リック・アレン、ブロードピークで救出さる ~ドローンが伝説を作る日~

難峰ナンガパルバット峰で未踏を誇ったマゼノリッジの完登者であるリック・アレン(Rick Allen)が世界第12位のブロードピークで滑落遭難、一時は死亡とみなされたものの、無事救出されました。

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マゼノリッジ登攀後のサンディ・アラン(左)とリック・アレン(右)

Mountaineer Rick Allen was feared dead on Broad Peak, but a DJI Mavic Pro drone found him alive by Dronedj.com 2018.7.16

今夏、リック・アレンはマゼノリッジのパートナーであるサンディ・アランと共にブロードピークに遠征、その途上で滑落、一時行方不明となったもの。

無事救出されたという報道は即時に各国のクライミングサイトに流れましたが、その救出に高所用のドローンが大きな役割を果たしたことが続けて報じられました。
本件では高度8400mでドローンが飛行、滑落したリック・アレンを発見したことにより、無事救出につながったとのこと。
ちなみにこのドローンは、今夏K2のスキー滑降を計画しているポーランドのスキー登山家アンドレイ・バルギエル(Andrzej Bargiel)らが所有していた機体で、その兄弟であるドローンオペレーター、バルティク・バルギエル(Bartek Bargiel)が操縦していました。

 高高度を飛んだドローンにより8000m峰での遭難者の発見・救出に結びついた今回のケースは、今後の同様な事例においても大きな影響を与えるケースになりそうです。

 さて、筆者が思ったのは、ここ数日のスペインのDesnivelの見出し。

Des

リック・アレンがドローンによって発見・救出された報道と共に、41年前の1977年7月13日はダグ・スコットがバインターブラックで奇跡の脱出行を敢行した日として記事が掲載されています。

 もちろんドローンのような機材の進歩によって、それまで不可能視されていた8000m峰での捜索・救出活動が可能になったことは間違いなく喜ばしいことです。

 その一方、かつてヒマラヤ登山は外界とは完全に遮断された世界であった時代は、衛星電話やドローンの登場により、完全に過去のものとなりました。
 クライマーが両足を骨折しながらも這いつくばって下降を敢行、生還を果たし、人間の持つ生き延びる意志の強靱さ、素晴らしさを知ることとなったクライミングは、完全に『伝説』となる時代になってきているのでしょうか。

 筆者にとっては、ドローンが8400mという高高度を飛んだことよりも、ダグ・スコットの脱出行のエピソードを完全に過去のものにした、ということを思い、「ドローンが伝説を作る日」というサブタイトルが頭に浮かんだ次第です。

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2018年ピオレドール生涯功労賞に、アンドレイ・シュトレムフェリ

今年はフランスを離れポーランドで開催されるピオレドール。
2018年の生涯功労賞に、スロベニアの重鎮であるアンドレイ・シュトレムフェリ(Andrej Štremfelj)が決まりました。

El esloveno Andrej Stremfelj, Piolet de Oro 2018 por el conjunto de su carrera by Desnivel 2018.6.12

1956年スロベニアのクラーニ出身、ユーゴスラビア時代の1977年にユーゴスラビア登山界の『伝説』ナイツ・ザプロトニクと共にガッシャブルムⅠ峰南西稜新ルートから登頂、1979年にはエベレスト西稜ダイレクト、1990年には今度は奥様のマリヤ・シュトレムフェリと二人でエベレスト登頂(夫婦一緒の登頂は世界初)、そして1991年にはカンチェンジュンガ南峰南稜をアルパインスタイルで、マルコ・プレゼリと共に登攀、92年のピオレドール受賞に輝きます。

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プレゼリと共に登っていた現役バリバリの頃のシュトレムフェリ

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若き日のシュトレムフェリとプレゼリ。
このカンチェンジュンガ南峰登攀では、

シュトレムフェリ 「あれ?ロープは?」
プレゼリ 「テントに置いてきちゃったあはは~ん」
(詳しく知りたい方はBernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』 読んでくだされ)

というような感じで、若き日のプレゼリをリードして登る旧ユーゴ時代からのベテランクライマーでした。
たしかだいぶ以前のロクスノで、来日した際の記事を掲載していたはず。
奥様のマリヤさんがトモ・チェセンについて「トモって変な人なのよ」とコメントしていたのが私にはエラい笑激あいや衝撃的な記事でした。

