デニス・ウルブコの弱点

デニス・ウルブコの弱点が暴露さる!?

Denis Urubko: ¿Lo más difícil en mi vida? quedarme pillado por una mujer by Desnivel 2012.4.25

スペインのDesnivelにてデニス・ウルブコのロングインタビューが掲載されているのですが、そのときのひとこま。

以下引用開始
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Q.軍隊生活と登山、どちらが厳しいですか?

デニス.比較するのは難しいですね。登山も、軍隊生活も厳しく困難ですし、比べることは難しいです。私の人生でより困難な状況になったのは、女性に束縛されたことですね。

Q.軍でも山でもなく、女性ですか。

デニス.はい、事実です。(笑)

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デニス・ウルブコ・・・
そんなにカミさんに束縛されてるのか・・・・

ちなみにデニス・ウルブコの奥様とのツーショットはこちら↓
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デニス・ウルブコとビクトリア夫人(Russianclimb.comより)

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特殊部隊スペツナズ参上

『ランボー3 怒りのアフガン』とか『レッド・スコルピオン』とかの見過ぎでしょうか、ロシア特殊部隊スペツナズといえば、暗い要塞の中で拷問やってるとかゆーイメージしかないのですが、今春スイスでも伝統ある山岳スキーレースに初参戦というニュースです。

Бойцы спецназа МВД стали лучшими дебютантами в самой сложной в мире лыжной гонке by 1tv.ru 2012.4.29

 今回スペツナズが初参戦したのは、 Patrouille des glaciers という山岳スキーレースで、もともと第二次世界大戦中にスイス軍が兵士を鍛えるために編み出した行軍が起源になっているようです。現在は各国軍事関係者はもちろん民間人も参加可能なレースになっています。
 コースはZermattからVerbierまでの53km、レース中の最高地点は3700m、ゴールのVerbierは1520mとアップダウンの激しいコースです。
 
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今回参戦したスペツナズの面々。

で、肝心のレース結果ですが悪天でノーレースになったようですね。、スペツナズは2チームを派遣、エントリー26チーム中、完走は24チーム、その中で14位と19位でゴールしました。

まずは動画をご覧あれ。
動画開始20秒あたりから、スペツナズ流のスキー着脱・携帯の様子が記録されています。

この動画や記事の中で報じられているのが、レース中の行動食はわざわざロシアから持ち込んだ「ロシア風黒パン」。こんなやつです↓
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どうみても茨城の干し芋・・・

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戻らなかった女たち

2012年5月、2人の女性クライマーのモニュメントが建立されることになりました。

まずは韓国から。
2009年にナンガ・パルバットで亡くなった故ゴ・ミスンの銅像が故郷に建立されました。

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生前の姿そのまま…登山家ゴ・ミスンさん銅像 by 東亜日報(韓国語版)2012.4.11

ゴ・ミスンの故郷、全羅北道の扶安(プアン)スポーツテーマパークに立てられた銅像は、大韓山岳連盟、韓国女性山岳会、ゴ・ミスンファンクラブの方々によって資金が集められ製作されたものです。

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クライミングでの全盛期、韓国ファイブ・テンの広告モデルをつとめたゴ・ミスン

ゴ・ミスンといえば、我々日本人からみればスポーツクライマーのイメージが強烈なところですが、銅像のコンセプトは製作した彫刻家チョ・ジュヒョン氏によれば「人間の力で登ることが困難な高山の登頂に成功し、安らかに笑っている姿を表現した」とのこと。


そしてポーランドから。
女性高所クライマーの第一人者であったワンダ・ルトキェビッチがカンチェンジュンガで行方不明になって20年。
ワンダ・ルトキェビッチの記念碑が、ポーランドを代表する山・タトラ山群で亡くなったクライマーを祀る集団墓地に立てられることになりました。

Wanda Rutkiewicz symbolicznie powraca w Tatry by 24tp.pl 2012.4.16

この集団墓地は国境を挟んでタトラ山群を擁するスロバキアにあるのですが、ここに設置されるとのこと。
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この記念碑はポーランド山岳協会およびポーランドの岳人を支援する「ククチカ・ファンド」により建立されました。没後20年を記念して映画祭も開催されるようです。

