを繰り返したかわかりません。私の声を聞いたのはミンマだけでした。彼は私をすでに抱き抱えていました』と、彼女は日記に書きました。
(中略)
『親しみのある顔が現れ、私が無事かどうか尋ねました。彼はラクパ(他のシェルパのうちの1人)でした。とてもうれしかったです。 氷壁の両側にアイゼンで蹴りこみ、上へと激しく動かなければなりませんでした。彼らは私を引き上げるために滑車システムをセットしました。』
マクドゥーガルさんがクレバスから引き上げられたあと、ミンマは彼女の無事と無傷を確認しました。
高所キャンプで彼女の足を解凍し、その後ベースキャンプを目指しました。
『13時間歩き続けました。ベースキャンプを見つけてうれしかったです』と日記に綴っています。続けて、
『早く夕食を済ませ、横になりました。生きている幸運について考えました。私の人生には、本当に何らかの価値があったのか?どんな風に、私の命を救ったシェルパにお返しするのか?』
マクドゥーガルさんは、ミンマに命を救ってもらったことに報いる方法について考え続けました。

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数日後、彼女はミンマの7歳の息子、フヌル・シェルパをカトマンズのインターナショナル・スクールに進学させることを思いつきました。
その計画をラクパ(ミンマ・シェルパとは兄弟にあたる)に相談しました。
日記にはこう綴られています。
『ミンマは、"Learning Realm"インターナショナル・スクールに息子を入学させることに決めました。ここはカトマンズ郊外にある英語を話す全寮制学校です。』
学費は年額$US1200($AU1292.93)です。
「私の命の代金にしては安い金額です。彼の家族に会ったとき、正しいことをしているのだと思いました。」と、彼女は語ります。
マクドゥーガルさんは、2011年にエベレスト山に遠征を予定しています。
(画像はカトリーナ・マクドゥーガル)
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以上引用おわり

「謙虚」の二文字を知らないどっかの民族の聖火登山と違ってええ話やないですか~

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ガリンダ・カルテンブルナー、ダウラギリ登頂

竹内洋岳君のクライミングパートナーであり、ドイターザックの値札に可愛らしい笑顔を見せているガリンダ・カルテンブルナーがダウラギリに登頂した模様。
これで8000m峰14座のうち11座を登った初の女性となりました。

Austrian is first woman to conquer 11 summits over 8,000m byAFP通信5/4

さて、女性初の14座登頂を果たすのは誰か???ということで、中国戸外資料網が特集記事を組んでいます。

8000m峰14座完登を果たす女性登山家は誰か? by 中国戸外資料網

ここで紹介されているのはニーブス・メロイ、ガリンダ、そしてエデューナ・パサバンの3名。
ただしアジア・韓国からはかつてクライミングコンペでならしたゴー・ミスン、そしてオ・ウンソンがそれぞれ14座完登を掲げ、数年にわたりハットトリック(8000mの3座登頂)を予定して、ガリンダ達を逆転しようと意気込んでいます。

14座の登頂のみにとらわれている視点の記事は、まだバリエーションルートという観念が乏しい中国人らしい記事ですね。
 女性とはいえ、素晴らしい内容の登山で後に続く者たちを魅了してほしいものです。

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親の心、子知らず。

いつものように、子供を連れ私の実家に立ち寄る。
書棚をあさっていると、偶然、91年の日中合同ナムチャバルワ登山隊に関する大量の新聞切り抜きを見つけた。
私はこの切り抜きを溜めた記憶は無い。
そして当時、私も遠征のため日本を留守にしていたので私が取って置いた記事ではない。
とすれば、私の親が保存していたものであろう。

私が遠征した山域とナムチャバルワでは全く位置が異なるのだが、親にしてみれば同じヒマラヤだと思ったのだろうか。
大量にスクラップされたヒマラヤ登山の記事に、あらためて家族が自分の遠征登山に気をかけていたかを知る。

スクラップ記事を書棚に戻し、記事の事は黙ったまま、茶の間に戻る。
父「連休どごさ行くのや?」
私「朝日。」
父「気を付けて行げよ」

遠征登山から帰り、テレビや新聞といったローカルのマスメディアで自分の山を語ってから、あれほど「山にいぐな」と言っていた父の言葉も、「気を付けて行けよ」に代わっていった。
もうメディアに取り上げられるような登山はまっぴら御免であり今後も縁はない。
たとえ里山であろうとウチの父は心配するのであろうが、誰かが帰りを待っている。常にそのことを意識して山に行きたいものである。

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ロータン・パスで赤ちゃん産まれる

学校で産気づいてトイレに産み捨てる女子高生もいれば、
ヒマラヤの雪と氷の峠で産まれる命もあり。

Baby born on Himachal’s deadly Rohtang pass by Thaindian.com5/1
以下記事引用開始
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当局発表によれば、木曜日にヒマチャルプラデシュの雪に覆われたロータン・パス(チベット語で死体の積み重なるところ)付近の洞窟で、女の赤ちゃんが産まれました。

峠が開かれていた時間帯に、ヴィシヌ・デビは産気づいて、夫と乗り合わせていた車から降りなければなりませんでした。彼女は、近くの洞窟で健康な女の赤ちゃんを出産しました。
このネパール人夫婦は仕事を捜してラホール谷へ向かう途中でした。子供は、医師の援助無しに生まれました。
国境道路管理組織(BRO)は毛布、食糧と水を提供しました。BROスタッフはヒマラヤ山脈での出産を祝って後に菓子を提供しました。
ロータン・パスは天候が急変し、豪雪とブリザード、雪崩で知られており、時折死傷者が出ます。
(以下省略)
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ロータンパス、標高3980m。
いやあ、今冬でしょ?
無事のご出産で何よりです。
しかしヒマラヤで出産したお祝いが菓子(sweets)ですか?
インドも最近は景気いいらしいんだから出産祝金ぐらい送れよな。
と、いいつつ甘党の私はどんなお菓子なのか気になります。