ヴォイティク・クルティカに続いて東欧諸国、登山大国である旧ユーゴ時代から活躍していたアンドレイ・シュトレムフェリが選ばれたことは大いに支持したいと思います。

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栗城史多氏の死に思うこと

去る5月21日、「単独・無酸素」を自称する栗城史多氏がエベレスト登山中に亡くなった。

 当ブログで過去に栗城氏について批判的な記事を書 いていたためだろうか、アクセス数が莫大にふくれあがり、第三者の方からも「どのように思いますか」とたずねられる。

 過去記事のコメント欄にも書いたが、栗城氏にはあまり興味をもたなくなったし、日本の山岳メディアがとりあげない東欧諸国のクライマーの動向を探ること、また私自身の日常もあまり余裕が無い事もあり、栗城氏が毎年展開する遠征の模様もあまり関心がなかったのが正直なところである。

 今回の死亡事故をうけ、とくに故人を貶めることは迂闊に書くべきでない、という思いもあった。
 また山岳ジャーナリストの森山憲一氏が私など及ばない鋭い文章を発表しているので、ますます書くこともあるまいと思った。

 しかしあるSNSで「山で死ぬのは本望」 「批判するのは何も行動しない人達」などの文言を読み私の中で何かスイッチのようなものが入ったので思うところを書き残しておきたい。

「無酸素登山」の「危険」

 ウェブ上で全く議論になっていないが、栗城氏を盲目的に応援する方々、そして故・栗城氏自身が、あまりにも「無酸素」登山の危険性を知らなさすぎではなかったのではないだろうか。

 8000m峰を酸素ボンベを使わず、自分の肉体だけで登る。
 それは素晴らしいことである。
 しかし8000m峰、その中でも最高峰のエベレスト8848mを酸素ボンベ無しで登ることは「息苦しい」程度では済まされない危険が伴う。

 2007年、ある日本人男性クライマーがチョモランマ無酸素登頂を目指し、海外の公募隊の一員に参加して入山。入山後は単独で登山活動を展開していたが、ノースコルで就寝中に亡くなった。

 2013年、韓国のソ・ソンホがエベレスト無酸素登頂を目指し登頂成功したものの、サウスコルのテント内で就寝中に亡くなった。ソ・ソンホ氏は既に8000m峰11座を登頂していた高所登山のベテランだった。 

 私自身、チョモランマ遠征において激しい心臓の痛み、視野狭窄などの症状を体験した。
 さらに驚愕したのは帰国後である。指の爪が全て横にべっこりと凹んでいるのだ。
 チョモランマの高所滞在中は、爪が異常な生え方をしていたということである。それはすなわち、8000m峰登山という低酸素にさらされた生活環境において、人体に何らかの負荷がかかっていたことを意味する。
 
 もう一つ、私はチョモランマ遠征から帰国してから、就寝中に夢を見なくなった。
 例外は一度だけ、父親の手術中に仮眠をとった際、強い不安とストレスで悪夢にうなされた経験があったきりである。
 夢を記憶する脳の機能が停止しているのか。
 帰国後、ある資格試験を抱えていたこともあり、脳神経科の医院でMRI検査、心理テストなどを受けたが、幸いに医学的に顕著な異常は発見されなかった。

 エベレストの無酸素登頂は1978年、R・メスナーとP・ハーベラーによって初めて成し遂げられた。
 古い資料を調べてもらえればわかることだが、この無酸素登頂に先だってメスナーらは航空機に乗り、エベレストの高度で酸素マスクを外して低酸素状態を身をもって体験するという準備を行っている。
 1970年代当時の日本の山岳メディアはメスナーを「革命的」と表現することがあったが、実際には入念なトレーニングと準備の積み重ねがあったのである。

栗城氏の「中国」観

 もう既に削除されているようだが、栗城氏のツイッターで強烈に覚えているのが、たしか2011年だったか、中国の上海で講演に招かれ、その感想として「中国社会は夢を否定しない社会」というような意味のことを書いていた事だ。
 後に出版された著書『弱者の勇気』でも上海での講演の様子、聴衆の様子に感激している事が記されている。

 しかしご存じのとおり、中華人民共和国において、今もなお、どれだけ思想と言論の自由が弾圧され、人命が失われたことだろう。
 その知識の有無をとやかく言うよりも、栗城氏は周囲の人間に良いように操られているのではないか。都合の悪いものは目隠しされ、本人は甘言で弄ばれているのではないか。その「中国発言」から、私はそんなことを感じていた。
 
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 いずれにせよ、栗城氏は世を去った。
 亡くなった原因は、報道も二転三転して「よくわからない」というのが正直なところである。
 私自身の経験からも、ヒマラヤ登山におけるアクシデントの正確なところは、メディアが真実を伝えるとは限らない点は重々承知している。

 「批判しているのは行動もしない人たち」という「批判」も多いので蛇足ながら書いておこう。
 ボンベの酸素が切れ、低酸素状態にさらされてチョモランマのイエローバンドを日没後、一人で下山した。
 当ブログの過去記事にも書いた。 最終キャンプにたどり着き、無線機の小さいスピーカーから聞こえた、私の下山を喜んでくれる仲間の声が聞こえた時の事は一生忘れられない。
 