ポーランドのメディアでは、こんな画像も配信されています。

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右から田部井女史(エベレスト女性初登)、中国のパントグ女史(エベレスト女性第2登)、ワンダ女史(エベレスト女性第3登)

田部井女史はここでつらつら書くまでもなく、パントグ女史もエベレスト登山後は社会福祉活動に力を注いでいます。
近年、8000m峰をめぐる女性達に関する書籍がいくつか出版されましたが、私の「名誉欲に憑かれて死んだ」というワンダ女史の評に変わりはありません。

あの人は昔 ワンダ・ルトキエピッチ 

 惜しむらくは、ワンダ女史が生き延びていれば、その後ポーランドのみならず女性クライマーに多大な影響を与えたことでしょう。なおポーランドのメディアは、ワンダ女史に影響を受け後に続く女性クライマーとして Kinga Baranowska の名前を挙げていますが、男社会の中で自分の道を切り拓いたワンダ女史の苦労にはおよばないでしょう。
 前述のゴ・ミスンさんも、韓国の女性クライマーのインタビューからは後進のクライマーに多大な影響を与えていたことが伺えます。

 死んだ者はもう還ってはきませんが、こうした記念碑という形で語り継がれることは、実は重要なことだと思います。
 苦労話が楽しいとは全く思いませんが、今、我々がこうして登山を楽しめる、登山をやっていける環境の礎(いしずえ)として、先人の苦労があることは、決して忘れてはならないことなのです。
 それは常識であり、礼儀なんですね。
 そういうことをきちんと踏まえていないと、「単独無酸素」だの宣伝文句に振り回す痛い人がでてくるわけです。

 私も仕事や家庭を抱えて山に行く人間なもんで別に女性に媚びるつもりはサラサラありませんが、ガイドしながら中高年女性のお話を伺っていると、家庭や家事などの世俗の雑事をクリアして、そして山に来る方がいらっしゃるわけです。
 そろそろ日本の山岳メディアも、ハイカーの若いねーちゃんに鼻の下のばすのはいい加減にして、主婦や会社員として社会を構成する女性登山者たちに、登山史の観点からもきちんと光を当てるべきではないんでしょうか。

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シモーヌ・モロー、エベレスト・ローツェ縦走へ

 イタリアのシモーヌ・モローが今春、『登山界最大の課題(Montagna.tv)』ともいわれるエベレスト・ローツェ縦走を目指す模様。
 この計画はイタリアの登山サイトMontagna.tvがスクープしたようで、同サイトの掲載記事がExplorerswebはじめ各国の登山サイトで転載されています。

Svelato il mistero, Simone Moro tenta la traversata Everest-Lhotse by Montagna.tv 2012.4.5

エベレスト~ローツェの縦走は古くは小西政継氏もその著書の中で夢見ていた課題ですが、97年に故アナトーリ・ブクレーエフがトライ、今世紀に入りデニス・ウルブコやモロー自身もトライしましたが、いずれも失敗に終わっていました。
なお今回の登山には南チロルのクライマー兼カメラマンである Hans Peter & Helmut Karbon兄弟が同行します。

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追悼 ニサル・フセイン(Nisar Hussain)

 ガッシャブルム1峰冬季登頂を目指し、行方不明となった国際隊の三名は、ヘリ捜索の結果も何も発見できず、生存は絶望、捜索打ち切りが決定しました。

 三名とも素晴らしいクライマーでしたが、当ブログでは西欧偏重の日本の山岳メディアが光をあてないアジア、パキスタンのクライマーNisar Hussain氏について、パキスタンのDAWN.comの記事から引用します。
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ガッシャブルム1峰冬季登攀中のニサル・フセイン氏近影(Photo by Álex Txikon)

Lost before climbing to fame by DAWN.com2012.3.18
以下記事引用開始
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 フセインにとって最も実現したかったことは、エベレスト登頂でした。百万のきらめく星のような、遙かな夢を彼は抱いていました。