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チェザリーノ・ファバ逝く

チェザリーノ・ファバ。
パタゴニアのビッグウォールに関心のある方ならご存じかも知れません。

1812
セロ・トーレ初登を狙ったマエストリ、エッガー組を待ち、惨劇の後、半狂乱になっていたといわれるマエストリを出迎えたクライマー。
そのチェザリーノ・ファバ氏が88歳で亡くなりました。
この訃報記事を取り上げているのはイタリアの一部メディアだけですので、ひっそりとした逝去といえるかもしれません。

1959年、パタゴニアのセロ・トーレ初登をめざしアタックをかけたイタリアのチェザレ・マエストリ、オーストリアのトニー・エッガーは「登頂に成功」、下山途上、雪と氷のブロックがエッガーを叩き落とし、マエストリのみ生還。
ファバはその6日前に2人と別れ、ベースで2人の帰りを待ち続けていました。
この登山については登頂の信憑性が疑われ、不幸にもカメラを持っていたのは墜死したエッガーで証明するものはマエストリの不確かな証言のみ。
この惨劇は後のマエストリの「コンプレッサー事件」に影響を及ぼしたと考えるのは容易でありましょう。

そのファバ氏は職業を転々とし、軍国主義とファシストを嫌い若くしてアルゼンチンに移住。
アルゼンチン山岳会の礎を築き、アコンカグアでは他の登山者を救うために凍傷で両足切断という不幸に見舞われます。
しかし山への情熱は消えず、前述のセロ・トーレ、後年はイタリアに戻り、ドロミテのカンパニール・バッソなどで活躍した模様です。
セロ・トーレの悲劇は日本でもよく知られていますが、関係者の後年はほとんど知られていないのではないでしょうか。
あの登頂の信憑性の疑義というセンセーショナルな騒動~不幸といいかえてもいい~を乗り越え、マエストリも、ファバも、登山を続けていたということに、私は感動を覚えます。
氏のご冥福をお祈りいたします。
300_maestri_und_fava_biwakierendビバーク中のファバとマエストリ。

Maestri_fava_01_p2晩年のファバ(左)とマエストリ(右)

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チョモランマ/エベレスト入山禁止で笑う人々

国内外問わず、今シーズンのエベレスト/チョモランマ登山。
人権蹂躙殺人国家・中華人民凶悪国の登山禁止令のおかげで悲喜こもごもの報道があふれていますな。

そんな中で笑顔ホクホクの人たち、め~っけ。

Sikkim benefits from Everest trekking ban by The Statesman, India4/9
以下記事引用開始
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エベレストトレッキング禁止で利益を得るシッキム

チベットとネパールにおけるエベレスト登山禁止は、シッキムにおける登山観光旅行にとって利益向上を示しています。
中国はラサで取締りを行いエベレスト山遠征を禁止しました。それはネパールおよび他のトレッキング目的地としてツーリストがシッキムに流れることになりました。
「選択の余地なしで、私どもは登山・トレッキングのために顧客をシッキムに転送しています」
ネパールのツアー主催者、プラバス・プラダン氏は語ります。
「海外からの客は1ヵ月以上前から予約をいれています。彼らはすでに支払いを済ませているため、私どもは顧客を拒否することができません。そのような事情で、シッキムは私どもの顧客に提供する最高の選択肢となるのです。」
バラップ・ナムギャル氏、シッキム・アマチュア登山協会の書記官は、ネパールから様々な予約を受け取っていると語ります。
「ネパールから、かなりの数の顧客を引き受けています。(中略)」
シッキムはトレッキングを主に、観光旅行目的地として徐々に発展してきています。しかし今だインフラ整備は立ち後れています。
「ネパールのような登山家のための救援活動システムもありません。州政府は、シッキムでスポーツ促進のためのインフラ整備について考えなければなりません」と、ナムギャル氏は語ります。
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以上引用おわり

先日インド登山の登山隊数上昇の記事を書きましたが、やはりネパールからも多数のツーリスト・登山客が流れているんですねえ。
トレッキング会社を営むインド商人の笑顔が目に浮かぶようです(笑)
逆に、シッキム奥地なんてのはトレッキングのフィールドとしてお好きな「マニア」は日本にもいるはずですな。
静かなヒマラヤ奥地も、北京虐殺五輪のあおりを喰らって賑やかになってしまいそうですね。

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ネパールで禁酒令(一週間だけ)

訳のわからないトコで我々を楽しませてくれる国家・ネパールですが、今度は一週間だけ国家全土禁酒だそうな。

No Alcohol in Nepal During Elections by AP通信4/4

Alcohol ban for Nepal elections  by BBCnews4/4
以下記事引用開始
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ネパールの選挙のためのお酒禁止令

1999年以来の最初の選挙、憲法改正の選挙で選挙期間中のアルコールの販売と生産は禁止されます。
政府内務省スポークスマンは、1週間の禁止令は月曜日から政治的暴力を防ぐことを目的とすると言いました。
(中略)
カトマンズBBC特派員のチャールズ・アビランドは、禁止令実施は困難と述べています。山岳地では粟、蕎麦、または米から作られた強力な自家製ビールがあるからです。
北西部の地域では、選挙の候補者が有権者を引き付けるため、酒を提供しています。
(後略)
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他民族国家のネパールで私の知るネパール人といえばシェルパなど山岳民族。
BBC特派員が言うように、彼等はチャンやロキシーなど酒は自家製で持っているので、買わずとも酒は身近にあるため、今回の禁酒令はどうみてもザル法ですな。
そもそも、別ネタでネパール王宮のパーティーで酒代に21000$も費やしているという情報があるのだが、それってどうよ?
候補者が買収目的で酒ふるまうのはともかく、選挙ネタに有権者が酔って暴れるほどネパール人って凶暴だっけか・・・というのが正直な感想です。
先日視たイラク戦争のテレビ番組では、イラク国民は厳粛な雰囲気で選挙に臨んでましたが・・・まあイスラム国家でアルコールはダメだけど。
私の予想では一番ワリ喰うのは、選挙期間中に訪れた外国人観光客なんでしょう。
_44537794_nepalrally_body_apBBCの報道より、選挙で盛り上がっているネパールのおやじ。そんなに楽しいかい?