 栗城氏は今回のエベレスト遠征で、単独での夜間の登山活動が多かったと聞く。
 私自身の経験を重ねて、暗闇の中で、たった一人で8000m峰で行動する彼を支えていたものは何だったのだろう、と思う。

 高所登山はハイリスクな世界である。
 それでもなお、これだけは書いておきたい。
 山は人が死ぬところではない、と。
 栗城氏の魂の安らかならんことを。

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無酸素登山も大陸最高峰も縁が無いけれど、子供達と一緒に山に登ることが私の「挑戦」です。

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諦めない人々 クシストフ・ビエリツキ、K2冬季遠征をふりかえる

去る3月19日、冬季K2を目指したポーランド登山隊が帰国、ワルシャワ・ショパン空港にて記者会見を開きました。

ポーランドの大手ポータルサイトonetのスポーツ欄にて、クシストフ・ビエリツキ隊長のインタビューが掲載されています。

 隊に無断で単独アタックを敢行したデニス・ウルブコによって、良くも悪くも世界的に知られることになったポーランド登山隊。

 末端の現場作業員ながら、サラリーマンとして会社という組織に生きる私としては、超ウルトラスーパー個性的かつ強力なクライマーをまとめる隊長のクシストフ・ビエリツキの言動が気になります。

Krzysztof Wielicki: możemy zdobyć K2, ale trzeba wzmocnić skład by sport.onet.pl 2018.3.19

以下引用開始
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クシストフ・ビエリツキ:我々にはK2登頂のチャンスはあるが、登山隊を強化する必要がある
MACIEJ STOLARCZYK

Kusi
記者会見に臨むクシストフ・ビエリツキ

 月曜日、K2冬季遠征隊のメンバーがポーランドに帰国しました。登山隊隊長のクシストフ・ビエリツキは、戦術、判断、今後の活動などについて、長時間にわたり記者会見を行いました。また、単独で頂上をめざしたデニス・ウルブコに関する質問では、「私はデニスに対して門戸を閉ざしたわけではないが、彼はより誠実でなければならないだろう」と語りました。

ポーランドに帰国できた感想はいかがですか?

 全員で帰国できたことを嬉しく思います。ブロードピーク遠征では暗澹たる思いでしたので、安全が私にとって最も重要でした。

今回はK2登頂は果たせませんでした。今後のための、最も重要な教訓は何でしょうか?

 次の遠征にはアブルッツィ稜を目指すでしょう。夏季の資料からバスクルートを選定していましたが、冬季は雪が少なく、落石が激しいことがわかりました。初めにアダムが、そしてパキスタン人メンバーも苦しみました。それから登山隊をアブルッツィ稜に移動することに決めました。おそらくバスクルートを進むことが最も頂上攻撃の可能性がありますが、安全を確保しなければなりません。今の私達は最初に未知の領域を進む者として、長大ではあるが容易なルートを進むべきであることを知りました。

他に何か改善点はありますか?

 隊を2チームに分けることを考えています。最初のルート工作は7,000メートル以上で行われ、キャンプを設営し、ロープを固定します。 2番目のチームは後から到着し、休養をとり、頂上アタックの準備を行います。南米で順化を済ませてK2ではヘリでBCに飛ぶという考えもあります。
 これは登頂する手法として倫理的な問題もありますが、登頂を果たすためには考慮する必要があるでしょう。一般的な結論としては、登山隊を強化する必要があります。

あなたが次の遠征の隊長を務めるとすれば、デニス・ウルブコの参加についてはどうお考えですか?

 まず彼のチームメイトに対する誠実さを改めることが必要です。遠征中、インターネットで重大な記事を公開することはできません。もし彼がロシア隊の遠征でこのようなことをしたら、すぐに追放されるでしょう。チームワークの障害となることは許されません。彼の書き込みに関して不愉快になるメンバーもいました。もちろんデニスがネガティブな意見を持つのはかまわないが、BCでそれについて話したのか、批判を公に公開することは避けるべきです。彼は私たちに自分の主義を貫こうとしているほどの傑出したクライマーです。今回の遠征では「私、デニスとポーランド人」、こんな感じでした。

あなたがウルブコに今年の登山隊に参加するよう促しました。

 はい、私たちは20年間にわたってお互いを知ってますし、彼が素晴らしいクライマーであることを知っています。しかし登山隊を彼の考えに従属させることはできません。登山隊に招かれたのなら、彼は私たちのルールに従うべきです。私たちは3月まで登山活動を続ける予定でした。彼は出発前に断念すべきでした。

ウルブコがチームに居続けたなら、3月にK2に登頂する機会はありましたか?

