【訃報】韓国のキム・チャンホ遭難死

まことに残念な報道です。

アジア人初の8000m峰14座無酸素登頂はじめ、ピオレドールアジア他、素晴らしい登攀を重ねてきた韓国のキム・チャンホが、グルジャヒマール山麓にて、雪崩およびその爆風と思われる災害で亡くなりました。49歳でした。

Kim
韓国の『哲人』、キム・チャンホ

김창호 히말라야 원정대 9명 시신 발견... 돌풍·눈사태에 추락 by 朝鮮日報2018.10.13

在ネパール韓国大使館の情報によれば、10月12日、グルジャヒマール峰3500m地点のベースキャンプが雪崩とその爆風に襲われ、翌13日、韓国人5名、ネパール人スタッフ4名の遺体が発見されたとのこと。その中にキム・チャンホ氏が含まれていました。爆風は立木も吹き飛ばす凄まじいものだったようです。

キム・チャンホ氏は以前から立ち上げていた「ヒマラヤ・コリアンウェイプロジェクト」の一環として、ヒマラヤのマイナーな山の壁に新ルートを開拓してきました。今回もグルジャヒマール南壁に新ルートを開拓すべく入山、事故に遭遇したものです。

キム・チャンホ氏はタイトル狙いのクライマーとは一線を画し、自身が持つ独特の哲学~山を愛し、人を愛す~に従い、ヒマラヤの困難な壁を陥してきました。

マスコミ受けしないその登山人生は、韓国の山岳雑誌でも長らくとりあげられることはありませんでした。

韓国の哲人、キム・チャンホ 当ブログ2013.1.3

もう書斎には行かない 8000m峰14座無酸素登頂 キム・チャンホ ロングインタビュー 当ブログ2013.6.19

キム・チャンホの死はゴ・ミスンのそれと同様、アジアのみならず世界的な損失といえるでしょう。
彼が蓄積してきた膨大なヒマラヤ・カラコルムに関する情報量、そして実践。
まだまだヒマラヤ登山の可能性を示してくれるクライマーの一人でした。

まことに残念ながら、私が知らない間に韓国メディアの取材で冬の山形県・月山を訪れたこともありました。
そのときはスノーシューツアーでホットワインを楽しんでいたとのことでした。

韓国の偉大なクライマーの死に哀悼の意を表します。

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マルコ・プレゼリ、中国・四川省の嘉子峰西壁へ

今秋、スロベニアのマルコ・プレゼリ、ウルバン・ノヴァクが中国・四川省の嘉子峰(6540m)西壁を目指しています。

Alpinistična odprava Jiazi Feng 2018 krenila na pot by Planinska zveza Slovenije2018.10.4

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マルコ・プレゼリ(左)、ウルバン・ノヴァク(右)

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今回プレゼリらが目指す嘉子峰(チズ峰 6540m)

 プレゼリらはもともと東チベットの鋭峰として知られるDojitsenga峰(5700m)遠征を計画していましたが、CMAから許可が下りず、嘉子峰西壁に転進したものです。

 嘉子峰北西壁には既に中国の故ヤン・ドンドンはじめ幾人ものクライマーらがトライ、素晴らしいルートが拓かれています。
 スロベニア山岳協会ウェブサイトの記事では「西壁」と記載されていますが、ベテランのマルコ・プレゼリ、セロ・キシュトワル峰はじめインドヒマラヤで素晴らしいクライミングを展開してきたウルバン・ノヴァクのペアがどんなルートを開拓するのか注目です。

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ローツェ、アンナプルナ、スキー滑降の挑戦

 去る9月30日、アメリカのヒラリー・ネルソン(Hilaree Nelson)とジム・モリソン(Jim Morrison)のペアが、世界第4位のローツェ(8516m)山頂からのスキー滑降に成功しました。

FIRST UPDATES FROM THE HISTORIC LHOTSE SKI DESCENT by Tetongravity.com2018.10.4

Lhotse
アメリカのヒラリー・ネルソン、ジム・モリソンのペアがスキー滑降に成功した「ドリーム・ライン」

ローツェ峰西面、ローツェ・クーロワールに沿って第2キャンプまで滑降、約17時間をかけた冒険でした。

一方、ロシア人のペアがアンナプルナ峰のスキー滑降を目指し、9月からネパールに入っていました。
この2人はヴィタリ・レゾ、アントン・プゴフキン。2017年にマナスルに無酸素登頂・山頂からのスキー滑降を果たしているベテランです。

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出発前の記者会見の模様。左がヴィタリ・レゾ、右がアントン・プゴフキン。