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ボナッティにとって、K2とは何だったのか

ワルテル・ボナッティの名前がイタリアのメディアを飾っています。
イタリア語はよくわからんのですが、そのニュアンスは
『54年後に認められた、K2初登頂でのボナッティの役割』です。

K2, dopo 54 anni riconosciuto il ruolo chiave svolto da Bonatti by Italia e mondo3/28

K2: a Bonatti non servono nuove riabilitazioni by Montagna.tv3/31

Walter158x237最近のボナッティ

イタリア隊によるK2初登頂は、登頂サポートに廻されたボナッティにとっては不本意な登山といわれていますが、現在までその記録に関して何らかのトラブルがあったようです。
このたび改めてボナッティがK2初登頂において果たした役割が再評価されたというのが記事の趣旨らしいです。(イタリア語はわかんねーのよ)

思うに、登山の成果を巡ってこれだけの長期間にわたり争い毎となるのは、ナンガ峰のメスナーとヘルリヒコッファーの例もそうですが、ヨーロッパ圏の登山家にとっての「名誉」とはこれほどまでに尊重されるべきものなのか、と改めて感心します。
遠征隊で何かコトがあれば臭いモノには蓋をする極東の某島国の「登山文化」(笑)とやらとの違いを感じるのです。

しかしボナッティ本人に直接聞いてみたいですね。
アルプスだけでなくG4登頂という華々しい登攀歴を持つあなたにとって、K2という山はどんな存在なのか、と。

ちなみに上記 Italia e mondo紙の写真ではえらく老けてみえるボナッティですが、スペインのDesnivelによれば精力的にスペインはマドリッドに講演旅行にお出かけのご様子。
Bonatti_p2Desnivelより。さすがイタリア男、サングラスがダンディですなあ。

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神頼み

東京に来て3週め。
頭上に満開の桜よりも、足下に散った桜の花びらに季節の移ろいを感じます。

Pa0_0033ぶらりと深川不動にお参り。
深川不動に参拝、祈願したのはもちろん家族の健康とガイド仲間の安全です。

Pa0_0032絵馬の奉納なんてやってみました。祈願したのは、●●山と△△峰にクライミングに行けますようにっ!
(このブログ、会社の人間も見ているらしいので伏せ字。)
えーえー、どうせわたしゃ気が弱いから海外登山行くのも神頼みですよ。
深川不動の近くは甘味処が多いのでまた行こうと思います。

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インドが調子いいみたい

ネパールの政情不安でインドに登山隊が流れている、というお話です。

Indian peaks a hit with foreign climbers by Times of India 3/25
以下記事引用開始
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外国の登山隊増加

インド登山財団(IMF)によれば、2007年にはインドの山に52隊の外国隊が遠征しました。過去5年間では最高の数です。
2006年にインドを訪問した外国隊の数は36隊にのぼりました。大部分はヨーロッパからの登山者でした。
トップはドイツ、続いて英国、フランスとスペイン隊が続きます。
韓国人もとりわけインドの山々を愛しています。ドイツ人が2006と2007年に12の遠征登山を行い、イギリスとフランスの登山家は各々8つの遠征登山を行いました。日本人と韓国人はそれぞれ4隊、3隊です。
IMFの記録は、もう一つの面白い事実を示しています。
ラダックの標高6,153メートルのストックカンリは特に遠征隊に好まれています。
2006と2007年には26隊の外国隊を引きつけました。インド国内の登山者にも人気があるとわかりました。
IMFによれば、その他に人気がある山としてジャンム・カシミールのクン東峰(7,077メートル)とガルワールの6,830メートルのケダル・ドームでした。同期間に各々6隊と5隊の外国隊を引きつけました。
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以上記事引用おわり

と、いうわけで、インド登山が増えているようです。
理由として、IMF理事はネパールの政情不安からインドに登山者が流れたのではと語っています。
今年はチベットがハチャメチャそうなので、もっと流れるかな・・・
日本でも、かつてはCB山群などは登山期間も短く済み人気の山でしたが、かつて不評だったインドの登山手続きが尾を引いているんでしょうかね。欧米に比べれば登山隊の数は今ひとつのようです。
海外の公募隊のサイトを見ると、インドのストックカンリやケダルドームは結構ポピュラーなようです。

登山はさておき、いやビックリの報道といえば、
さあ、インド・ネパールで登山経験のある皆さん、ご一緒に!
あのタタがっ!
あ の タ タ が っ !
イ ギ リ ス の ジ ャ ガ ー 買 収 な ん て っ !!!!!

でもタタのウェブサイトを覗くと結構かっこいい車が並んでますねえ・・・

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山の記念

人は、登山の証をモノとして残したいのでしょうか。
まあ、私も前述の記事で書いたように、登った山の石で焼き物を作ったりしていますが。

緊急探找:“登山英雄”劉連満失了的栄誉奨章 by 中国戸外資料網3/22

記事の概要は、今年79歳になる劉連満氏が、引っ越し移動中の車が故障、荷物を降ろした際に長年の登山で受賞した証明書・メダル一切合切が入った箱を紛失、ショックのあまり心臓を病んでいる劉連満氏は薬を服用してようやく持ち直すほどの衝撃を受けました。現在、メディアを通じて広く拾得者がいないか呼びかけているという記事です。

11822182969724768この劉連満氏。
1960年に中国隊がチョモランマ北面からの登頂に挑んだ際、王富洲、屈銀華、貢布らと共に頂上アタックに赴きましたが、頂上目前に劉連満氏は登頂を断念、それだけでなく仲間のために酸素ボンベを残していったことから伝説的英雄として周恩来に建国記念日式典に招かれたという人物です。

この記事を読み、やはり人は『記念』というものは形として残しておきたいものなのか・・・と考えさせられました。
登山が国家の威信を賭けた時代の人の、ちょっとお騒がせな話題ではありますが、無事見つかることをお祈りします。

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登山隊のお土産

会社から帰宅してみると、玄関に何やらでかい段ボールが。
昨年の山形県山岳連盟ヤラシャンポ登山隊の隊員・吉田岳君からの宅配便でした。

中身は
Pa0_0001
登山隊の記録写真を使用した、素敵なカレンダーでした。

今まで色んな登山隊をみてきましたが、隊の記念としてこのような大判カレンダーを頂戴するというのも初めてでした。
まあ資金に余裕がある地方登山隊の成せる技というか、お洒落だなーというのが第一印象でした。
カトマンズ製の、一回洗濯するとグニョッと縮むセンスの欠片も無い刺繍Tシャツとかはよくあるパターン(笑)ですけど。
登山活動中の隊員の写真を眺めていたら、娘に
お 父 さ ん は 写 っ て い な い の ?』
と言われたのには胸にチクリときましたが。