 大いに機会はありました。天候のチャンスがありました。C3に入り、アダムとデニスが頂上にアタックすることができました。デニスは私達がK2に登ることを望んでいないと言いましたが、それは事実ではない。私達には私達の計画があります。彼が私達から去って行ったのです。

あなたは登山隊を強化すると話しました。ウルブコぬきで可能でしょうか?

 困難ですが、可能でしょう。強いクライマーが必要です。おそらくJędrka Bargiela(訳者注:ポーランドの強力なスキー登山家)を説得するでしょうか?ポーランドには冬季の経験が乏しくとも強力なクライマーが幾人もいますから、彼らには可能でしょう。しかしながらウルブコに対しても門戸を閉ざしたわけではない。次の遠征では、条件が整えられれば参加もやぶさかではないだろう。

あなたは次の登山隊でも隊長を務めますか?

 私の意志としては、やってみたい。しかし、その決定はポーランド山岳協会が決めることです。協会が他に誰かを選ぶとしても問題はない。私はアドバイザーを務めることができるだろう。私には9歳の息子がいるので、面倒もみなければね。

次のK2冬季遠征はいつ実行されますか?

 次の冬には機会があるでしょう。社会的関心も大きく、登山隊のスポンサーになってくれる企業もあるでしょう。今回の遠征ではスポーツ省の支援に感謝しています。海外に向けてポーランドのイメージ作りに貢献したと思っています。登山隊は世界的な関心を呼びました。

K2の冬季遠征が成功する可能性は大きいですか?

 私たちが「気象予報」に関してより発展させたことが非常に重要なことでした。ほぼ完璧な予報が得られ、効果的でした。好天の機会は周期性があり、遠征中に5回ほどの好天を捉えることが出来ました。それはルート工作を行い山頂を狙うには十分なものです。

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以上引用おわり

 このように、今回の経験を生かして次の冬季遠征やる気まんまんなビエリツキ隊長でした。

 冬季K2を狙いながら慎重なまでに安全を重視するクシストフ・ビエリツキ。
 インタビューでも触れられているように、冬季ブロードピーク登山隊を率いた際、2名の隊員を失ったことが尾を引いていることがうかがえます。

 なおonetに掲載されたインタビューは簡潔にまとめられたもので、詳細はポーランドのクライミングサイト wspinanie.pl 掲載のインタビュー記事を読むと、クシストフ・ビエリツキの考えがより深く読み取れるでしょう。

 今現在、年度末という現場作業員の地獄の季節なもんでブログにアップできないのですが、ロシアそしてポーランドメディアに流れているデニス・ウルブコ、第2のキーマンであるアダム・ビエリツキのインタビュー記事を読み比べてみると、K2冬季登山隊の興味深い人間模様が伺えます。

 おそらく次に冬のK2を訪れるクライマーは、やはりポーランド人達になることでしょう。

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ポーランド隊、冬季K2登頂を断念

冬季K2登頂を目指すポーランド隊は3月5日、冬季K2登頂を断念しました。

K2: Krzysztof Wielicki ogłasza koniec wyprawy by Wspinanie.pl 2018.3.5

隊長のクシストフ・ビエリツキによれば、

ルート偵察に向かったアダム・ビエリツキ、ヤヌシュ・ゴラブの報告によれば、C1までフィックスロープは雪に埋まり、C1~C3までキャンプが破壊されている可能性が高い。

気象予報では、3月11日頃の一度しか頂上を目指す機会が無い。

隊員の高度順応が不十分。

ルート上部では降雪量が80cm以上に達し雪崩の危険性が高い。

3月11日以降の気象が不安定。

これらの状況から、隊長のクシストフ・ビエリツキは登山活動続行を断念した模様です。

今回の登山活動では、単独行動をとったデニス・ウルブコが報道によってまちまちですが7600m付近に到達したといわれていますが、確認されていません。隊としてはアダム・ビエリツキの7400mが最高到達地点となりました。

南南東リブにおける負傷者続出、南南東リブからアブルッツィ稜へのルート変更、物議を醸したデニス・ウルブコの単独行動など、様々な要因はありますが、隊の主力であるアダム・ビエリツキが「あと2回、好天がきてほしい。高度順応のためと、山頂アタックのためだ。」とコメントしているように、不安定な天候に翻弄されたようです。

これに先立つ2月28日、デニス・ウルブコは登山隊を離れ、先に下山しました。
そのときの様子がこちら↓

2014年の冬、自ら冬季K2登山を計画したものの「政情不安」を理由に中国政府から登山許可取り消しを喰らい、2015年には、wspinanie.plが報道したように将来のポーランド隊冬季K2計画を見越してポーランドの市民権まで取得したデニス・ウルブコ。