こちらの計画は残念ながら大雪に阻まれ、アンナプルナ登頂・滑降は成りませんでした。

2人は「デスゾーン・フリーライド」と銘打ったプランを立ち上げ、長期計画で8000m峰スキー滑降に挑む予定です。
彼らのウェブサイトがこちら→ Deathzonefreeride.com

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ラトックⅠ峰、北稜は未踏のまま第二登さる

先日掲載したイギリス・スロベニアのクライマーらによる、ラトックⅠ峰の第2登の詳細が明らかにされました。

Po 40 letih neuspešnih vzponov Česen, Stražar in Livingstone prvi na Latoku 1 s severne strani by Planinska zveza Slovenije 2018.8.17

8月5日深夜に北稜に取り付いた3名は北稜を3分の2まで登ったところでラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進み、ピークをまわりこんで第2登に成功したものです。

ラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進んだという情報が先走り、supertopoや東欧のクライミングサイトで推測によるルート図が出回っていましたが、上記リンクのスロベニア山岳協会が発表したルート図がこちらになります↓

Latok_2

今回のクライミングについて、イギリスのトム・リビングストンが「我々は北稜を完登したとはいえない。目指す者がいれば、北稜はまだそこにそびえています。」とコメントしています。

La norte del Latok 1 sigue sin haber sido escalada by Desnivel 2018.8.18

途中から北稜を離れたとはいえ、それで難峰ラトックⅠ峰第2登というクライミングの素晴らしさが損なわれることはないでしょう。

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ルートを探るアレシュ・チェセン (トム・リビングストン撮影)

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北稜に点在するキノコ雪に幾度も悩まされながらの登高(アレシュ・チェセン撮影)

3名は日曜19日に帰国予定。さらに詳細なレポートが公開されるでしょう。

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ラトックⅠ峰北面、陥つ

まだ詳細なルートは公表されていませんが、アレシュ・チェセン(スロベニア)、ルカ・ストラザール(スロベニア)、トム・リビングストン(イギリス)の3名がラトックⅠ峰北面の登攀に成功と報じられています。

Latok I zdobyty od północy! by Wspinanie.pl 2018.8.13

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ラトックⅠ峰北面登攀に成功した3名 左からアレシュ・チェセン、トム・リビングストン、ルカ・ストラザール

同峰はトマス・フーバーも狙っており、インタビューで「温暖化の影響で夏の遅い時期が登攀の適期」と答えていたのが印象的だったのですが、スロベニア・イギリスの若手チームが先んじたようです。
詳細なルートの公表が待たれます。

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チョコレート最強伝説

先に書いたラトックⅠ峰救出劇に関して、ロシアメディアやロシアのクライミングサイトを調べるうちに・・・

«Зажат в снежном коконе» by Znak.com 2018.7.31

遭難してラトックⅠ峰に1週間も取り残されている間、アレクサンドル・グコフは水もなく、携帯していた食糧はチョコバー半分だけ。

さらに調べると、そのチョコバーとはロシアのメディアで「Сникерса」(スニッカーズ)と商品名を報じています。

Snickers

甘党の私ですが、スニッカーズのくどい甘さが嫌いでめったに食ったことがないんですが・・・今回の奇跡の生還で少し考え改めよう・・・

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ラトックⅠ峰で遭難のアレクサンドル・グコフ救出さる

 カラコルムのラトックⅠ峰北稜トライ中に遭難した、ロシアのアレクサンドル・グコフが本日31日朝、無事にヘリで救出されました。

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ヘリでベースキャンプに搬送された直後の模様

 ロシアのアレクサンドル・グコフ(42)、セルゲイ・グラズノフ(26)のペアが今夏ラトックⅠ峰、ジェフ・ロウが未踏に終わった北稜の完登を狙い入山しましたが、悪天のため退却を決断。

 7月24日、下降中にセルゲイ・グラズノフが転落、彼が主な装備、食糧、ガスを持っていたため、ほとんど身一つの状態でアレクサンドル・グコフがラトックⅠ峰北稜に取り残されることになります。同日、アレクサンドルはSMSで救助を要請。

 Latok
赤い点がアレクサンドル・グコフが取り残された地点

 早速パキスタン当局のヘリが飛びアレクサンドル・グコフの位置を確認、残念ながらセルゲイ・グラズノフの死亡が確認されます。このときは救助に至りませんでした。

 同じカラコルムに遠征中のポーランドのアダム・ビエリツキ、ドイツのダーフィット・ゲットラー、K2スキー滑降を果たしたアンジェイ・バルギエルらが救援のため駆けつけますが、ヘリを含む救援活動は悪天に阻まれます。

 ロシア国内では救援のためのクラウドファンディングが立ち上げられ(ロシア登山界は国内外におけるクライマー遭難時の支援金活動が非常に早い)、7月30日には山岳救助に精通したヘリパイロット2名がモスクワ・シェレメーチエボ空港からパキスタンめざし出発。