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登山が人々を救う----ノシャック峰にクライマーが還る日。

むかしむかし、冬の八ヶ岳のテントの中。
HAJの中川裕氏(現・日山協理事)と山の話をしていたときのこと。

私「あの~、アフガニスタンの山に行ってみたいんですが・・・」
中川氏「あ、それはですね、自衛隊に行って地雷処理のやり方勉強してきてください。」
私「・・・・。」
清く正しく純真華麗な当時20代の私は早速、乙種火薬取扱主任者の資格を取得した・・・が、アフガニスタン行きはまだ夢のまた夢である。

Noshaq
アフガニスタン最高峰にしてヒンズークシュ第2の高峰、ノシャック。
2000年になってヨーロッパの岳人達がアプローチを再開しているようだが、現在、ノシャックに至るキャラバンルートは地雷原になっている。
そして2008年、アメリカのカリフォルニア州立大学サンタクルス校の講師たちがアフガンの地雷除去運動を展開しています。
その目的の一つに、ノシャック登山再開を掲げて。

UCSC lecturer organizes campaign to remove landmines in Afghanistan by UC SANTA CRUZ3/4
以下記事引用開始
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MockUCSC講師ジョン・モック氏

2000年以降、ベースキャンプまでのルートが地雷原となったアフガニスタン最高峰ノシャックは近づきがたい状態になっています。
地雷は、タリバンの攻撃を防ぐために北部同盟によって設置されました。その結果、周辺の約1,000人の村民達は伝統的な放牧で牧草地に家畜を放すことができません。
そして、彼らが料理や暖房のために屋外で薪を集めることは、常に命懸けの行為となります。
1月に、UCSC講師ジョン・モックは、地雷除去資金を調達するために国際的な登山コミュニティに訴え、この問題を解決する運動を開始しました。

「最終的な目標は、村民や地雷犠牲者たちの苦しみを終わらせ、登山者と旅行者のためにノシャックを再び開放することです」と、モックは語ります。
「これは、全地域住民のために、持続可能な観光収入を生み出すことができるのです。」
「登山家のために、アプローチは登山における重要な課題の一つです。このプロジェクトは、生物多様性と保護、アフガニスタン奥地の開発における重要な問題に対処できるのです。」
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以上引用おわり

遠征登山の意義を見出そうと、学術隊をくっつけたり、昔から登山者はスポンサー対策も含めて、いろいろ社会的意義をつけたがる時代がありましたね。
地方の田舎の山岳組織ではまだ同様の動きはみられるようですが。
遠征登山そのものが、観光収入として地元の人々への貢献となる・・・という考え方は、今まで入山することによる環境破壊ばかり目を向けられていたヒマラヤ登山において、画期的な発想ではないでしょうか。(少なくとも筆者は不勉強ながら、日本に於いてこういう考え方をする人を知りません。)
前述の団体は現在地雷除去のための寄付を募っています。
目標額99485$に対して、2/25現在7515$集まっているようです。
詳細はこちらのウェブサイトで→ Return to Noshaq Campaign

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改めて、高見和成氏を悼む。

仕事を終えて宿で休んだ後、広島県立図書館に直行。
西日本の登山情報は、なかなか東北のイナカまで伝わってこない。
私自身、ネットに浮遊するメディア情報に依存してブログを書いているが、ネットが万能だとは思わない。
やはり郷土資料などは図書館に行くに限る。

本日の目的は、ヒマラヤニスト・高見和成氏の遺稿集『山毛欅林より』。
地道な鍛錬と豊富な冬山経験を経て、世界の山へ飛雄した高見氏。
こうした遺稿集で初めて、その人となりを知ることができる、というのは悲しい現実である。

池田常道氏いわく、かつての岳人はヒマラヤ遠征に際してはよく冬壁で経験を積んできていた、とロクなんとかいう腐れ雑誌に記述していたが、まさに高見氏の経歴はその王道をいくものだろう。
邂逅に恵まれ、シェルパやガイドの力を借りて8000m峰に登ったことを実力と勘違いしている昨今の風潮に私自身も重ね合わせ、深く反省させられる。
また意外なことに、高見氏自身は「よく本を読み知識を蓄積せよ」という意味のことも語っている。

遺稿集で特に強く印象に残ったのは、広島山稜会の木村知博氏による一文『忘れられた「がんぴ」の皮』である。
高見氏への二つの疑問として1.なぜ自伝に若い頃のヨーロッパアルプス北壁行の記録を掲載しなかったのか  2.後年の、「文化人もどき」への傾倒 の二つを挙げている。
「文化人もどき」への傾倒とは、高見氏が後年に自ら陶芸に勤しんだり、積極的に芸術家に関わり、個展開催を自ら催したりしている活動を指す。
これに対し、木村氏は
『彼は常々山以外の生き方に「人生の空白部」を感じていたのではないだろうか (中略) チョゴリ達成感の大きさに、山の「虚しさ」がしのびよっていたのではないかと推測する』と喝破している。
他に同遺稿集では他にも岡島成行(現・野外活動指導者CONE創始者、80年チョモランマ隊取材班)と高見氏の会話が秀逸である。
何が秀逸か。木村氏の文も岡島・高見両氏の議論も、「人生にとって、人にとって登山とは何か」を問いかける内容になっているからである。
きらびやかにちりばめられた海外登山の記録の中で、これら随所に光る「登山を問う」文章がこの遺稿集を引き立てている。

続けて広島山の会の40周年誌『山毛欅林』に目を通すが、十分に精読する前に残念ながら閉館のBGMが流れてしまった。高見氏の筆による、私も登った韓国・雪岳山の露積峰の記録が興味深い。(もちろん高見氏は私とは異なり、困難な西壁直登を果たしている。)
何より、広島県という西日本の一地方で、これだけ層の厚い登山者・クライマーが輩出される理由は何なのか、考え続ける。
岩場として三倉岳に恵まれ、アルパインクライミングの実戦場として大山に恵まれ、理由はそれだけだろうか。
フィールドに恵まれただけではなく、個々人が常に高い意識を持って山に望んでいた結果ではないだろうか。
昭和49年の高見氏のインスボンの記録に、ボルト乱打とトポに囚われる風潮を嘆く一文がある。昭和49年の文章である。

東北のどっかのイナカ山岳会みたいに、一つの山域で「お山の大将」に祭り上げられている人たちと異なり、常に意識を高く持ち、視線を外に向け続けてきた結果が、この分厚い記念誌『山毛欅林』に集約されている。
なお、広島県立図書館郷土資料の書棚には三倉岳のトポも収められている。また前述の記念誌『山毛欅林』にも三倉岳、大山のトポが記載されている。遠方から広島を訪れるクライマーさんのご参考までに。

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オリンピック聖火の登頂は問題無いアルヨ!

