故・田部井淳子氏と原発事故

この記事に書くことは、もしかしたら田部井淳子女史に近しい方には知られたエピソードかもしれない。

不勉強な私は田部井氏の著書を全て読んでいる訳ではないし交流もなかったので、確かめる術もない。
既に関係者の方に知られたエピソードであれば、諒とされたい。

Eve
左から、田部井淳子氏(エベレスト女性初登、1939~2016)、潘多氏(中国 エベレスト女性第2登、北面女性初登1939~2014)、ワンダ・ルトキェビッチ(ポーランド エベレスト女性第3登、1943~1992)

2016年10月20日、エベレスト女性初登を果たした田部井淳子女史が逝去。
その報を受けた私は、会員登録しており貴重な情報をもたらしてくれるロシアのクライミングサイトに訃報を転載した。

数日後、田部井淳子氏が旧ソ連のエルブルース峰(5642m)に遠征した際の関係者から、コメントを頂戴した。
コメントは田部井氏の思い出に関する長文で、同内容の英文が併記してあった。
そのサイトは外国人が書き込むことはあまりないので、外国人であるスレ主の私むけに英語で書いて下さったのだろう。

その方は92年当時、エルブルースの山小屋に常駐するパトロールの方だった。
旧ソ連の山域では「国際キャンプ」という形式で外国人が入山可能で、政府のスポーツ機関が一括して登山者を集め、登山活動をマネジメントしていく中で登るという方式がとられていた。

書き込みの概要を記すと、

・田部井淳子氏率いる13人の日本隊は、週末を挟んで現地に到着。

・週末のため宿泊施設や関係者も休暇だったり、登山隊の通訳は登山経験もなく、受け入れ体制に齟齬があった。

・登山隊は悪天の中で登山を強行、登頂に成功したものの、風がひどかったのでコメント主がサポートに出動、登山隊全員を無事迎え入れた。
・コメント主は、田部井氏から登山行程とサポート体制について当初の契約と違うと抗議を受けた。

・コメント主は「自分の仕事は全ての登山者を救援サポートすることで、ガイド・支援員のマネジメントに関しては自分の業務の範囲外であること」を主張。さらに、 「あなたへの支援は十分ではなかったかもしれないが、私は女性初のエベレストサミッターを支援することが出来て光栄に思っています」と答えた。

・登山から三ヶ月後、田部井氏から謝罪と感謝のとても温かい内容の手紙が届いた。登山隊メンバーが誰であるか説明付きの写真も同封してあった。

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そして私が最も印象深く受け取ったのが、次の書き込みである。

コメント主の娘は、1986年のチェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺の腫瘍で療養中だった。
治療のために缶詰の海藻を食べさせるなどしていたが、甲状腺腫瘍に効く投薬治療が日本で開発されたと知り、コメント主は「ワラにもすがる」思いで田部井氏に連絡をとった。

田部井氏はすぐに日本から医薬品を送ってくれ、娘は投薬のおかげで回復しました。

その言葉で書き込みは締めくくられている。

田部井氏のエルブルース登山から19年後。
東日本大震災による、福島の原子力発電所の事故。
そして放射能による災厄。

チェルノブイリの影響で甲状腺を患った子供のため、治療薬を日本から送った田部井氏は何を思っただろう。

田部井氏が東北の高校生を富士山に連れて行った原動力には、一人の子供のために治療薬を日本から送ったことと同様、「次の世代」を支えようという確固たる意志があったのだろう。

登山の先達として、ご冥福をお祈り致します。

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2016 第11回ピオレドール・アジア 黒部渓谷ゴールデンピラー隊、韓国ガンガプルナ隊共同受賞

 先にお知らせした2016年 第11回ピオレドールアジアは、黒部渓谷ゴールデンピラーを登攀した佐藤祐介氏ら日本チーム、ガンガプルナ南壁新ルートを登攀した韓国隊の共同受賞が決定しました。