 フセインは、オーストリアのゲルフリート・ゲシェル、スイスのセドリック・ハーレンと共にガッシャブルムに遠征、消息を絶ち、死亡したものと推定されています。
 フセインにとって今回の登山は、一般的なポーターとしてではなく、平等な「チーム・メンバー」として参加した登山でした。2003年以来の友人であったゲシェルは、フセインの今後のネパール遠征に協力すると約束していました。 「神に見捨てられた土地」でもっとも天候の厳しい季節にガッシャブルムを目指し、ゲシェルの登山隊に参加しました。

 冬季初登頂を果たしたポーランド隊が三人を目撃しましたが、その後悲劇に終わりました。時速150kmに達する強風、マイナス40度以下の悪天で生存は不可能と思われます。3月9日、頂上直下の約250m地点で三人が目撃されたのが最後となりました。捜索隊は3月14日、ゲシェルの親族の申し入れで捜索中止を決定しました。

 フセインの業績を知るパキスタン人は、多くはありません。
 1980年7月16日生まれのフセインは、サドパラ(Sadpara パキスタンでの遠征登山において、強力なポーターを輩出したことで知られるスカルド地方の村)の出身です。
 山羊やヤクの遊牧で生計をたてる両親を助けるため、彼は高校卒業後、父親の手伝いを始めました。山岳ガイド、そして高所ポーター(HAP)を始め、すぐに彼は世界でも著名な登山者たちと登るようになりました。

「乏しい英語で私たちと登山隊の成功を実現しようと彼がいかに努力していたか、覚えています。彼がクライミングに関して大きな夢を抱いていたこと、その情熱がよくわかりました。登山について議論するときは彼の眼はギラギラとしていましたが、それ以上に、彼の情熱とサポートは私たちを助けてくれたのです。彼の死は非常に悲しい出来事です。フセインが真の英雄として記憶されることを願います。彼の魂の安らかなることを。」サラ・K(フセインがガイドした登山隊のメンバー、ドイツ在住パキスタン人)はコメントしました。

 フセインにとって最初の8000m峰であるガッシャブルム2峰に登頂した、大切な日。
 フセインのウェブサイトの記述が、何を感じていたかを表しています。

「1999年には、私はイ・サンベ氏率いる、G-II(8,035m)韓国隊に雇われました。私にとって初めての8000m峰でした。少年に見えたのでしょう、韓国人は私がシア・カンリに登頂したことが信じられないようでした。
 登山活動中のある時、彼らは議論していました。私が若すぎて経験が乏しいとみえたのでしょう、ベースキャンプに戻され、登山の技量についてテストを受けました。彼らは満足し、私に謝罪してくれました。」

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2008年、パキスタン山岳会にてナンガパルバットの登頂証明書を受け取るニサル・フセイン(写真:パキスタン山岳会提供)

 それ以来、フセインは大きく成長しました。
 彼は酸素ボンベを使用せずパキスタンの8000m峰全てに登頂した三名のパキスタン人のうちの1人となりました(ラジャブ・シャー、ハサン・サドパラに続く三人目)

 パキスタン山岳会の元会長であり登山家であるナジール・サビールは悲しみを次のように表現します。
「彼はスリムなアスリートでした。素晴らしいクライマーの特徴だが、彼を光らせたのは、その行動と情熱です。謙虚で前向きな姿勢がそれを支えていました。登頂に成功し、登り続けることには危険が伴います。そしてその危険が何かを理解していました。」

 生存の望みに関して質問した際、サビールはその高々度で生存は絶望的であること、過去数日の悪天がさらに可能性を薄くしていることに言及しました。

 フセインと同じ村に住むハサン・サドパラ(パキスタン人としてエベレスト登頂を果たした二人目のクライマー)は、今回の捜索隊のメンバーでした。
「若い命が失われたことを、表現する言葉がありません。私たちは同じ村の出身ですし、3つの8000m峰で登頂を共にしました。最初は2004年、一緒にK2に登頂しました。そのときはK2初登頂記念の年でした。今思い返せば、フセインがいかに公的な支援無しに達成したか痛感しています」