中華人民凶悪国で開催される北京五輪が近づくにつれ、チョモランマ聖火隊の報道も増えてきましたね。
かつては当ブログで取り上げたように、中国国内においても批判的な声はあったのですが。
ま、毒餃子よろしく北京五輪の盛り上がりにかき消されるんでしょう。

奥运圣火本月31日抵达北京 登上珠峰絶対没問題 by SOHU.com3/2

新華社配信の同記事の中で、こう表現されています。
『火炬上珠峰——絶対没問題
記事曰く、いかなる気象条件でも登頂し、聖火リレーを実施するとのこと。

・・・これって、暴風吹きすさぶ山麓でツアー登山の添乗員から「今日は登れますよね?」と無邪気に言われている気分(経験者語る)。

ま、聖火に関わる隊員が死んだら死んだで「国家英雄」「○○烈士」とか褒め称えるのは目に見えてるけどさ。
前々から当ブログでは主張していますが、中国が世界に誇る優秀な高所クライマーが、こういうクソったれ行事に疲弊させられるのは、「飼い殺し」と言わずして何でありましょう?

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やはり英国は違う。

昨年東京で開催されたバンフ・マウンテン・フェスティバルに朝一から駆けつけたのに、開催日以前に『当日券』が売り切れという事態に怒り爆発した私ですが・・・




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さすが侵略と冒険と探検の伝統の国イギリス。
シェフィールド・アドベンチャー・フィルムフェスティバルの宣伝ですが、日本と違って大々的ですな。
日本バンフフェス担当している反捕鯨テロ容認のパタゴニア日本支社の皆様も見習ってはいかがですか。

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四川省ハンターピーク 韓国隊冬季登攀の記録(前編)

四川省にそびえる5000m峰の岩壁群が注目されて久しいですが、もう冬季登攀が注目されるようになってるんですね。
以下、韓国の月刊「山」に掲載されていた記録です。

中国四川省ハンターピーク 生きていることに感謝するだけだ by月刊山 08年2月号
以下記事引用開始
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ああ!
登頂の喜びも束の間、闇が私たちを閉じこめてしまった。
岩壁ルートをとても易しく思った私たちは、夜間登攀の準備をしていなかったのだ。私が先に急いで100m ロープを利用して降りた。二人が降りればキム・ヨンチョル隊員が装備を回収して下降することを繰り返す。
幾度下っただろうか? ヘッドランプでビバーク位置を確認して降りようとしていると、上でキム・ヨンチョル隊員がせっぱ詰まった声で下降ルートが登攀ルートと違うと叫んでいる。動物的本能でヘッドランプに頼ったまま心細く岩壁ルートを降りた私たちは、結局戸惑う状況に直面した。

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頂上稜線を行くギム・グォンレ隊長とキム・ヨンチョル隊員

ひたすらビバーク地を捜すために長い時間を無駄に使った。こんなに右往左往すれば事故につながるという気がしして、皆一箇所に集まることを指示した。今の私たちには予備電池もないヘッドランプ 2個と水がいくらか。足を踏むだけで崩れ落ちる不安定な岩場に集まり、登山中に撮影したビデオテープを見ながら慌てる隊員たちを諫めた。
ヘッドランプを頼りに雪が積もっている所で映して見る。どの位の確信があったのか、キム・ヨンチョル隊員が最後に周辺を捜索して判断すると言い残して闇の中に消えた。
時間がどれくらい流れただろうか?
不安定なテラスでヘッドランプもなしに寒さと闘い、1時間以上待った。
キム隊員が下降ルートを見つけた、100余m下降して下さいと言っている。
優しいキム隊員のヘッドランプの光を頼り、ギム・グォンレ隊長が確認のため先に降りた後だった。C1ビバーク地に辿り着くように願いながら降りる。
ロープは落石で三箇所も深く傷がついている。ヘッドランプなしにオーバーハングや直登区間を降りる。どこがどこやらわからない。危険なこのすべてが私の不備不足で起こった事だと思うと危ないという気がして情けない。
最後にキム・ヨンチョル隊員が降りる。急に闇の中でキム隊員が左に振れ “どん”という音とともに墜ちていく。
「ヨンチョルよ!」勢いよく呼んでみる。
ロープでキム・ヨンチョル隊員を引き上げてみると、足首に痛みはあるがひどくはないと言う。「ありがとう」と言う言葉が我知らず飛び出す。羽毛服は引き破かれて毛があちこちに飛び、二重靴も足首部分が裂けてしまった。足首をよく見たら 2cmほど破れて、所々あざだらけだ。不幸の中で幸いだ。怪我よりも三人皆が生きているということに感謝するだけだ。

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頂上直前の岩場を登るギム・グォンレ隊長 / 5,050m付近でビバーク中の隊員

スークーニャン山群周辺には 3列の谷がある。タークーニャン(5,333m)、アルクーニャン(5,454m)、サンクーニャン(5,664m)、スークーニャン(6,250m)が並びあっている。当該山域はアメリカのヨセミテ国立公園を思わせる花崗岩壁が多くの人を魅了し、世界自然遺産に指定される位に自然がよく保存されている。この地域は多様な難易度の氷壁とハンター峰(5,362m), 野人峰, 父峰など 5,000~6,000m級の未踏峰が多く、高所登山を追い求めるクライマーたちの気を引いている。四川省登山協会の資料には、ハンターピークの外国人登攀・冬季登攀の記録は無い。