 先の記事でもお知らせしたように、審査委員会は高所登山のみならず日本国内の冬期登攀を世界に通じる困難なクライミングと賞賛した模様です。

 ピオレドールアジア生涯功労賞には、日本の中村保氏が選ばれました。
 ヒマラヤ・中国登山を志す方には今さら説明の必要はないでしょう。
 
 同時に表彰された第9回ゴールデンクライミングシューズ賞には、韓国アイスクライミング界のホープ、ソン・ハンナレ、そして日本からは瑞牆・十一面岩正面壁における「千日の瑠璃」(5.14a R/X 7ピッチ)開拓が高く評価された倉上慶大氏の共同受賞が決定しました。

第11回アジア黄金ピッケル賞授賞式 by 月刊『人と山』ニュース

以下引用開始
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第11回アジア黄金ピッケル賞

 11月4日午前9時『人と山』本社で開かれた審査委員会の結果、「ガンガプルナ(7,455m)南壁新ルート」を開拓した韓国チーム(キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン) 、「劔岳(2,999m)黒部渓谷ゴールデンピラー(登攀長380m)ルート」日本チーム(伊藤仰二、佐藤祐介、宮城公博)の共同受賞が決定した。

 ピオレドールアジア審査委員会が開かれた同日午後6時、ソウル特別市 瑞草区 良才洞ATセンター大会議室で開かれた『人と山』創刊27周年記念式を兼ねた第11回ピオレドールアジア賞の授賞式が開かれ、この席で韓国チーム全員と日本チーム伊藤仰二氏が直接「金のピッケル」授与式が行われた。

 今回の授賞式では、中村保氏にピオレドールアジア功労賞が授与された。今回の授賞式に参加して賞を直接受賞した彼は、1961年にペルーとボリビアでいくつかの初登頂を遂げた後、25年間に38回海外遠征を率い、継続的に中国四川省、雲南省、青海省を集中的に探査して日本山岳界に貢献してきた人物である。

 第9回ゴールデンクライミングシューズ賞はアジアを代表するアイスクライマー、ソン・ハンナレ、日本瑞牆山十一面岩」モアイフェイス正面の壁」千日の瑠璃(5.14a R / X、240m、7ピッチ)」 ルートの困難なフリークライミングに成功した倉上慶大氏が共同受賞した。
 ゴールデンクライミングシューズ賞審査審査委員会は、11月4日午前8時に『人と山』本社で進められ、授賞式はピオレドールアジア賞と同じく『人と山』創刊27周年記念式典で催行されした。
(以下略)

P1
第11回ピオレドールアジア受賞者。左から『人と山』ホン・ソクハ代表、伊藤仰二、キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン。一番右は、今回のピオレドールアジア最終候補に上がったものの受賞を逃した香港のツァン・チ・シン・ジョン(Tsang Chi Sing John )。

P2
第11回ピオレドールアジア授賞式が開かれた『人と山』創刊27周年記念式典。

P3
『人と山』創刊27周年記念式典で挨拶をおこなうホン・ソクハ代表。

P4_2
第9回ゴールデンクライミングシューズ賞を受賞したソン・ハンナレが所感を述べている。
今回のゴールデンクライミングシューズ賞は彼女と共に倉上慶太氏が共同受賞したが、彼は式典は欠席した。

P5_2
第11回ピオレドールアジア賞受賞の感想を述べるキム・チャンホ氏。

P6_3
第11回ピオレドールアジア賞受賞の感想を述べる伊藤仰二氏。

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以上引用おわり

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韓国隊、PEAK41峰北壁からの登頂に成功 【Korean team successed north face of Peak41(6648m)】

韓国隊がネパールヒマラヤ・PEAK41峰北壁の登攀に成功、10月27日に登頂に成功しました。
複数の韓国一般メディア、山岳メディアが伝えています。

「ネパ・PEAK41北壁遠征隊」、世界初の新ルート開拓 by スポーツ韓国2016.11.01

以下引用開始
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「ネパ・PEAK41北壁遠征隊」、世界初の新ルート開拓
スポーツ韓国ガン・ビョンウォン記者
Peak41
ネパPEAK41北壁遠征隊の記念撮影するク・オンス隊長(左)とユ・ハクジェ隊員(右)の様子[写真=ネパ提供]