 サドパラは2006年にガッシャブルム1峰、2峰で登山を共にし、2008年にはナンガパルバットで登頂を共にしました。

「サドパラ村は携帯電話の圏外にあります。彼の家族に連絡をとるのに時間がかかりました。家族、特にハイポーターとして多くの遠征を共にした彼の兄弟たちは取り乱していました。」

 フセインにとって、クライミングは情熱以上のものです。それは生計をたてることを意味するのです。クライミングによって、家族を養ってきました。ハイポーター、そしてガイドとして、彼は、家族を養うために生命を危険にさらしてきました。
 彼の場合、妻、3人の幼い子供、そして親類を養っていました。
 不運にも、その業績はパキスタン人に知られていないままです。しかし彼はポジティブな人生を歩んできました。

「生命をこれほど危険にさらすスポーツはありません。クライマーは、これほどの危険があることを知りながらもまた戻ってくるでしょう。
 来たるべき時には、ガッシャブルム1峰はさらに冬季登頂が行われるでしょう。
 偉大なる山々に敬意を払うクライマー達と頂上で出会うとき、フセインの魂も喜ぶことでしょう。」
ソハイル・サディク(トレッカー)
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以上引用おわり

Neueroutebisgratwww
ニサル・フセインらが試みた冬季ガッシャブルム1峰の新ルート
(Photo by Gerfried Göschl website)

 ネパールのシェルパ族の歴史をかえりみればおわかりのように、パキスタンの「ハイポーター」と呼ばれる人々が、従来のような他者-すなわち先進国からやってくる金持ちの登山家たち-のためではなく、己自身のために登山を行う。
 パキスタンにおける先駆者は、記事中でもコメントしているナジール・サビール氏です。
 記事にもあるように、彼らパキスタン、カラコルム山麓の人々にとっては、登山が生計に直結しているという現実もあります。上記記事の原文では、

For Hussain, climbing was more than a passion. It meant sustenance. It put meals on his table; it allowed him to provide for his family.

と表記されています。

 記事を読んでいて思うのは、ニサル・フセインにとって、生活と名声だけが、彼を8000m峰に駆り立てたのだろうか、ということです。
 カラコルムのハイポーター、ネパールのシェルパにとっては、困難な登頂を果たせばそれが「経歴」となり、さらに高い収入を得られるステップであることは事実です。
 しかし、それだけの理由でガッシャブルムの冬季登頂、しかも新ルートに挑むものだろうか。
 私はニサル・フセイン氏と直接の面識はありませんので、ここで真意を測ることはできません。
 さらにネパールの8000m峰を目指していたという彼は、登山隊でギャラを得るだけではない、クライミングに取り憑かれた一人の自立したクライマーではなかったのか、と私は思うのです。

 現時点でいえることは、ニサル・フセインというクライマーが亡くなったことはパキスタン登山界において重大な損失であったということ。
 そして近い将来、パキスタン・カラコルム山麓に住む人々の中から、自分たちの祖国の山々に困難なルートを拓くクライマー、遠い外国からやってきたクライマーではなく、ニサル・フセインに続く地元出身の強力なクライマーが必ず現れるであろう、ということです。

 ガッシャブルム1峰に逝ける魂の安らかならんことを。

参考サイト:Nisar Hussainオフィシャルサイト

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【速報】ピオレドール2012受賞者は

今年度、Piolets d'Or 2012の受賞者は、

マーク・リッチー、スティーブ・スウェンソン、フレディ・ウィルキンソンらによるサセルカンリⅡ峰(7518m)

ネイツ・マルチッチ、ルカ・ストラザーらによるK7 西峰 (6,615m)

に決定の模様。

審査員からの special mention (特別賞)として、先日不慮の事故により亡くなったノルウェーのBjorn-Evind Artunらによるトーレエッガー冬季登攀も選ばれました。