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取り残されたアレクサンドル・グコフに肉薄するパキスタン当局のヘリ

 31日、パキスタン当局(アスカリ社)のヘリが救援活動のため、余分な装備、さらには燃料も減らして身軽にして救援のため飛行。
 晴れ間を突いて、ついにアレクサンドルのもとに到達。

 しかしここで思わぬ事態。
 ヘリでアレクサンドル・グコフを引き揚げようとした矢先、彼のセルフビレイが解除されないままであることが判明。ヘリはそのまま飛び立ち、機体がバランスを崩すほどでしたが、ついにはセルフビレイをとっていたピンをぶっこぬいてアレクサンドルを収容。そして無事にベースキャンプに帰還したものです。
 海外メディアでは「アレクサンドルがセルフビレイ解除を忘れた」と報じていますが、ロシアの関係者は彼が衰弱してカラビナを開閉するのも困難だったためと説明しています。

 1週間、北稜に取り残されたアレクサンドルは言葉を発するのが困難なほど衰弱していましたが命に別状なく、スカルドに搬送されました。

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今回の救出に活躍したパキスタン関係者。後列の赤いジャケットを着た男性が救出時のヘリパイロット。

救出時は軽量化のため燃料を減らしていたこともあり、ヘリの燃料残量もギリギリ、アレクサンドルもここ3日間は食糧も底を尽き、その容体から明日以降は生存していたか危ぶまれる状態という、ロシア関係者いわく「奇跡」の救出劇となりました。セルゲイと共に主な装備が転落してしまったものの、テントはアレクサンドルが持っていたこと、一部報道ではガスストーブは使えたとも伝えられていますが、そのことが生存の鍵となった模様です。

今夏のラトックⅠ峰はシーズン初め、実力者揃いの韓国隊3名も雪崩で負傷敗退するなど、未だ未踏を誇る壁、リッジを擁したまま、次のクライマーを迎えることになります。

亡くなったセルゲイ・グラズノフの安らかならんことを、そしてアレクサンドル・グコフの1日も早い回復を祈ります。

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アンジェイ・バルギエル(Andrzej Bargiel)、K2山頂からのスキー滑降に成功

 パキスタン現地時間7月22日12時、北日本海外登山研究会K2登山隊メンバー6名がK2登頂に成功しました。おめでとうございます!

 さらに歴史的な一報がポーランドメディアから伝わりました。
 ポーランドのスキー登山家アンジェイ・バルギエル(Andrzej Bargiel 30歳)がK2山頂からのスキー滑降に成功しました。

Andrzej Bargiel z historycznym wyczynem: Zjechał z K2 na nartach! Nikt wcześniej tego nie dokonał! by RMF24 2018.7.22

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アンジェイ・バルギエル(Andrzej Bargiel)

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滑降のライン

アンジェイ・バルギエルは現地時間の22日11時にK2山頂に到達、12時に滑降を開始、核心部とみなされていたボトルネック(60度超のクーロワール)を突破、アブルッツィ稜、バスクルート、メスナールート、ククチカ・ピィオトロスキルートをつなげてBCに帰着したものです。

K2スキー滑降史

2001年、3度目となるK2遠征でイタリアのハンス・カマランダーが山頂からアブルッツィ稜経由でスキー滑降を試みるも、400m滑ったところでコンディション、さらに韓国人クライマーのレスキューに関わったことから滑降を断念。カマランダーいわく、「誰かが成し遂げるだろうが、それには多大な経験と運が必要だ。自分は44歳で再挑戦は難しい。若い世代のために夢は残しておくよ」

2009年、アメリカのデビッド・ワトソンが8351mからC3、7351mまで滑降、黒いピラミッド~ハウスのチムニーをクライムダウンし6400mから5100mまで滑降。

2010年、スウェーデンのフレデリック・エリソンがバスクルート経由で7800mから5100mまで滑降。その後ボトルネックを登攀中に転落死を遂げる。

2011年、ドイツのルイス・スティツィンガーがバスクルート経由で8050mから5100mまで滑降。これが今までの最長滑降記録となっていた。

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ポーランドのランニングイベントでのアンジェイ・バルギエル(エルブルス山スピード登頂世界記録保持者)

アンジェイ・バルギエルは10代後半からスキー登山競技で頭角を現し、2013年シシャパンマ中央峰山頂から滑降、2014年マナスル山頂からの滑降、2015年ブロードピーク山頂からの滑降を果たしました。
2016年にはワンシーズンでパミールのレーニン峰、コルジェネフスカヤ峰、イスモイル・ソモニ峰、ハンテングリ峰、ポベーダ峰登頂、スキー滑降を果たし高所クライマーとしても強力な能力を発揮しています。
昨年2017年にはエギーユ・デュ・ミディ北壁を滑降、K2滑降目指して経験を積んでいました。