 「2016ネパピーク41(PEAK 41)北壁遠征隊」が世界で初めてネパールピーク41峰北壁新ルート開拓に成功したと明らかにした。
 ソウル山岳救助隊登山隊ク・オンス隊長ら計6人で構成された遠征隊は9月26日、世界初のネパール・ピーク41北壁新ルート開拓を目指し出国した。現地到着後、高所順応訓練などを経て10月17日に北壁登攀を開始、本格的なピーク41登頂に乗り出した。遠征隊は22日に北壁を突破、後に頂上に続く南壁を登ってク・オンス隊長とユ・ハクジュ隊員が現地時間10月27日08時にピーク41の登頂に成功した。今回の遠征隊は単に登頂を目指すだけではなく、新ルートを開拓する「登路主義」 (訳者注:登攀ルートに重きを置く登山スタイルを差す、韓国で用いられる登山用語) の実現に重点を置き、シェルパの助けを借りず、最小限の機材と食料だけで登山する「アルパインスタイル(Alpine Style)」方式で登頂した。遠征隊は山が険しく雪崩と落石のために途中で隊員が負傷し、平均70〜80度の壁を登らなければならない困難な条件の中で登頂に成功した。

 特に、地形や気象悪化により、計画していた登山日程よりも下山予定が4日ほど遅くなり、7日分準備した食料を11日間に食い伸ばし、登頂最終日には凍結したソーセージを2人が分けて食べるほど劣悪な環境を克服した。
 遠征隊が登頂に成功したネパール・ソロクーンブ地域に位置する6,648mの「ピーク41」は2002年にスロベニアチームが西稜を経て登頂した後、成功事例がない急峻なピークとして知られている。
 「2016ネパピーク41北壁遠征隊」は、今回の登頂で世界初の北壁新ルート開拓に成功し、世界の登山史に名を残すことになった。遠征隊は新ルート名をチーム名から「ネパ・ピーク41北壁ルート」と命名した。
 ネパ・ピーク41北壁遠征隊のク・オンス隊長は「最小限の食料と装備だけで頂上まで登るアルパインスタイルで誰も開拓していない新ルートで登頂に成功したとことが誇りであり、うれしい」「2年前に大雪などの天候悪化で退却せざるをえなかった遠征の失敗にもあきらめず、最後まで挑戦できるよう支援してくれた多くの方々に感謝の言葉を伝えたい」と語った。

 ネパ代表取締役イ・ソンヒョ社長は「世界で誰も成功していなかったピーク41北壁新ルート開拓に成功したク・オンス隊長をはじめとする遠征隊員の登頂に成功をお祝い申し上げ、世界的に山岳界の位置を高める貢献を果たした今回の登頂にネパもささやかな貢献を果たせることができて非常にうれしい」 「遠征隊員たちが登攀中、岩壁にハンモックにぶら下がって眠り、冷凍乾燥食品一人分を三人で分けて食べる困難な状況の中でも登頂成功と無事帰還を果たしたことについてもう一度拍手を送りたい。ネパは今後も、自然の美しさを伝え偉大なチャレンジ精神でルート開拓に挑戦する登山家たちの力になることができる、様々なスポンサー活動を展開していくようにする」と語った。

 一方、今回の2016ネパ・ピーク41(PEAK 41)北壁遠征を後援したネパはアウトドアブランドとして健全な山岳文化育成のために2006年インド・テレイサガール登頂後援をはじめ、韓国登山学校とソウル山岳救助活動の支援を継続的に行ってきている。
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以上引用おわり

 October 27th 2016, Korean alpinists Ku Eun-Su, Yoo Hak-Jae made a successful ascent via north face of Peak41(6648m). Their line isn't reported yet.
 Korean team (Ku Eun-Su) tried the north face of Peak41 in October 2014, they gave up climbing by heavy snowing.