チームワークを重んじるクシストフ・ビエリツキ。

それぞれの思惑など関係無いが如く、冬季のK2は世界でもトップレベルのクライマー達を寄せ付けず、未踏のまま、次のクライマーを迎えることになります。

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デニス・ウルブコ、冬季K2登頂を断念、下山

隊長クシストフ・ビエリツキにも何も語らぬまま、単独で冬季K2山頂を目指したデニス・ウルブコ。

その結果は、悪天・強風に阻まれ登高を断念。

2月26日、ウルブコはBCに帰着。
BCに帰還後は誰とも話をすることもなく、自分のテントに引きこもっている。

そんな姿を、TVP(ポーランドテレビ、ポーランドの公共放送局)が8秒間の動画で伝えています。

Denis0226
2月26日、BCに帰着後、自分のテントに引きこもるデニス・ウルブコ

Niesforny himalaista wrócił do bazy. Z nikim nie chciał rozmawiać [WIDEO] by TVP.INFO 2018.2.26
(当該サイトを開くと自動的に動画が開始・音声が流れるので注意)

登頂失敗に終わったデニス・ウルブコのトライについて、隊長のクシストフ・ビエリツキは失望の意を隠せませんでした。

„Znam Denisa od wielu lat, nie sądziłem, że do tego dojdzie” by TVP.INFO 2018.2.25
(当該サイトを開くと自動的に動画が開始・音声が流れるので注意)

2003_k2
2003年、共に冬季K2にトライしたウルブコ(左)、ビエリツキ(右)

25日、TVPの報道によればビエリツキはこう語っています。

『私は長年にわたりデニスを知っています。私達は友人です。だが今回のような事が起こるとは予想しなかった。何より残念なのは、デニスは最初のキャンプで仲間に止められた際、私は彼と話したいと思っていたが、彼は私と話をするつもりはないと語ったという。私にとっては苦痛なことです。

 一方、私は彼の行為を少しだけ理解しています。時には私もソロをやりました。(訳者注・93年にシシャパンマ南壁を単独登攀している) しかし、ここでは私たちはチームなのです。彼は遠征に招かれた立場だ。

 彼は最強の登山家の一人です。けれども、彼は誰もが危険にさらされていることに気づかなかったのか?隊員2人が支援する準備をしていましたが、彼がデニスを支援する際に「何か」が起こるとどうなるか?彼はそこに考えが及ばなかった。

 今回のトライは、私たちの関係を犠牲にしてまで、2月末までにK2に登頂することが、.彼にとって素晴らしいことだったのでしょう。 』

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しかし、ここでは私たちはチームなのです。

と語るクシストフ・ビエリツキ、ウルブコの行為に理解を示しながらも、隊長としての立場、そして自身の長年の登山経験からの苦しい胸の内が伝わります。

前回の記事ではあえて私の個人的見解は述べませんでしたが、大学山岳部という一見「縦社会」のように見えながら、『遠征では先輩後輩関係ない、他人の脚を引きずり下ろしてでも自分が登れ』と説教を喰らった私も身にしみてますが、個性の強いメンバーの集う登山隊は焼き肉定食もとい「弱肉強食」の世界です。

私もウルブコの行為を理解はしますが、今回はクシストフ・ビエリツキの老練さを支持します。

むしろ単独で山頂アタックを強行しておきながら、冷静に生還を果たしたところが、やはりデニス・ウルブコといえましょう。

登山隊は引き続き、3月の頂上アタックを目指して活動中です。

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デニス・ウルブコ、独断・単独でK2アタック開始

 K2冬季登頂を目指すポーランド隊が波乱の展開をむかえました。

 2月24日朝、隊の主力メンバーであるデニス・ウルブコが単身BCを出発、隊に無断で、一人だけで頂上アタックを開始したことが判明しました。

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冬季K2ポーランド隊で登高中のデニス・ウルブコ

 各種報道によれば、そもそもデニス・ウルブコは『ヒマラヤ登山における「冬季」の定義は12月1日から2月末まで』という持論の持ち主。 (筆者注:ヒマラヤ登山における冬季の定義はいまだ議論がありますが、現在は春分の日までを冬季とするのが一般的)
 一方、隊を率いるクシストフ・ビエリツキ隊長の方針は、ルート工作を終えた3月初旬に隊として頂上をめざすプランで登山活動を展開していました。

 この意見の違いが、ウルブコとビエリツキ隊長の間で「高所キャンプの設営位置」を巡る意見の相違にもつながったようです。
 24日朝BCを出発したウルブコは、ビエリツキ隊長との無線交信も拒否と伝えられています。

 ポーランド・メディアから伝えられる報道では、登山隊のメンバーの間でも、やはりデニス・ウルブコそしてポーランド登山界のホープであるアダム・ビエリツキのペアが頂上をめざすものと考えられていましたが、そこに今回のウルブコの独断専行ともいえる行動。
 ポーランド山岳協会幹部のコメントでは「怒りよりも驚き」というコメントが伝えられています。