また生涯功労賞は正式に「ワルテル・ボナッティ賞」と命名され、先にお伝えしたとおり、ロベール・パラゴが受賞しています。

参考サイト:Piolets d'Or 2012オフィシャルサイト

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冬季ガッシャブルム国際チームの3名、消息絶つ

 ガッシャブルム1峰冬季登頂を果たしたポーランド隊に関しては既報のとおり。登頂者2名も無事ベースに下山した模様。
 同時に南面新ルートから頂上アタックをかけたGerfried Goschl(オーストリア)、Cedric Hahlen(スイス)、Nisar Hussain(パキスタン)。
 彼ら3名については、登頂を果たしたポーランド隊の二人が頂上まで450mまで迫っている三名を目撃、その後の消息が途絶え、国際隊のメンバーで凍傷により登頂を断念したバスクのAlex TxikonがBCで様子を見守っている状態でした。
 当初は衛星電話(スラーヤ)のバッテリー切れの可能性が伝えられていましたが、36時間経過した時点で捜索ヘリの要請がなされましたが、現地は悪天候のためヘリも天候待ちの状況。

 当ブログでも推移を見守っていましたが、パキスタンのメディアが『missing』として報道しましたので、以下に関連報道サイトを転載します。

Preocupación en el G1 por los compañeros de Álex Txikon by Desnivel 2012.3.10

Polish, Pakistani mountaineers missing by pakistanobserver2012.3.12

Botched expedition: Mystery shrouds fate of missing climbers in Skardu by The Express Tribune2012.3.12

参考サイト: Alex Txikonのブログ 

三名の無事を祈ります。

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【速報】ポーランド隊、ガッシャブルム1峰冬季登頂成功

 現地時間3月8日午前8時30分、ファイナルキャンプC3から8時間かけて、遂にポーランド隊がガッシャブルム1峰の冬季登頂に成功した模様です。
 登頂隊員はアダム・ビエリツキ(Adam Bielecki)とヤヌシュ・ゴラブ(Janusz Gołąb)の2名。
 2012年1月21日にベースキャンプを設営してから49日目でした。
 途中、時速80~120kmと報告されている烈風と積雪のため頂上アタックを中止、強風で何度もテントを修理しながら粘りに粘ったポーランドの岳人の、素晴らしい成果です。
 この登山隊はアルトゥール・ハイゼル(Artur Hajzer アンナプルナ冬季初登)氏が隊長を務め、2010~2015年の長期計画でカラコルム冬季登山を目指すポーランド山岳会が派遣、ブロニスワフ大統領が後援という大がかりなプロジェクト。

 なお南面で登山活動中の国際隊、Gerfried Goschl(オーストリア)、Cedric Hahlen(スイス)、Nisar Hussain(パキスタン)のパーティーも同日に頂上を目指している模様です。

参考記事: GASHERBRUM I ZDOBYTY!! by Polski Związek Alpinizmu

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【続報】ポーランド冬季G1隊、再度トライ

 時速80~100kmと報告されている烈風の中、驚異的なねばりをみせている冬季G1登頂を狙うポーランド隊の続報です。
 3月6日現在の情報では、3月8、9日を頂上アタックのチャンスとしてC2をすっとばしてC1からC3(ファイナルキャンプ)への登高をめざしています。
 おそらく数日中に、登山隊の成否がはっきりすると思われます。
 その成否にかかわらず、ここまでの登山活動自体がポーランドのアルピニズムを体現していると言ってもいいでしょう。

参考記事
Gasherbrum I - relacja z 06.03.2012 by Polski Związek Alpinizmu

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【速報】G1冬季登頂アタック中止

 ポーランド隊によるガッシャブルム1峰冬季登頂の試み。
 同隊は過酷な強風の中、ねばりにねばり、28日に頂上アタックを試みる予定でしたが、2月27日現在、強風と深い雪に阻まれ、メンバーはベースに戻った模様。
 今後の活動は協議中とのこと。

出典:Gasherbrum I - atak zastopowany przez wiatr by wspinanie.pl 2012.2.27

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