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第11回ピオレドール・アジア 最終ノミネートチーム発表

韓国の山岳雑誌 月刊『人と山』において、今年もピオレドール・アジア最終ノミネートチームが発表となりました。

今年の最終ノミネート内容は次の通りです。

第11回第11回ピオレドール・アジア 最終候補チームプレビュー by 月刊『人と山』

以下引用開始
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 純粋で進歩的な登山を展開した、アジアの若い登山家たちを激励する意図で制定されたピオレドール・アジア賞は今年で第11回を迎えた。
 登山のオスカー賞と呼ばれるこの賞は、過去10年間、アジアの山岳文化をけん引しており、アジアの登山家たちに未来志向的な登山の方向を提示した。つまり、アルパインスタイルによる速攻・軽量クライミングと高度な技術を追求する壁を登る、そして自然を保護し山を尊敬するアルピニズム本来の純度を強調しながら「人為的な支援を受けて成し遂げた登山の結果は、その過程よりも優先することはできない」ということを示し、商業主義に染まった登山に警鐘を鳴らした。

 ピオレドール・アジア賞審査委員会は、今年もこのような原則を実践した候補者のチームをアジア山岳連盟加盟国とアジア各国の登山専門誌から推薦を受けた後、厳正な審査を経て最終候補3チームを選定した。
 夢を叶えるための情熱一つで挑戦を躊躇しないアジアの若き登山家たちに出会ってみよう。


P1
01 KOREA TEAM

 韓国隊は、今回ネパールヒマラヤのガンガプルナ(7455m)南壁新ルート開拓に挑戦状を叩きつけた。韓国を代表するアルパインクライマーであるキム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨンがまさにその主人公である。
 彼らはアルパインクライミングにより10月20日、ガンガプルナの頂上に立った。「2016コリアンウェイプロジェクト(KOREAN-WAY PROJECT)」という名前を掲げた彼らの旗は、未知の領域を探索し、過酷な環境の登山に挑戦し、高難度の新ルート開拓によって韓国の登山家の挑戦精神、探求精神を示すというものであった。

 ネパール西部アンナプルナ山群に位置するガンガプルナは1965年にドイツ隊が南面~東稜ルートで初登頂以来、2015年までに24チームが登頂を試み、8隊だけが成功した山である。
 その後の主な登頂ルートは、1971年日本隊の西陵ルート、1981年カナダチームの南西壁ルート、1983年ユーゴスラビアチームの北壁ルートなど5本ある。
 遠征隊を率いたキム・チャンホ隊長は8,000m級の高峰14座を無酸素で登頂した記録を持つ韓国最高のアルピニストであり、チェ・ソクムンとパク・ジョンヨンも抜群の実力を誇る韓国を代表するクライマーである。
 ピオレドールアジア審査委員会は、優れたチャレンジ精神でアルパインクライミングに成功した彼ら3人を今年のピオレドールアジア最終候補に選定した。
 ガンガプルナ南壁新ルート
 対象:ガンガプルナ(7455m)南壁
 ロケーション:ネパール西部アンナプルナ
 ルート:南壁新ルート
 クライミング方式:アルパインスタイル
 隊員:キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン 計3名

P2
02 JAPAN TEAM

「ゴールデンピラー(Golden Pillar)」は、日本・北アルプス劔岳の黒部渓谷最奥に位置している。
このルートは、長さ380m、総11ピッチであり、難易度は6級である。伊藤仰二、佐藤祐介、宮城公博は、11ピッチを登る過程で9回もハンギングビレイをしなければならなかった。
 彼らは2016年2月25日午後3時から登山を開始、3ピッチを登り雪が積もったテラスに到着した時間は21時。2月26日に頂上まで登り、そこでビバークした。登山中はスノーシャワーを浴び続けた非常に難しい登山だった。
 日本・北アルプスの冬はかなり厳しく、彼らは22日もの間、好天を待ち続けた。ここでは大雪が降ることでも有名である。一部の人々は、黒部渓谷に入り劔岳を登ることはヒマラヤを登ることよりも難しいと言う。
 ピオレドールアジアのターゲットが必ずしもヒマラヤなどの高山に限定される必要はない。
 ピオレドールアジア審査委員会は、過酷な条件を克服し優れたクライミングをやり遂げた彼ら3人を今年のピオレドールアジア賞の最終候補に選定した。

劔岳 黒部渓谷ゴールデンピラールート
 対象:劔岳黒部渓谷ゴールデンピラールート
 ロケーション:日本北アルプス
 ルート:ゴールデンピラー
 クライミング方式:アルパインスタイル
 隊員:伊藤仰二、佐藤祐介、宮城公博 計3名