 心理学者で山岳救助隊に携わった経験を持つトマシュ・コズラウスキーは、「ウルブコを突き動かした二つの要因として、ウルブコの年齢は45歳、冬季K2を狙う最後のチャンスであること、このままBCで待機していれば登頂の機会を逃すことになるという思い」という点に言及しています

 今後の気象条件が思わしくないこともあり、ポーランド隊はウルブコの頂上アタックをサポートすべく動いています。
 落石による負傷で登山隊を離脱したラファル・フロニアがポーランドメディアでコメントしています。

『私は驚いてません。そのような状況を期待していたとは言いません。当初からデニスはカラコルムの冬季は2月末で終わると言ってました。決断なきところにリスクも、成功もありません。 

 (中略) 彼が決断したのなら、その行動が成功する可能性は高いということです。彼は非常に経験豊かで決断力があり、高度に順応しています。そして天候のチャンスがある。今の私にとって最も重要なのは、彼が生還することです。マチェク・バドレチュクとマルチン・カッツカンが上部に登っていますが、彼らがデニスをサポートするでしょう。

 (中略)  このアタックが成功することを祈っています。デニス単独であろうと、他のメンバーの支援を受けての登頂であろうと、それは登山隊の大きな成果になります。 「ポーランドの登山隊」であることを忘れないでください。』

ラファル・フロニアはどちらかといえば肯定的にウルブコの行動について語っています。

とはいえ、隊長であるクシストフ・ビエリツキにも何も言わぬまま、一人山頂を目指すデニス・ウルブコ。
既にポーランドはじめ各国クライミングサイトでは議論が沸騰しています。かつてナンガパルバット初登を果たしたヘルマン・ブール、ルパール壁初登を果たしたメスナー兄弟のような、隊長に離反して登山史を創ったクライマーにデニス・ウルブコを重ねる意見もあります。

2月25日現在、デニス・ウルブコは6700mのC2をとばして7200mのC3に登高中。
登山隊はウルブコのサポート体制も進めつつ、あくまでも3月上旬の登頂目指して登山活動を続行中。

当ブログで紹介したクシストフ・ビエリツキの理想は、現代最強と目されるウルブコの行動の前にもろくも崩れ去りました。

ヒマラヤの冬季は2月末までという自身の信念に従い、単独で山頂を目指すデニス・ウルブコ。
クシストフ・ビエリツキの指揮下、3月上旬の頂上アタックを目指す強力なポーランド隊メンバー。
いましばらく、冬のK2登山隊から目が離せない状況になってきました。

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ポーランド冬季K2隊、隊員負傷とルート変更

K2冬季登頂を狙うポーランド隊の続報です。

 ナンガパルバットでの救助活動でも活躍したポーランド登山界のエース、アダム・ビエリツキが2月7日、C2付近で行動中に落石に遭い、顔面を負傷。
 痛々しい負傷直後の画像が海外クライミングサイトに出回ってますが、当サイトはそういう趣味はありませんのでご覧になりたい方は海外サイトにどうぞ。
 幸い、登山活動には支障なくBCにて休養のためアダムは下山。

 続く2月9日、ラファル・フロニアがC1に向かう途中に落石に遭い、前腕骨折の重傷を負う。
 ラファルは治療のため、ヘリでスカルド経由でイスラマバードに移送、残念ながら登山活動からは離脱の予定。

 K2_2018w
1.はアブルッツィ稜、2.はバスクルート(別名チェセンルート、南南東リブ)、3.はポーランドルート(ククチカ、ピィオトロスキ)

 これらの事故により、隊長のクシストフ・ビエリツキは南南東リブからアブルッツィ稜へのルート変更を決断。
 再度のルート工作、高所キャンプを設営する心理的負担が懸念されるものの、2月12日現在、既にデニス・ウルブコ、マルチン・カッツカンらが先頭切ってC1設営めざして登攀中の模様です。

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【訃報】 エリザベス・ホーリー女史 逝去

 50年以上にわたってヒマラヤ登山を記録し続けてきたジャーナリスト、エリザベス・ホーリー(Elizabeth Hawley)女史が1月26日、肺炎のためカトマンズ市内の病院にて亡くなりました。94歳でした。

Chronicler of Himalayan expeditions Elizabeth Hawley passes away by The Himalayan Times 2018.1.26

Goodbye Miss Elizabeth Hawley, legendary chronicler of Himalayan expeditions by Planetmountain 2018.1.26

Afp
在りし日のエリザベス・ホーリー女史(AFP通信)

 1923年アメリカのシカゴ生まれ、1943年ミシガン大学卒、その後1960年にネパールに移り住みロイター通信記者として活動、1963年のエベレスト西稜アメリカ隊の成功をスクープして以来、女史の克明なヒマラヤ登山の記録が始まりました。

 その克明な記録と鋭い言動、日本でも「ホーリーおばさん」の『洗礼』を経験した方は少なくないでしょう。
 2010年のBBCでのインタビューでこんな風に答えています。

「クライマーを怖がらせるつもりは無いけれど、たぶん「調停人」くらいには思われていたでしょう。」
「彼らが私に真実を語ることを恐れるかも知れませんが、それは価値のあることかもしれないのです。」
"I don't mean to frighten people, but maybe I've acquired this aura of being the arbitrator," she told the BBC in 2010. "It might scare them into telling me the truth and that might be useful."