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リック・アレン、ブロードピークで救出さる ~ドローンが伝説を作る日~

難峰ナンガパルバット峰で未踏を誇ったマゼノリッジの完登者であるリック・アレン(Rick Allen)が世界第12位のブロードピークで滑落遭難、一時は死亡とみなされたものの、無事救出されました。

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マゼノリッジ登攀後のサンディ・アラン(左)とリック・アレン(右)

Mountaineer Rick Allen was feared dead on Broad Peak, but a DJI Mavic Pro drone found him alive by Dronedj.com 2018.7.16

今夏、リック・アレンはマゼノリッジのパートナーであるサンディ・アランと共にブロードピークに遠征、その途上で滑落、一時行方不明となったもの。

無事救出されたという報道は即時に各国のクライミングサイトに流れましたが、その救出に高所用のドローンが大きな役割を果たしたことが続けて報じられました。
本件では高度8400mでドローンが飛行、滑落したリック・アレンを発見したことにより、無事救出につながったとのこと。
ちなみにこのドローンは、今夏K2のスキー滑降を計画しているポーランドのスキー登山家アンドレイ・バルギエル(Andrzej Bargiel)らが所有していた機体で、その兄弟であるドローンオペレーター、バルティク・バルギエル(Bartek Bargiel)が操縦していました。

 高高度を飛んだドローンにより8000m峰での遭難者の発見・救出に結びついた今回のケースは、今後の同様な事例においても大きな影響を与えるケースになりそうです。

 さて、筆者が思ったのは、ここ数日のスペインのDesnivelの見出し。

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リック・アレンがドローンによって発見・救出された報道と共に、41年前の1977年7月13日はダグ・スコットがバインターブラックで奇跡の脱出行を敢行した日として記事が掲載されています。

 もちろんドローンのような機材の進歩によって、それまで不可能視されていた8000m峰での捜索・救出活動が可能になったことは間違いなく喜ばしいことです。

 その一方、かつてヒマラヤ登山は外界とは完全に遮断された世界であった時代は、衛星電話やドローンの登場により、完全に過去のものとなりました。
 クライマーが両足を骨折しながらも這いつくばって下降を敢行、生還を果たし、人間の持つ生き延びる意志の強靱さ、素晴らしさを知ることとなったクライミングは、完全に『伝説』となる時代になってきているのでしょうか。

 筆者にとっては、ドローンが8400mという高高度を飛んだことよりも、ダグ・スコットの脱出行のエピソードを完全に過去のものにした、ということを思い、「ドローンが伝説を作る日」というサブタイトルが頭に浮かんだ次第です。

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2018年ピオレドール生涯功労賞に、アンドレイ・シュトレムフェリ

今年はフランスを離れポーランドで開催されるピオレドール。
2018年の生涯功労賞に、スロベニアの重鎮であるアンドレイ・シュトレムフェリ(Andrej Štremfelj)が決まりました。

El esloveno Andrej Stremfelj, Piolet de Oro 2018 por el conjunto de su carrera by Desnivel 2018.6.12

1956年スロベニアのクラーニ出身、ユーゴスラビア時代の1977年にユーゴスラビア登山界の『伝説』ナイツ・ザプロトニクと共にガッシャブルムⅠ峰南西稜新ルートから登頂、1979年にはエベレスト西稜ダイレクト、1990年には今度は奥様のマリヤ・シュトレムフェリと二人でエベレスト登頂(夫婦一緒の登頂は世界初)、そして1991年にはカンチェンジュンガ南峰南稜をアルパインスタイルで、マルコ・プレゼリと共に登攀、92年のピオレドール受賞に輝きます。

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プレゼリと共に登っていた現役バリバリの頃のシュトレムフェリ

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若き日のシュトレムフェリとプレゼリ。
このカンチェンジュンガ南峰登攀では、

シュトレムフェリ 「あれ?ロープは?」
プレゼリ 「テントに置いてきちゃったあはは~ん」
(詳しく知りたい方はBernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』 読んでくだされ)

というような感じで、若き日のプレゼリをリードして登る旧ユーゴ時代からのベテランクライマーでした。
たしかだいぶ以前のロクスノで、来日した際の記事を掲載していたはず。
奥様のマリヤさんがトモ・チェセンについて「トモって変な人なのよ」とコメントしていたのが私にはエラい笑激あいや衝撃的な記事でした。

ヴォイティク・クルティカに続いて東欧諸国、登山大国である旧ユーゴ時代から活躍していたアンドレイ・シュトレムフェリが選ばれたことは大いに支持したいと思います。

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