P3
03 HONGKONG TEAM

マナスル速攻軽量登山とエベレスト3度登頂

 都市国家というイメージを持つ香港で「アルパイン」という言葉を連想するのは容易ではない。
 それは「ツァン・チ・シン・ジョン(Tsang Chi Sing John)」にほかならない。
 彼は白い山を夢を見たアルピニストとして、輝かしい業績を成し遂げた。香港人として初めてヒマラヤ8,000m級4座に登頂した。そしてエベレストを南側と北側から登り、2009年には3度目の登頂を果たした。 また、香港人として二番目に「セブンサミット」を達成した。

 2010年に彼はマナスルを4日間で登る快挙を成し遂げた。彼は今まで香港の登山やクライミング文化の発展に多くの努力を傾けた。登山指導者、スポーツ栄養士、スポーツクライミング指導者として活動し、他にも香港の若者のために活動し冒険を行う多彩なアウトドア活動を展開してきた。
 ピオレドールアジア審査委員会は彼の登山活動の中から、特にマナスルを4日間で登った登攀力を高く評価して、今年のピオレドールアジア賞の最終候補に選定した。
マナスル速攻軽量登山とエベレスト3度登頂
 対象:マナスル(8145m)
 ロケーション:ネパールヒマラヤ
 クライミング方式:速攻軽量
 隊員:ツァン・チ・シン・ジョン(Tsang Chi Sing John)

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以上引用おわり

 今年のピオレドールアジア最終ノミネート候補はヒマラヤのアルパインスタイル、北アルプス・黒部のアルパインクライミング、多くのクライマーが訪れるようになった8000m峰登山の中で速攻登山とバラエティに富んだ内容となりました。
 私個人の感想としてはアジアのクライミングの「現代(いま)」を象徴する内容になっているのではないかと感じています。
 例年ですと、11月初旬に月刊『人と山』が主催するレセプションで、クライミング界のホープに与えられるゴールデンクライミングシューズ賞と同時に審査・発表・授与式が行われます。
 さて、今年のピオレドールアジアの行方はいかに。

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韓国隊、ガンガプルナ南壁に新ルート開拓 【Korean team established new route on south face of Gangapurna】

 キム・チャンホ率いる韓国隊が10月20日、ネパール・アンナプルナ山群のガンガプルナ(7455m)南壁をアルパインスタイル・新ルートからの登頂に成功しました。

ガンガプルナ南壁にコリアン新ルート開拓 by 月刊MOUNTAIN 2016.10.23

以下引用開始
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ガンガプルナ南壁にコリアン新ルート開拓 
キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨンらアルパインスタイルで7日間のクライミング、20日登頂

イ・ヨンジュン編集記者

Ganga
キム・チャンホ、チェ・ソクムン、バク・ジョンヨンら3名が7日間かけてアルパインスタイルによる新ルートからの登頂に成功したネパール、ガンガプルナ(7455m)南壁

 ネパール、ガンガプルナ(7455m)南壁に新ルートが開拓された。キム・チャンホ隊長とチェ・ソクムン、パク・ジョンヨン隊員ら3人は、高度差2900mにおよぶガンガプルナ南壁を7日間のアルパインスタイルで登攀した。3日間かけて下降し22日、BCに下山した。
 今回の遠征隊は、ネパール・アンナプルナ山群のガンガプルナとアシャプルナ(ガンガプルナ西峰、7140m)南壁新ルートからの登頂を目指し、9月12日に出国、最初に試みたアシャプルナは、山頂まで100メートルに迫ったところで退却した。

Member2
 ガンガプルナ(7455m)南壁アルパインスタイル新ルート登頂に成功した韓国遠征隊。左からキム・チャンホ隊長、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン隊員。