忠北登山学校ハンターピーク遠征隊は、小さいけれど立派な登山をして見ようという意味で計画された。高所登山は初めだが豊かなコンペ出場経験があるキム・ヨンチョル隊員、巨壁登山学校講師として活動しているギム・グォンレ隊長、そしてテクニカルな登山能力は劣るが高所経験が一番多い私。こんな三人で構成された。去年 1月忠北大学山岳連盟スークーニャン冬季訓練に参加した経験があって対象を探すことは難しくはなかった。さがなかった。氷壁、岩壁、高山の三つの要素を皆持っているハンターピーク冬季新ルート登攀を目標に準備した。
(後編に続く)

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四川省ハンターピーク 韓国隊冬季登攀の記録(後編)

中国四川省ハンターピーク 生きていることに感謝するだけだ ~ABC出発から20時間ぶりにビバーク地に帰着~ by 月刊山08年2月号 
以下記事引用開始
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難易度はあまり高くはないが、高所でミックスクライミングができるという魅力に、私たちは胸ときめかせ12月26日成都行飛行機に乗った。
27日、食糧を準備した後に通訳を引き受けたバック・スンムックさんの助けで 9mm×100m固定ロープを得てイルリュンに出発した。成都から諸葛孔明で有名なイルリュン村までは260km、青山峠(4,523m)を越えて8時間かかる。イルリュンからハンターピークまでは世界自然文化遺産指定によって専用の車両だけが運行しているので、車を乗り換えなければならない。

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クーロワールを登攀中のギム・グォンレ隊長

暗い夜道を 1時間ほど走り、ハンターピーク山麓の農家にベースキャンプを設置した。
1年ぶりに会う顔だから、言葉は通じなくても嬉しいことは言い尽くせない。こちらには数日前からシンガポールチームがベースキャンプを打って双鮎一帯でアイスクライミングをしていた。お互いに簡単にあいさつを交わし、明日からの山行準備のために食糧と装備を点検する。

28日、キムチチゲを食べて高所順応かたがたルート偵察に出る。まだ闇が立ち込めた山道からハンターピーククーロワールを探す。去年来て見た経験があって、私たちが登ろうとする谷の入り口を捜すことは難しくなかった。ビバーク地で装備を付け、200mほど登る。ギム・グォンレ隊長が確保地点にアイススクリューを設置して “出発!”の声とともにアイスバイルを氷に打ちこむ。50mほど垂直の氷を登りルートはまた沢状のルートにつながる. 私たちは退屈な沢状よりは登攀速度が早い尾根筋を選んだ. いくら登っただろうか? キム・ヨンチョル隊員が吐き気を示す。初めて経験する高所登山で適応が順調そうだったが・・・現在高度3,800m。私たちの計画したABCまではかなり距離が残っているが、隊員たちのコンディションと下山時間を思い、惜しいがここで戻る。

29日, コンディションが良くないキム・ヨンチョル隊員を BCに残し、ギム・グォンレ隊長とともに固定ロープと装備を担いで ABCに向かう。200mほどのルンゼに9mm 固定ロープ 100mをデポし、50mの氷壁に10mm固定ロープをフィックスする。人跡は見あたらない尾根に沿ってアイゼンをはいたままひたすら登る。足のように心もひたすら重いだけだ。
午後 4時、海抜 4,000m。クーロワールが始まる所にABCを設けて装備をデポした後下山を急ぐ。予想より進行速度はとても遅い。いくら海抜高度5,000m台の山とはいえ、それでも高所遠征なのに、日常生活が忙しいという言い訳で身体作りに疎かだったのではないかと思う。登山は体力、精神力、登山力この三拍子がそろわなければならないのに心配だ。
ところで 50mの垂直氷壁を降りてから、100mの固定ロープが綺麗に設置されているのではないか。キム・ヨンチョル隊員がここまで登り、ルート工作組のために苦労したようだ。重かった心は一段階アップグレードして足が軽くなる。

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クーロワール区間を登攀中のギム・グォンレ隊長

30日、3泊4日の食料と装備を担いでBCを出発する。コンディションが戻ったキム・ヨンチョル隊員が設置してくれた100m固定ロープを回収して担ぎ、アイゼンとバイルを取りそろえて先頭に立つ。速度を出すために固定ロープでユマーリングを始めた。氷壁上端に至ると、昨日設置した固定ロープは流水が凍結した状態だった。
急に登高器が作動しない。いくら固定ロープが凍結したと言ってもわずか 1~2m 程度だが・・・
しまった。一番難しい区間だから対処する方法がない。
ギム・グォンレ隊長がスリングにペツルのベーシックを下げてくれ、九死に一生で危機を兔れた。
デポ地にある全ての装備を取りそらえたらリュックサックが肩を押さえ付け、足が運ばない。少しの傾斜地を経てまた右側のクーロワールをトラバースして、25mほどの氷壁を登ったら70度の勾配が前を阻む。
もう生きて呼吸する草木は消え、まっ黒くて四角い岩が堪えている。ABC以降、生きている生命体は私たちの三人だけだ。窮屈なビバーク地に集まってコッヘルに水を入れ、食べたラーメンの味は一品だ。

31日、今日がクーロワール最後の区間の攻撃日だ。天気は晴やかで雲一つない。しかしABCからC1区間はハンターピーク頂上部にかかるため、一日中陽がさすことがない。冷気が張りついている。一日中羽毛服を着て登らなければならない。
約 50度の傾斜のガリーは凍って登りやすかった。それも少しの間、ガリーを抜けると口と鼻で荒く呼吸する。深くて膝が上がらなければ腕で膝を引っぱって、膝でクラックを押し進めながら何時間も登る。それなのにクーロワールの 1/3ほどしか登ることができなかった。.
また60度傾斜のガリー面につながる。登ることも大変だが確保地点を捜すことがカギだ. たまに見える岩はすぐ壊れそうな腐った岩だけ。確保物を設置できない。三人がプロテクション一つに身を頼らなければならないから心配だ。