 私個人の見解ですが、近年の、エリザベス・ホーリー女史をまるで「登頂認定人」のように扱う風潮に疑問を抱かざるを得ません。
 登頂報告に赴いたクライマーに対して女史が幾つか質問を投げかけ、登頂が事実と確認した上で「登頂おめでとう」と祝福したり、つい数日前に同じ山に登頂したクライマーから得た証拠写真を提示したりという行動があったのは事実です。
 
 しかし記録者たるエリザベス・ホーリー女史を「登頂認定機関」のように扱う態度は、「なにをもって登頂とするのか」 「なんのために頂上をめざすのか」 登山者としての主体性を自ら放棄しているとしか思えません。
 先年の8000m峰14座「女性初登」記録を巡る、オ・ウンソン女史のスキャンダルおよびそれを巡る韓国メディアにおける、エリサベス・ホーリー女史の一言一句に右往左往する態度は「醜態」以外の何物でもない。

 女史の偉大なところは、50年以上にわたり、約1万隊にわたる登山隊の成果を克明に記録しつづけたことにあります。
 池田常道氏も前々から指摘していますが、プロ野球では試合の一球すらスコアとしてきちんと記録されているのに対し、登山では報告すら残されないケースが多い。 まして近年の商業登山隊全盛ではさらに状況はカオスになってきました。
 そのような状況下でも記録を続けたホーリー女史の偉業は、今後もデータベースとして意志を継ぐ者によって書き加えられることでしょう。

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エリザベス・ホーリー女史の思い出

 過去2回ほど、エリザベス・ホーリー女史と面会したことがある。
 初めての8000m峰を経験した21歳の秋、このときはあまり記憶に残っていない。
 2度目、世界で一番高いチョモなんとか山に遠征した際、ホーリー女史はカトマンズの悪路を自らワーゲンを運転してやってきたのでした。

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私たちのインタビューのためわざわざご足労いただいたエリサベス・ホーリー女史。当時はご自分で青い「ビートル」を運転してやってきました。(1996年カトマンズにて筆者撮影)

 以前にも当ブログで書きましたが、強烈に印象に残っていること。
 登山計画のインタビュー中、副隊長の園田さんが気を遣ってホーリー女史のグラスにコーラを注ごうとした時、「いえ、結構」と園田さんの手をとどめ、ご自分でグラスにコーラを注いでいた。

 愛読紙・産経新聞が好んで「凛とした女性」という表現を使うが、日本女性で「凛とした」方なんて、あまり記憶に無い。(ボク何か失礼なこと書きました?)
 日本人ではないが、「凛とした」という表現を読むにつけ、なぜか私はエリサベス・ホーリー女史を思い起こすのだ。 時には厳しい・鋭い言動で知られる女史だが、私の手元に残っている記念写真では、笑顔で私たちと並んでいる女史の姿が残っている。

 ヒマラヤ登山史を見つめ続けた、偉大な先達の逝去に哀悼の意を表します。

「ホーリーおばさん」の雰囲気を知ってもらうため、ぜひこちらの動画をご覧下さい。

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冬季K2登山隊始動 クシストフ・ビエリツキの言葉に学ぶ

久々のビッグプロジェクト。
ポーランド隊によるK2冬季登山隊が2017年12月29日、ワルシャワを出発しました。

Polish expedition to K2 leaves Warsaw by RADIO POLAND 2017.12.2
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K2w2
ポーランド隊のメンバーは次の通り。

クシストフ・ビエリツキ(Krzysztof Wielicki) 登山隊隊長
ヤヌシュ・ゴラブ (JanuszGołąb) 渉外担当
ピョートル・スノプチンスキー (Piotr Snopczyński) BC運営管理
ジャロスワ・ボトル (Jarosław Botor) ドクター
ダリウス・ザルスキー (Dariusz "Darek" Zaluski) カメラマン
アダム・ビエリツキ (Adam Bielecki)
ラファル・フロニア (Rafal Fronia)
マレク・チミラルスキ (Marek Chmielarski)
マルチン・カッツカン (Marcin Kaczkan)
アルトゥール・マレク (Artur Małek)
ピョートル・タマラ (Piotr Tomala)
マチェク・バドレチュク (Maciek Bedrejczuk)
デニス・ウルブコ (Denis Urubk)