 1965年5月6日、ドイツ山岳会のギュンター・ハウザー隊長が率いる遠征隊隊員とシェルパが二度にわたり南面から東稜を経るルートで初登と2登を果たし、1971年に日本隊が西稜から第3登を果たしている。
 南壁は1981年春、カナダのジョン・ラチランとジェームズ・ブランチが初登した。韓国隊は1984年冬にイ・ソクウ(韓国山岳会)が単独で北壁を試み、1986年にキム・ギチョル隊長率いる遠征隊が初登ルートである東稜を経て韓国人初登に成功した。
 初登以来2015年までに24回登られたガンガプルナは、これまで8隊が登頂、1989年にユーゴスラビア隊のフランツ・プシュニク隊長率いる登山隊が北壁から登頂して以来、現在まで登頂者がなかった。

遠征隊は10月29日タイ国際航空便で帰国する予定。今回の遠征隊は、ノースフェイスが後援した。
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以上引用おわり

 2013年にインド洋から自転車・カヌー・徒歩という人力でエベレスト無酸素登頂を果たし、8000m峰14座全山を無酸素登頂したキム・チャンホ氏。
 エベレスト人力登山行で、大事な後輩で8000m峰12座登頂を果たしていたソ・ソンホ氏を亡くし、そのショックからしばらく遠征登山を休んでいたキム・チャンホ氏でしたが、復帰第1弾として選んだのはガンガプルナ南壁でした。
 なお月刊MOUNTAINの記事にもあるとおり、ガンガプルナ南壁そのものは1981年にカナダ隊がやはりアルパインスタイルで初登を果たしています。カナダ隊のラインがはっきり確認できなかったのですが、AAJに記載されている当時の記述、「下部雪田~ロックバンド左寄り~上部の大雪田を詰めて山頂」という様子から、カナダ隊の初登ラインと近接している可能性はありますが、今回の韓国隊のラインは山頂に直上する見事なルートといえるでしょう。

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October 20th 2016, Korean alpinists Kim ChangHo, Choi Seok-Moon, Pak Jungyong established a new route on the south face of Gangapurna (7455m). Their new line, they climbed south face for seven days by alpine style, and they descend for three days to BC.
Gangapurna south face, Canadian team(James Branch,John Lauchlan,the others) made the first ascent in 1981 spring.

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В Японии умерла женщина, первая покорившая Эверест

В Японии умерла женщина, которая первая покорила Эверест среди женщин.

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Первая женщина, впервые покорившая Эверест и Семь вершин мира скончалась утром 20 октября.Причиной смерти Дзюнко Табэи стала болезнь, побороть которую японка не смогла.Перитониальный рак забрал жизнь 78-летней альпинистки.Жительница Фукусима в 35 лет стала первой среди женщин, покорившей Эверест.В 1992 году Дзюнко Табэи смогла покорить семь вершин всех континентов и стать первой женщиной и в этой программе.

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(Source : http://newstes.ru/2016/10/22/v-yaponii-umerla-zhenschina-pervaya-pokorivshaya-everest.html)

In this year July, she climbed Mt.Fuji with high school students (They are victim by big earthquake and tsunami in March 2011) . It is last climbing for her climbing life that more than 50 years.

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ロシア隊、テレイ・サガール北壁を完登

 セルゲイ・ニーロフ、ドミトリー・グリゴリエフ、ドミトリー・ゴロフチェンコら、ロシアを代表するアルパインクライマー3名からなるロシア隊が、9月17日午前9時30分(モスクワ時間)、インドの難峰テレイ・サガール(6904m)北壁の登攀に成功しました。

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 セルゲイ・ニーロフら3名は過去にもキジル・アスケルなど辺境のビッグウォール登攀を手掛け、数々のピオレドール・ロシアを手にしている猛者。
 
 テレイ・サガール北壁には、1999年に故アレクセイ・ボロトフ含むロシア・ウラル隊が北壁中央を直上する「ロシアン・ダイレクト」という強烈なルートが開拓されています。
 今回のロシア隊のラインの詳細はまだ明らかにされていませんが、セルゲイ・ニーロフらが挑んだからには当然新ルートからの登攀と推測されます。
 なにぶんロシアのクライミングサイトで公表されているルート図がこれなもんで↓

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 この赤いラインから判断するに、北東稜と2003年に開拓された北壁を直上する「One Way Ticket」ルートの中間を開拓したものと思われます。