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5,050m地点でクーロワールを降りるキム・ヨンチョル隊員/クーロワールを登山中のギム・グォンレ隊長とキム・ヨンチョル隊員

午後になり隊長がキム・ヨンチョル隊員とトップを変えて進む。隊長の特技であるエイドクライミングの実力を発揮する時だ。隊長はキム隊員にエイドギアの設置要領を教えながら、余裕があるように確保地点を見回す。頼もしく見える。隊長がトップに出て速度があがる。
ラーメン一杯で続けるクライミングでは身体は疲労していく。
1時間ならば良いか?
一ピッチだけ上がれば良いか?
それともここでビバークするか?
頭の中にはあらゆる考えが交差する。少しだけ、少しだけと忍耐してもうちょっと力を・・!
私は自分にずっと繰り返して言い聞かせながら、落石を運に任せたまま一歩一歩進む。
安否の終りはそれでも見えない。70度の傾斜の壁から上では風が吹き、三人のヘッドランプの明りと情熱だけが叫んでいる。夜明け3時頃、上端部氷壁地帯に登ったらアイゼンが虚空を割る。アイゼンに力が入らない。鋭さがない。アイスバイルも氷壁を打つと砕けてしまう。

鋭い頂上稜線に “ファイト!”と叫んで

黙々と隊長がルートを見出して確保して登るのを繰り返す。夜明け 5時、いよいよハンターピーク裏側が眺めることができた。5,050m地点に到着した。ABCを出発してから 20時間経った。お互いを励ましながら新年あいさつを交わして寝袋の中にくたびれた身を入れる。暖かくて幸せだ。

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頂上に座るギム・ウンシック隊員/バーナーを抱きしめ水の大切さに感謝するギム・グォンレ隊長/頂上直前でギム・グォンレ隊長とキム・ヨンチョル隊員

2008年 1月1日午前 10時。
しまった!
朝寝坊してしまった。重い身を起こしカップ麺で朝をすませ、北壁を見上げる。ハーネスを着け羽毛服を着る。二重靴を履いて羽毛服を着たら身体が鈍い。それでも寒さに震えるよりはずっと良い。頂上岩壁区間はキム・ヨンチョル隊員が先に進む。初めて高所を登る隊員にしては速度と高所順応が早い。
三人皆、初めのピッチを終わらせてロープを繰り上げるとロープが上って来ない。降りて見たらロープが鋭い岩に引っかかって抜けないのだ。ロープを整理した後、また登る。
岩壁はいつ崩れるかも知れない。手を出せば落ち、踏めば落石になって虚空に消える。それなりに最善をつくして登ろうと思うが落石は落ちていってしまう。
カム、ナッツ、ハーケンなどを使ってみるが、岩自体が脆く確保には不安定だ。
岩が鋭くてロープがスムーズにあがらず何度登ったり降りたり。しゃくに障る。
そのようにロープといざこざを続けていたら、いつのまにかナイフリッジだ。
これ以上登る所がない。午後 5時30分、ハラハラする頂上にと立ってみた。頂上は踏む所もない細く鋭いナイフリッジ状だった。
風が強く吹き、立っていることができない位に鋭かった。頂上で記念写真を撮って “忠北登山学校ファイト”を叫んだ。

2008021300458_6登攀ルート

登山日程
12.26 仁川-成都(出国)
12.27 成都-イルリュン-双鮎で民家にBC構築
12.28 3,800mに装備デポー
12.29 ABC構築(4,000m)
12.30 ABCでビバーク
12.31~1.1 5,050m地点到着(ビバーク 2日目)
1.1 登頂(ビバーク3日目)
1.2 BCで帰還
1.3 休息(イルリュンに撤収)
1.4 イルリュン-成都
1.6 仁川空港到着

登山成果
中国四川省、登頂記録がないハンターピーク(5,362m)を冬季東壁神登頂。忠北アルパインスクール(Chung-Buk Alpine School)と命名。すべての固定ロープを回収して最大限跡を残さないクリーンマウンテン登山実践。
文・ギムウンシック 忠北登山学校教務
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以上記事引用おわり

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ゾ・ヒョンギュのリーダーシップ

長期間にわたり過酷な状況下で同じメンツと生活と苦楽を共にするヒマラヤ登山では、きったはったのトラブルは裏話としてよく知られていますが・・・
こういうリーダーシップが美談として語られる点に、やはり日本と韓国の違いを感じますなあ。

韓国最高の智将 ゾ・ヒョンギュ by 慶南新聞2/11
以下記事引用開始
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200802110101011800000102sゾ・ヒョンギュ氏近影

“目標がある人生は成功することができるし素晴らしい。 何でも挑戦し冒険するということは、危険と挫折が伴うが、この冒険と挑戦意識だけが人間を新しく生まれ変わるようにする。”
-ゾヒョングギュ慶南山岳連盟副会長

ヒマラヤの諸葛孔明、知恵と徳・体力をすべて取り揃えたヒマラヤの生きた戦略家、ヒマラヤで登頂不敗の成功神話等々…慶南山岳界を一番先に進み導いているゾ・ヒョンギュ副会長(60・咸安中央薬局代表)を指す言葉だ。
ゾ副会長は今年還暦を控えている。 しかしヒマラヤに対する彼の情熱はまだ20代だ。
しかし実際に彼を見れば171cm、63kgのか細い身で、果してヒマラヤ死の地帯 8000mを登山することができるか疑問に思う位だ。