以上の13名。インタビューでクシストフ・ビエリツキも言及していますが、チームの半数が既にK2登頂を果たしている「最強」のメンバーとされています。

当初は不参加が伝えられていたデニス・ウルブコも参加を決め、今やポーランド登山界の牽引役となったアダム・ビエリツキといかに力を合わせて冬季K2を攻略するのか、興味をそそられます。

予定ルートは
K2w1
赤線がチェセン・ルート(南南東リブルート)、黄線がアブルッツイ稜。
現地に到着後、天候・ルートの状況次第でいずれかを選ぶとのこと。

K2w4
隊長を務める8000m峰冬季登山の重鎮、クシストフ・ビエリツキ(67歳)は既に様々なメディアでインタビューに応じていますが、含蓄のあるコメントを伝えています。

以下、Pythom.comによるインタビューからの抜粋です。

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Q.K2の話題に戻りましょう。もちろん、このことに触れるのは時期尚早ですが、あなたの考えでは、誰が頂上アタックチームに入るでしょうか?

クシストフ・ビエリツキ(以下クと略).ええ、そのことに関して今話すことは難しいですね。状況が最終的にどのようになるか、決してわかりません。アダム・ビエリツキ、ヤヌシュ・ゴラブ、デニス・ウルブコらベテランの経験を信頼していますが・・・しかし、それはどのようになるか、わかりません。 たとえば、私が冬季エベレストに登頂したとき、それまで8000m峰に立ったことはありませんでした。私にとって初めて8000m峰が冬の世界最高峰でした。ですから結果として、どのような結末を迎えるかは、誰にもわからないでしょう。

Q.初めての高所登山で冬季初登頂、どのように思われましたか?

ク.遠征隊が出発したとき、私は友情のため、仲間をサポートする役目だろうと考えていました。決して私が頂上に立つ、と考えていたわけではありません。私たちの考え方として、自分だけのために登頂するのではなく、ポーランド山岳協会のために行くのだと考えていました。
 (登頂成功後)私たちが下山すると、ベースキャンプで待っていた仲間の一人が泣いていました。それは嫉妬からではありません。彼は私たちのために喜んでくれたのです。それが真のチームワークでした。 しかし、今日(こんにち)では・・・・

Q.今日では・・・何ですか?

ク.それは無理でしょうね(笑)。 「あんたが登頂するなら、あんたが登頂するから俺も登頂する。」そのようなものです。あなたもおわかりでしょう。

Q.それでは、現在の「チームワーク」とは・・・・

ク.私だけの想いでしょうかね。残念ながら、これが現実ですよ。

Q.あまりにビジネスライクだと。

ク.そうです。多くの分野で、特定の人にだけ焦点があてられます。 記者会見で、「私は登った」 「私は登頂した」 「私はやり遂げた」と言う。 ええ、私は個人的な見解だと理解できますが、しかし、彼らは自分自身だけの力で登頂したのでしょうか?彼らのために支援してくれた人達についても語るべきです。
(訳者注 : Pythom.comの注釈として、「現在のエベレストで『シェルパのサポート無しで登頂した』と主張するクライマーが、実際はシェルパが整備した一般ルートを登っている」と記述している)

Q.今回の遠征では強力な個性と実力を持ったクライマーが集められました。隊長としてのあなたの方針・めざすものは何でしょうか。

ク.そうですね。私は彼らに古典的な哲学を仕込み、チームとして行動させることです。

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以上引用おわり

私事ですが、ブログに書く文章と極悪な性格に似合わず、立正大学体育会山岳部ではホトケの大滝と言われ(自称)自己主張が足りないと散々叱られてばかりだったんですが、ポーランドのクシストフ・ビエリツキがこんなにもチームワーク重視の岳人だったとは、今回のインタビュー記事を読むまで浅学ながら知りませんでした。

自分の成果を誇るだけでなく、自分を支えてくれた人々にも目を向けよ。
8000m峰冬季登頂のパイオニアたるクシストフ・ビエリツキの言葉、社会人・末端現場作業員の私にも感じ入るものがあります。

過去記事にも書きましたが、クシストフ・ビエリツキは「歩く自己主張」ワンダ・ルトキエビッチの人生をバッサリ斬ったコメントを吐いているのですが、その理由もようやくわかったような気がします。

さて、K2はもちろん8000m峰の冬季登頂も数々こなした超強力なメンバーをそろえた今回の登山隊。
隊長であるクシストフ・ビエリツキの指揮下で、どんな登山が展開されるのでしょうか。
2018年早々、注目すべき登山隊は1月7日頃、K2ベースキャンプに到着予定です。

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