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テレイ・サガール北壁に成功した3名
左からドミトリー・グリゴリエフ、ドミトリー・ゴロフチェンコ、セルゲイ・ニーロフ

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9月10日、登攀中のセルゲイ・ニーロフの様子

 幾多ものルートが拓かれたテレイ・サガール北壁ですが、今回のロシア隊の詳細発表が待たれます。

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【訃報】 ノルベルト・ヨース(Norbert Joos)死去

80年代から8000m峰登山で活躍していたスイスの高所クライマー、山岳ガイドであるノルベルト・ヨース氏が、去る7月10日、ビッツ・ベルニナでガイド中に事故死しました。55歳でした。

Tod am höchsten Gipfel der Heimat by nzz.ch 2016.7.11

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ノルベルト・ヨース氏近影

 ノルベルト・ヨース氏は1960年生まれのスイス・クール市出身。
 20歳の誕生日目前にアルプス三大北壁を完登する早熟ぶりで、82年のナンガパルバット峰キンスホーファールートを皮切りに8000m峰詣でが始まります。
 スイス出身の名クライマー、エアハルト・ロレタンと組み、1984年にアンナプルナ東稜初登~北面下降という当時としては画期的な8000m峰縦走を果たします。
 その後も8000m峰に登り続け無酸素で13座に登りましたが、唯一、世界最高峰エベレストは未踏のままでした。
 2008年にやはり無酸素で挑みますが断念、「エベレストはもはや不可能」とのコメントを残しています。

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1984年、アンナプルナ遠征から帰国した際のショット
右が故エアハルト・ロレタン、左がノルベルト・ヨース

 8000m峰14座を断念してもそこはクライマー、近年はエルキャピタン・ノーズを登るなど世界各地の岩場に意欲的に取り組んでいました。
 今回はガイド中の事故で、目撃者によればピッツ・ベルニナ峰を下降中に発生した事故とのこと。顧客の2名のイタリア人男女は重傷ながら生存と報じられています。

 スイスが輩出した名クライマーの死に哀悼の意を表します。

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トモ・チェセン、マルコ・プレゼリら、スロベニア政府から受勲 【Tomo Cesen, decorated for the medals for contribute to develop slovenes climbers】

去る6月20日、スロベニア大統領府において国家勲章の伝達式が行われました。
今回勲章を授与されたのは、スロベニアを代表する登山家達です。

Državna odlikovanja slovenskih alpinistov, plezalcev in planincev  by najdi.si 2016.6.21

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今回の受賞者 右から、マルコ・プレゼリ、アンドレイ・プリバー、ボルト・パホル(スロベニア大統領)、トモ・チェセン、トーネ・スカリャ

 今回の叙勲は、長年にわたるスロベニア登山界への貢献に対して勲章が贈られたものです。

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マルコ・プレゼリ氏。
当ブログをご覧の山屋な方には今さら説明するまでもありませんね。幾回ものピオレドール受賞に代表される素晴らしいクライミング以外にも、近年のヒマラヤ遠征にみられる若手クライマー育成もスロベニア登山界への貢献として評価された模様です。

 マルコ・プレゼリ氏といえば、こういった賞の類いを嫌っているイメージがありますが、軍に所属していた頃には、その個性的な性格が災いして酒保のバーテンを務めていた不遇の時代もありました。あのプレゼリが「お通しこちらです」とか、「お会計です」とか、に近いことをやってたんでしょうな。
 クライミングの成果が認められ、軍隊で登山コーチを務めるのはその後になります。軍という国家組織において苦労した経験から、政府からの叙勲はピオレドールとはまた異なった感慨があるはずです。

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今回の報道でもっとも注目すべきは、トモ・チェセン氏の叙勲です。
スロベニア大統領公式ウェブサイトも確認しましたが、80~90年代にわたるソロクライミング(ローツェ南壁に関しては全く触れられていません)、それ以上に、90年代以降におけるスロベニアのスポーツクライミングを世界レベルに引き上げたコーチとしての実績、大会運営への尽力が評価されました。

 トモ・チェセンといえば、いまだに日本では「疑惑の人」呼ばわりされていますが、こうして国家から叙勲される人物を、いつまでも池田某老人の評価をうのみにして詐欺師扱いしてよいものでしょうか?