◆ヒマラヤの戦略家として
ゾ副会長の登山経歴は華麗だ。 1988~1989年韓国冬季ヌプツェ北西壁(7745m) 隊長として冬季世界初、1992年ナンガパルバット(8125m) 韓国初、1995年エベレスト南西壁(8850m) 世界第7登、韓国初という輝かしい業績を成した。 特に 1995年エベレスト南西壁は韓国山岳界が 6度の挑戦に失敗したルートだった。
しかしゾ副会長は徹底的な事前準備と優秀な隊員選抜、完壁に近い食糧と装備を準備して、困難な登山を成功に導いた。
彼がどんなにエベレスト南西壁登山に先立ち満を持したのか示すエピソードがある。
1994年エベレスト登山の前、日本エベレスト遠征隊長と副隊長を馬山に招待して、隊員たちを対象で講演会を催した。この席で尾形好雄副隊長は「1994年エベレスト遠征の時、第5キャンプ(8358m)に使わないロシア製酸素 3本を埋めておいて来た」と冗談を言った。
ゾ隊長はこれを見逃さず、酸素を埋めた正確な位置を絵で描いてくれるよう頼み、尾形は特に考えなしに応じた。翌年の 1995年 8月 27日、エベレスト南西壁を登った慶南の登山家たちは、悪天候で登山が長期化、重い酸素と食糧などを輸送するのに大きな困難に直面し、登頂の可能性が稀薄になっていた。
しかしゾ隊長は日本遠征隊が保存しておいた酸素位置を隊員たちに知らせ、登頂を準備したパク・ゾンホンは海抜 8300mで ‘値千金の酸素’を発見、 頂上に登ることができた。
結局この登山は私たちの山岳人たちに登頂中心ではない登攀主義を実践した、とても意味ある登山として国内はもちろん世界山岳界に道しるべを立てた。

◆暮すも一緒、死ぬも一緒
ゾ副会長は 20年間ヒマラヤで隊長や時には純粋な登山隊員として参加し、登頂不敗神話を作った。しかしなによりも彼の名声を高めてきたのは、20年間近く幾多の登山をしながら、ただ一人の隊員も失わなかったことだ。
いくら優れた登山をしたと言っても、仲間が生きて帰ることができなかったら、その価値は小さくなる。その意味でゾ副会長の隊員を大事にする心は特別だ。
彼がどんなにチームワークを重視して隊員たちの命を惜しむのかを示す有名なエピソードがある。
1992年慶南山岳連盟パク・フィテク、ソン・ゼドック隊員が韓国人初のナンガパルバット登頂を果たした後、下山中にソン隊員が気力がつきて倒れ、パク隊員も疲労で一緒に山から下りることができない状況になった。
パク隊員一人で下るのか、でなければ一緒に死ぬかの岐路に立った。
パク隊員は状況を無線でゾ隊長に知らせた。無線から返ってきた答は
『フィテック、お前一人で下ったら連絡官が持っているライフルで殺す』
パク隊員はソン隊員とのロープを解かないで第4キャンプに無事に下り、数日後ベースキャンプに無事に帰還した。
ゾ副会長は「もし二名の隊員が登頂後一緒に死んだら仕方なかったが、もし一人だけ戻ってきたら私が多分殺したはずです」と当時を回想した。
彼は「死が交差するヒマラヤ遠征で、遠征隊長は永遠に責任を負わなければならないし、死亡者の家族が自立できるよう、細心な気配りをすることができる人だけが隊員たちを導き出すことができる」とリーダーの資質論を強調した。
2004年 4月、ヒマラヤ登山隊長を歴任して慶南山岳界発展に寄与したパク・ズファン専務理事が癌で亡くなると、ゾ副会長を含め登山家たちは募金運動をした。そして故パク・ズファン専務理事の娘が去年蔚山大学校に進学すると同時に、募金した1000万ウォンを慶南山岳連盟創立記念日に渡したりした。
慶南の登山家たちは、先に世を去った先輩の家族の責任負う、美しい姿を見せたりした。

◆携帯電話も自動車も兔許証もなくて
1999年、ゾ副会長は新しい挑戦に出た。当時 51歳だった彼は一般隊員としてパキスタンのガッシャブルム2峰(8035m) 頂上に挑戦した。
1999年 6月 17日ベースキャンプに到着したゾ副会長は他の隊員たちと同じく、直接荷物を背負い、ルート工作をして7月17日ガッシャブルム2峰頂上に立った。当時彼は国内最高齢8000m峰登頂記録を立てた。
そして 2004年、56歳の年に世界第4位のローツェを登るなど国内最高齢登頂を二度樹立した。
1949年咸安で生まれ、現在も地元で薬局を運営しているゾ副会長は、一日15時間以上働いて体力を鍛えている。彼は薬局運営で多くのお金を儲けたが、大部分は精神肢体障害者や貧しい人たちに投資している。
現在彼は携帯電話もなく自動車も持たない。
「山に登るとか約束している場合以外は薬局にいるから、携帯電話は必要ありません。携帯電話は拘束される傾向があって購入しませんでした。」と携帯電話不要論を展開する。
乗用車を持たないことについては「薬局を出ればあちこちにタクシーがあるのに、何故車が必要なのか? 山の関係者と会ってお酒を飲んだりすると、自動車はむしろ悩みのタネになる」と語る。
これから還暦を迎えるゾ副会長は「現在の韓国山岳界は登頂することのみに捕らわれて成果中心の遠征登山が繰り返されるのが現実。今からでも敢然と改善して行かなければならない。慶南山岳連盟は登攀中心の登山を推進してきたが、これからもっと多くの新しいルート開拓に力をつくさなければならない。」とコメントした。
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以上引用おわり

『フィテック、お前一人で下ったら連絡官が持っているライフルで殺す
いやあ~私なんか真っ先に撃ち殺されそうだ・・・
でも思わぬところで群馬岳連のボンベが役に立っていましたね。

『山の関係者と会ってお酒を飲んだりすると、自動車はむしろ悩みのタネになる』
日本の、派出所も無いようなイナカの酒飲み山岳会の皆さん、ちゃんと代行車を利用しましょーね。

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【訃報】西川一三氏を悼む

時の首相・東条英機より命を受け、僧侶に変装してチベットに潜入、戦後はGHQの取り調べを受けるなど数奇な運命を辿った西川一三氏が亡くなられました。

西川一三氏死去 by 毎日新聞2/9
Nisi若き日の西川氏

その著書『秘境西域八年の潜行』を手にしたのは高校生の頃。
国家の命を受け、チベットに潜入するというスリリングな展開もさることながら、私にとってチベットに目を向ける原動力、受けた影響は欧米各国の探検家よりも大きいものがありました。
中公文庫の書籍が現在は入手し易いようですが、機会ある方にはぜひ図書館あたりでオリジナルの単行本を読むことをお勧め致します。
戦後の消息については、盛岡で理髪用具の業者として達者に暮らしているとお聞きしておりました。
偉大な先達として、謹んでご冥福をお祈り致します。

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