 息子2人はいずれも世界レベルのアルパインクライマーに育ちました。
 その一人アレシュ・チェセンはマルコ・プレゼリと共にハグシュ北壁でピオレドールを受賞、スロベニアを代表するクライマーとなりました。またトモ・チェセンがコーチを務めたスポーツクライミングでもスロベニア勢の活躍はご存じのとおりです。
 国家勲章の叙勲それ自体はローツェ南壁「疑惑」の払拭にはなんの関係もありませんが、いい年した山屋なら覚えているでしょう、あれだけ世界各国の山岳界を騒がせた疑惑騒動を乗り越えて、こうして登山・クライミングに貢献してきた生き方は評価されるに値すべきものがあるのではないでしょうか。

 東京住まいで仕事も山も立派にこなしている優秀なアルパインクライマーの大センセイ方と違い、私は失敗の多い人生を送ってきましたので、山と渓谷社ウェブサイトに「大悪党」などと侮辱されたチェザレ・マエストリや「疑惑の人」トモ・チェセンの『その後の人生』には非常に興味を持っています。

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トーネ・スカリャ氏は今年79歳、ユーゴ隊によるエベレスト西稜隊隊長はじめ、旧ユーゴおよびスロベニアのヒマラヤ黄金時代を築いた重鎮です。

もう一人、アンドレイ・プリバー氏はスロベニア山岳会における長年のボランティア活動が評価され、今回の叙勲となりました。

叙勲の模様は動画で公開されています。

なお日本で入手できるスロベニア登山史の資料として、当ブログで紹介した Bernadette McDonald著『ALPINE WARRIORS』 があります。マルコ・プレゼリ氏のトモ・チェセン氏に対する見解も興味深いものがあります。

Bernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』 by 当ブログ2015.11.22

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【訃報】ニコラス・クリンチ氏 逝去

1958年、ヒドンピーク(ガッシャブルム1峰 8068m)初登頂を果たしたアメリカ隊を率いたニコラス・クリンチ(Nicholas Clinch) 氏が去る6月15日、カリフォルニア州のホスピスにて亡くなりました。85歳でした。

RIP: Nicholas Clinch, 85, Led Only American First Ascent of an 8000er by ROCK&ICE 2016.06.15

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晩年のニコラス・クリンチ氏と奥様のベッツィーさん Photo courtesy Mountaineers Books

 1958年ヒドンピーク初登に成功したアメリカ隊は、酸素ボンベを使用したもののコンパクトな登山隊で8000m峰初登に成功した点が評価されています。
 ニコラス・クリンチ氏の著書『A WALK IN THE SKY』がナカニシヤ出版から邦訳・出版されたのは1998年、8000m峰14座の初登に関する記録本としては最も遅い邦訳・出版となりました。

 ROCK&ICEの記事にあるように、日本人が当時未踏のガッシャブルムⅠ峰の許可取得に動いているという未確認情報が流れる中、ニコラス・クリンチ氏はじめとするアメリカの岳人達が未踏の8000m峰をめざすべく立ち上がり、実現したのが1958年の「ヒドンピーク」隊。

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 カウボーイハットをかぶった隊員達がカラコルムの氷河をキャラバンで進みました。

 登頂は7月5日、アンディ・カウフマンとピート・ショーニングが果たします。
 前述のように、1958年のアメリカ隊に関しては邦訳されている資料が少ないのですが、私の蔵書にあった8000m峰14座登山史に関する古い書籍(もちろん池田某老人の本じゃござんせん)では、アンディ・カウフマンが頂上で掲げているのが国連旗だったりします。当時の冷戦事情を思わせる一枚ですね。

 またニコラス・クリンチ氏といえば、南極のビンソン・マッシフ初登も果たした人物として名前がしられていますが、1960年にやはり隊長として隊を率い、難峰マッシャブルム初登を成功させた人物でもあります。こちらの方がステーブン・ベナブルズらに高く評価されているようです。
 名伯楽はアメリカ山岳会会長など重責を担い、6月15日、永遠の眠りにつきました。

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